レバーのために泳いでいた私
4歳からスイミングスクールに通っていた。
ある日、母に聞かれたことがある。
「幼稚園とプール、どっちに通いたい?」
私は迷わず「プール」と答えた。
こうして私は幼稚園には通わず、週に2日、バスと電車を乗り継いで、その辺りでは有名なスイミングスクールへ、母と通うことになった。
母は泳げない。
それがコンプレックスだったらしい。
「子どもには水泳を習わせる」
そう決めていたようだ。
スイミングスクールに着くと、受付でロッカーの鍵を受け取るのだが、なぜか毎回男の子用の鍵を渡される。
そのたびに母は、
「女の子です!」と怒っていた。
ショートカットならまだしも、私はおさげ髪だった。
母が憤慨する気持ちも分かる。
レッスン中、母は2階のガラス張りの観覧席から私を見守っていた。
とにかく泳げるようになってほしかったのだろう。
しかし私は進級テストになかなか合格できない。
進級すると旗がもらえるのだが、それが欲しくてたまらなかった。
同じクラスの子たちがどんどん進級していくのを見て、母は
「ちゃんとコーチの言うとおりにやるのよ」
と発破をかける。
泳げない母の娘だもの。
なかなか進級しないのは遺伝だったのかもしれない。
レッスンが終わると、パンとコーヒー牛乳を買ってもらえた。正直、私はそれを楽しみに通っていた。
スイミングそのものは、それほど好きではなかった。
そんな1年を過ごし、ある程度泳げるようになった私は、年長さんから幼稚園にも通うことになった。
家から5分ほどの幼稚園もあったが、母はその制服が気に入らなかった。
白いブラウスに紺色のスカート、黄色いバッグ
いたって普通だ。
選ばれたのは、少し遠くの幼稚園だった。
ベージュのスモックにブラウンのベレー帽、水色のバッグ。今思い返しても可愛い制服だった。
その幼稚園は教育方針も少し特徴的だった。
配られる教材の絵本には、漢字にふりがなが付いていない。自然に漢字が読めるようになるためだという。
俳句かるたもあり、私は幼稚園の頃から俳句を覚えた。
今でもしっかり記憶に残っているし、かるたも大切に保管してある。
あの幼稚園は本当に楽しかった。
でも、近所の同級生たちとは別々になってしまい、それだけは少し寂しかった。
今振り返ると、母は少し変わった親だったかもしれない。でも、良い選択をしてくれたと思う。
小学生になると、今度は家からバス停二つ先に出来た、新しいスイミングスクールへ通うことになった。
最初は母と一緒だったが、そのうち一人で通うようになる。往復のバス代と、瓶のオレンジジュース代を握りしめて。
レッスンが終わると、まず瓶のオレンジジュースを飲む。それが私にとっての「やりきった!」の合図だった。
そして帰りのバス停をスッと通り過ぎ、近くのスーパーへ向かう。スーパーの前では、いつもおじさんが焼き鳥を焼いていた。
「レバー1本ください」
そう、私はバスに乗るより焼き鳥を選んだのだ。
私は一人、焼きたてのレバーを頬張りながら、バス停二つ分の道のりを歩いて帰る。
家に帰れば夕飯なのに、お腹が空いて我慢できなかった。小学1年生の私は、焼き鳥のレバーを楽しみにスイミングを頑張っていたのである。
スイミングは2年生で辞めた。
3年生になると選手コースへの進級が決まり、練習時間が遅くなって一人では通えなくなるからだ。
でも、その頃には十分泳げるようになっていた。
母も納得して辞めることを許してくれた。
大人になった今、泳ぐ機会はほとんどない。
それでも水に入れば、きっと普通に泳げると思う。
そう考えると、あの頃スイミングに通わせてくれた母には感謝しかない。
私にとって「プール」といえば、進級テストでもタイムでもなく、瓶のオレンジジュースと焼き鳥のレバーという、なんとも渋い記憶である。
