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おとうさんがいてくれてよかったよ。

うちのお父さん。
真面目だけど、真面目すぎて、面白みもなく、そして縦のものを横にもできない、昭和、いやそれ以前の時代風情のお父さん。
末っ子気質で、母に全てを任せっきりで、
仕事はきちんとしてきたけど、むしろ仕事しかできない、昔カタギの、そんなお父さん。
小さい頃から長期出張や、海外転勤も多くて、
わたしと妹が生まれた日もいなかったお父さん。
面倒くさいけど、気難しいけど、常識もあって温かい人だった。

そんな父が、母を亡くして、
亡くなってすぐに母の愛用していたものを捨て始め、わたしに暴言を吐き、大暴れした。
自分ひとりでなんでもやるから手を出すな、迷惑だ、出ていけ、と怒鳴られた。
そのくせわたしの料理は(自分で作れないからおそらくやむなく、)食べている。
仕事から帰ると母の思い出の品が沢山放り出してある。まだ亡くなって何日も経っていないんのに。妹だって母の思い出はあるだろうから、わたしひとりで片付けるわけにもいかない。妹に連絡すると「わたし何もいらない。」から来ないという。いらないとかそういう問題じゃないのに。もういい。ひとり泣きながら片付けて、目ぼしいものは引き取るか、母の親友に送った。
またある日は突然、良かれと思ったのか、ごはんを作ろうとしたら食材も調味料も全部「古そうだったから」と捨てられていた日もあった(しかも通算3回も)。
夕飯の時間も気を遣って一生懸命話しかけても耳が聞こえにくいのか、機嫌が悪いのか、ウンともスンとも何の反応もない。返事くらいしてもいいのではないの?気まずい。かわいくない。そのくせ、滅多に会わない妹や、ご近所さんには感じがよい。
そんなこんなの、大荒れの、消耗させられる数年が続いた。

知り合いが奥様を亡くした。奥様の品々を見たり、一緒に過ごした家にひとりでいるのがつらすぎて引っ越したけれど、「新しい街で、みんな家族連れでごはんを楽しそうに食べている姿をみると、ああひとりだなってつらくてね。」という言葉を聞いた時、ああ、きっとお父さんもお母さんがいなくなってつらかったんだ、つらすぎたんだ、わたしとは悲しみの消化の仕方は違うけれど、こういう風に大事な人の気配を消すことで、自分の目の前からいなくなってしまった喪失感から、行き場のない孤独から、母に頼り任せきっていた慣れない日常の家事から、逃げたかったんだとそのときはじめてわかった。良い感情も嫌な感情も、思い切りさらけ出せるのが、わたししかいなかったんだろう。母がいた時は父を受け止めていたのは母だったんだろうな。わたしなりに、色々思いを馳せた。

「でもさ、おたくのお父さんもかなりのワルよ、ちょっとないクセモノだわよ。ウチの父といいとこ勝負だわ、わたし達ホントにえらいわよね。よくやってるわよ。」
とわたしの親友はいう。
彼女も面倒を見ているお父さんと日々散々ドンパチあって、「こちらにも感情があるからね!」優しく接してあげたいけれど、嫌なことを言われたらこちらもどうしたって嫌な気持ちになる。せめぎ合う気持ちの中で疲れも出てきて、しょっちゅうお互いの「日々のクソ親父の愚痴」を言い合い、ふざけるんじゃないわよ!と最後は笑って、たくさん語りあった。

時は流れ、10年以上経った。
あれから父もわたしも歳をとった。
かわらず毎日夕飯を作って気まずく一緒に食べている。
だが、母が亡くなってしばらくつらかった今までのことも、お互い全部話してわかりあえた日もあった。
振り返るとお父さんはなかなか幸せだったと思う、と言ってもいた。
とはいえ元がワガママだから手は焼く。やっぱりクセモノ。非常に面倒くさい。

そうこうしている間に、今年わたしが手術して入院することになった。
まわりでわたしを良く知る人からはあなたも心配だけど、お宅のお父さん大丈夫なの?と聞かれた。小さい子じゃないんだし、もうなんとかするでしょう、というかこちらも全く余裕がないから、なんとかやってくれ、と正直思った。
まあ、色々自分の夕飯はどうしようとか(後日聞いたら結局外食で済ませたらしい)、退院後しばらくはわたしも作れないからごはんをどうしようとか、まあ想定範囲だったが自分のごはん中心に心配をしていた。

が、入院と手術は、親として当然だ、と言って何一つ文句も言わず、付き添ってくれた。
当初の予定より長く入院したのだが、毎日毎日アイスクリームやプリンを持ってきてくれた。たくさんあって食べきれないと思ったけど、アノお父さんがわざわざわたしに買ってきてくれたのだ。ありがたく、一生懸命食べた。

ある日お見舞いに来てくれた母のお友達と時間が被ったとき、3人で母の思い出話やら近況やらを話していたら、そのとき父が、この子には子どもの頃から自分の仕事で振り回して、色々苦労をかけて・・・そしてこの子自身も今まで色々たくさん苦労してきて・・・なんとなく、親として不憫でね。元気で幸せになってほしい。というような話だった。
母のお友達もいたから、よそゆきの父の表情もあったとも思う。でも、偶然にもわたしのことを小さい頃から今まで全てを知っている、母のお友達がいてくれたから、父のわたしへの思いをこのタイミングで聞くことができた。たまたま偶然ではなくて、まるで亡き母が3人を引き合わせたかのようにも感じた。

不器用だけど、いつも本当はそう思ってくれていたんだと、見守られていたのはわたしの方だったのだと、その場では我慢したけれど、ひとりになって泣けてしまった。心配をかけてきた父のためにも、元気になってやりたいことやってちゃんと心から幸せになって、安心してもらおう。
そう決めた。そう決めたから、父に病室から急いでメールした。

「色々ありがとうございました
お父さんがいてくれてよかったよ」

すぐに返事が返ってきた。

「まあ、父親であれば当然の行動だ。(笑)」

なんだこの最後の(笑)は。
精いっぱいの照れ隠しなんだろう。
やっぱり不器用だ。
でもね、母が先に亡くなって、父が残って生きていてくれて、こんなに心からありがたいと思ったことはなかったし、もしかしたらわたしのために父が今日この日も元気で生きていてくれたんだと、今とても思う。

退院してやっぱり迎えに来てくれた父。
食べたいものを食べたいしリハビリと思ってごはんを作ってみる、と言った時の不安そうな父の顔。
そしてごはんできたよ、と言ったときの、「こんなにたくさん作ってくれたのか、大丈夫なのか?でも今日こんなにきちんとした料理がでてくると思っていなかったよ。」と父。

ありがとう。全部ありがとう。

お父さん、生きていてくれて心からありがとう。わたしお父さんのためにも、元気になってちゃんと幸せになる。そう決めたよ。

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