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私の語学が伸びたのは

現在、私はドイツ語と英語を曲がりなりにも話せるようになりました。ドイツ語のほうは通訳大学院を卒業し、英語のほうは実際に通訳業で使っています。読む・聞く・書く・話す、どれもまだまだ伸びしろはあるのですが、学習した言語の中で一番伸びたのはこの2つです。

で、改めて、自分がいつ「話せるようになった」という実感を抱いたのか、そしてそれに直結した学習法は何だったのか…というのを考えてみることにしました。

これは結構難しい質問です。というのも、何か即効性のあるメソッドを使って一直線に上達してきたわけではないからです。

英語は中1から数えて既に26年、ドイツ語とも20年近く付き合っているので、流れた年月を考えれば、どこかで寄り道してきたのは間違いありませんが、その寄り道があったからこそ上達できたような気もするので、昔に戻って違う方法でやり直せば、今より高いレベルに、今より短い時間でたどり着けたかどうかは、正直よく分かりません(一文、長っ)。

ただ、特に会話と聴解に絞ると、手ごたえをしっかりと感じた時期は割と簡単に特定できます。

仕事で学習言語を使い始めてからです。

ドイツ語の場合、私は2度ドイツに留学する機会があったのですが、どちらの場合も正直留学中には語学力は大きく伸びませんでした。

私が社交的でなく友達ができず、定期的にドイツ語を話す機会が少なかったのが1つ。もう1つは、学業の場合、ドイツ語ができなくて困るのは自分だけなので、成績を気にしなくなると、自分を律するものがなくなり、簡単にモチベーションも消えてしまったことです。

ただ、仕事は違います。

仕事には得意先もいるし、上司もいる。自分の語学力が低いと仕事が滞り、間違った情報を相手に伝えてしまう。他人様に迷惑をかけることを、人一倍「気にしい」な私は何より恐れていたので、それを避けたいという気持ちがモチベーションになり、必死になって勉強しました。

「勉強」と言っても座学ではなく、日々の業務をこなすだけです。上司のアポ先にメモ取りとしてついていき、語学面だけでなく内容面でもよく分からない話をひたすらメモに取り、職場に戻ってメモを書き起こして報告書を書き、上司の決裁で赤だらけになり、それを清書して提出する…。

それを繰り返すうちに、気づけば聞こえなかったはずのニュースやドラマの音声が聞こえるようになり、読むのに苦労していたはずのドイツ語の本や新聞が読めるようになっていったのでした。

英語の場合は、現在進行形。通訳の仕事を始めてからです。

私は諸般の事情で、予定していた語学留学を断念して大学院を卒業し、今の会社で英日通訳の求人を見つけ、「駅前留学ならぬ職場留学になるかもしれない」と思って応募して入社に至ったのですが、入社当初は結構大変な思いをしました(今もそうですが)。

それまで英語には苦手意識があり、事あるごとに忌避してきたのですが、通訳として会議に呼ばれると、自分の英語力の拙さなんか理由にできず、とにかく今ある手札で訳さなければならない。原発言をまるっきり理解できていないことも参加者にはすぐバレてしまう。必死に学ばざるを得ません。

今でも通訳の前は妙に緊張し、英語できないのに何でこの仕事やってるんだろう……と憂鬱になることも多いのですが、ようやく最近になって、前よりもだいぶ文章を読んだり音声を聴いたりするのが楽になったことに気づきました。

少なくとも大学院生時代に感じた、「英語じゃなくてドイツ語なら、何とかついていけます…」みたいなためらいがなくなって、「未だに下手ですけど、一応英語でも大丈夫です」と言えるようにはなってきたと思います。

英語に対するHassliebe(愛憎)を無くす、というのが英日通訳として入社した目的だったので、完全ではないにせよ、少しずつ達成に近づいているのかな…と思います。

長くなりましたが、上で書いた私の上達の鍵を握ったのは「必要性」です。もっと大げさに言えば「生存本能を刺激された」です。「やばい、○○語できないと〇ぬかもしれない…」と思うと、本当に上達します。人間の生に対する欲求の強さは侮れません。

ちなみに、通訳をした後はアドレナリンが大量に分泌されるせいで、普段は陰気な私も物凄くハイになります。「だから通訳はやめられないのです」とか書くと、薬物の代わりに通訳をしているように誤解されそうで、それはそれで困りますが…。

「必要性」メソッドの難点は、一難去るとせっかく覚えた単語を忘れがちなのです。なので、難は多いほど、間隔は短いほど、忘れる暇がなくなるので良しです(マゾ?)。

もう一つの上達の鍵は「好奇心」ですね。私は語源を調べるのが大好きですが、知的好奇心から学んだ単語や表現は、試験対策で覚えさせられるものよりも頭に残りやすいです。

ただ、残念ながら世の中で求められる「必要性」と自分の内から湧き上がる「好奇心」は常にマッチするわけではないので、「好奇心」メソッドでは覚える単語がマニアックなものになりやすいという難点を抱えています。精神衛生上はこちらの方が良いのは疑う余地がありませんが……。

で……

こうやって「いつ自分の語学力が実質的に伸びたのか」が見えてくると、同時に、今勉強している他の言語がなぜ伸びないのかも見えてきます。

なので、「どうして○○語はできないんだ? 自分に向いていないのか? やり方が悪いのか?」と愚痴ることもできません。

例えば私が勉強している言語の1つにフランス語がありますが、これは8年前にC1を取得して以降、一向に伸びる気配を見せていません。8年前、C1を取ったときは、仕事でフランス語が必要だった(「できればなお良し」)頃でした。今はその「必要性」が無い。

動画を観て意味が分からなくても、本を読むのが遅くても、困るのは自分だけ。やはり「他人様に呆れられてしまうのではないか…」という恐怖感やプレッシャーがないと、私の語学学習はだらけてしまうようです。

何て不健康なものを趣味に、仕事にしてしまったんだ、私。

と言うことは、フランス語でお金をもらうような機会を自分で作れば、かなり密度の濃い学習ができ、目に見えた上達ができるのかもしれませんが、今は別にそんなことをする機会もやる気も無いので……。私のフランス語は、これからも休眠状態を続けることになるのでしょう。

最後に重要なことを付記しますと、

上記では、私が上達の手ごたえを感じた時期に絞って書いていますが、大事なことは「下ごしらえ」にもある程度の時間がかかる、ということです。

私の考えでは、この「下ごしらえ」にあたるものが、世間一般で「語学学習」と言われているもののように思えます。文法学習や、単語の暗記、基本的な会話や聴解、作文の練習などがこれに当たります。

広い意味での「語学学習」では、こういう所謂「ザ・語学」をある程度終えた後にも次のステージが控えていて、そこで各人各様な形で揉まれたり、楽しんだり、あるいは揉まれるのを楽しんだりして、「使える語学」を身に着けていくのだと思います。

なので、私は、必ずしもすぐに実践に飛び込む必要はないと思いますし、一見遠回りのように見える座学も、ある程度はやったほうが良いんだろうなと思います。私は座学をやってから実践に移ったので、座学をしない場合どれだけ効率が良いかを自分で試すことができないので、こうとしか言えないのが私の限界でもあるのですが…。

結論。

「知りたい」と「生きたい」は、語学学習においても強力なモチベーションの起爆剤になることをお伝えして、本稿を締めくくりたいと思います。

ここまでお読みいただきありがとうございました!🍀

【画像】jitheshkt さま【Pixabay】