従兄との電話~そして母に関する「新情報」
母の葬儀の際にお世話になった親戚(私の従兄・従姉)に、心ばかりの品を送った。
無事に、届いたと連絡を頂いたりしたけれど、1件だけ、私が入力した住所に不備があり、届かなかった「従兄」がいた。
結局、その荷物は、私の自宅に戻って来て、私から再送することにした。
その旨を知らせるために、従兄に母が使っていた「ガラ携帯」から、電話をした。
「留守番電話」に繋がり、メッセージを喋っていると、従兄が出た。
従兄と云っても、母との方が年齢が近く、もうすぐ90歳になる立派な「おじいちゃん」だ。
彼の父親である「母の兄」は、母と19才も、歳が離れている。
母の納骨後に、弔事ハガキを送り、それに対して、従兄が、ハガキで「便り」をくれた。
力のない文字で、すっかり歳をとり、何もできない事へのお詫びの様な文章が、綴られていた。
何にもしていないのだから、「荷物は送らなくてイイ」と言われ、再送するのは止めた。
それでも、久しぶりに従兄と話をし、「むかし話」が始まった。
戦時中、母の一家は、長野に疎開をしていた。
この従兄も、一緒に「疎開生活」を送っていた。
当時、この従兄は、小学生(3~4年生ぐらい)だった。
疎開先で、「女学校」を卒業した母は、「町役場」に勤めた。
その頃の話を、従兄がした。
「いや~、チサ子ちゃん(母の名前)は、とにかくモテたよ~」
お正月に、
役場の若い男たちが、
母を目当てに、家に来て、
皆でトランプをした。
従兄が、懐かしそうに話した。
そんな話、初めて聞いた!!
「本人は、言っていなかったよ~!」
初めて聞く、情報だ。
私は、生前、母から、いろんな話を聴いていたし、母が書いた「手記」を何回も、読んでいたので、当時の生活状況は、なんとなく、イメージができた。
でも、この情報は、全く本人からは、出てこなかった。
そんなことが、あったのね~(#^.^#)
従兄は、戦前、一家が東京で暮らしていた頃の「記憶」もしっかりあって、空襲に遭った時の事も、よく覚えていた。
従兄が話す「当時の話」の内容は、私が母から、聴いていた内容と、確かに一致していた。
私が「ママが、こう話していたよ~」というと、「そうそう~」と従兄が言って、彼の「活舌」が、どんどん「滑らか」になっていった。
当時の話をする従兄の話の中で、母の話からは、分からなかった新たな情報が、もう一つあった。
それは、空襲に遭った時の「母の様子」だ。
焼夷弾が落とされて、家が燃え出した時、
母は、凄い形相で
「焼夷弾、落下! 焼夷弾、落下!」と大きな声で、
狂ったように叫んでいた。
「その時のチサ子ちゃんの顔は、今でも忘れられない」
従兄が、こう話した。
母は、空襲の時の事を、
「焼夷弾が、うちの庭に、タケノコのように、ブッス!ブッス!って、刺さるのよ~」
ちょっと、冗談めかした言い方でよく話していた。
でも、おそらく、あの状況下で、自分がどんな様だったのかなど、憶えている訳がない。
でも、従兄は、「母の姿」を記憶していた。
「こうやって話していると、昨日の事の様に思い浮かぶ」と従兄が言った。
私が母から聴いた当時の「状況」の中にいる「母の姿」を、90歳になろうとする従兄は、記憶していた。
「こういう話しは、したいんだよな~」と従兄が言ったので、
「私も仕事行くとクタクタだし、頻繁には電話できないけれど、また、電話かけるね!」
そう言って、電話を切った。
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