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母の日は華麗にスルーする

いつものとおり直売所へ買い物に行ったらカーネーションがたくさん置いてあった。そうか、今日は母の日だ。そういえば、お店でもネットでも、このところピンクっぽい広告がいっぱいあったな。でももう長いこと母の日はスルーすることにしているので、私にとってはなんでもない普通の日曜日だ。娘としても、母としても。

母のことはずっと好きだし感謝もしている。でも、「さあ、ほら、1年に1回くらいはお母さんに感謝しましょうね」って促されてみんな一斉に感謝するのってなんか違うよなぁという感が拭えず、いつの頃からかスルーするようになった。

母に宣言したのかしなかったのか記憶は定かではない。母がどう感じているのかを確かめたこともない。でも誕生日や節目の日にはちゃんと感謝を伝えているし、普段どう接するかの方がよほど大事だと思って接しているから、問題はないだろう。たぶん。

そもそも、感謝の気持ちというのは自然発生的に湧き出てくるもので、誰かに強制されたり義務的に作り上げたりするものではないはず。「お母さんには感謝するのが当たり前だよね」「ちゃんと感謝の気持ちを伝えないとね」と社会的に圧をかけられるって、母親との関係性に困難を抱えている人たちにとってはいい迷惑ではなかろうか。

母への感謝という、ものすごく個人的で尊いはずの感情が、商業主義に利用されまくっているのも気に入らない。母の日の提唱者であるアンナ・ジャービスも、母の日の商業化に激しく抗議したとか。感謝の気持ちを表すのに、カーネーションもプレゼントも本来は必要ない。日々の生活の中で伝える「ありがとう」や、思いやりや笑顔はまさにプライスレス。お金を使わなくたって、感謝の気持ちは一年365日いつでも表せるのだ。

母の日をいい機会として捉え、あたたかい1日を過ごすことを否定するつもりはまったくない。そういう母子関係であることは素晴らしいことだ。ただ、せっかくの感謝の気持ち、母への想いが、商業的な目的や社会的な圧力によって、義務になったり負担になったりしたら悲しいな、と思う。


こんな私に育てられたので、当然娘たちも母の日を気にするそぶりは見せない。小学生のころは学校でメッセージカードを作ってきたりしたけれど、強制されることがなくなってからは、母に劣らず華麗にスルーだ。

それでいい。感謝というものは、しなさいと言われてするものではない。自分の心の中に自然とわいてくるものだ。とってつけたような「ありがとう」もプレゼントもいらないさ。あれ?なんだか強がりっぽい?

娘たちの心にだって、私への感謝が渦巻いているに違いない。そうに違いない。ちっとも伝わってこないけど。

母の日に限らずいつだって、もうちょっと素直に伝えてくれてもよくってよ?

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