鉄路に刻まれた「エネルギー」と「復興」の記憶:常磐線線全史
1. 黎明期:黒いダイヤを運ぶ「海岸線」
1889年〜1898年: 常磐炭田の石炭を首都圏へ運ぶ「エネルギー輸送」を主眼に全通。
平坦なルート: 勾配のきつい東北本線のバイパスとして、海沿いの平坦な道を選んだ「海岸線」がルーツ。
2. 鉄道史の教訓:三河島事故(1962年)
三重衝突の惨劇: 三河島駅での衝突事故により160名が犠牲に。
安全の原点: この事故を機に、日本中にATS(自動列車停止装置)の整備が義務付けられ、現代の鉄道安全の礎となりました。
3. 技術の壁と「キニ55」の知恵
デッドセクション: 石岡の地磁気観測所を守るため、取手〜藤代間に交流・直流の切り替え地点を設置。
高価な交直流電車の代役: 荷物輸送に高価な交直流電車を使わず、あえて気動車のキニ55を投入。水戸機関区に配属されたわずか4両の「荷物専用気動車」は、常磐線ならではの運用の妙でした。
4. 狂騒の184日間:つくば万博
万博中央駅: 現在のひたち野うしく駅の場所に、半年間だけ存在した伝説の臨時駅。 つくばで開催された万博へのアクセス駅として機能しました。
エキスポライナーとドリーム: * 20系寝台車や583系、さらにはEF81が牽引する客車列車など、国鉄の総力を挙げた輸送作戦。
宿泊施設不足を補うため、土浦駅などで寝台車に泊まれる「エキスポドリーム」も運行されました。
5. ついに消滅「田端の誇り」:神立試単(かんだつしたん)
常磐線には、機関車が主役となる瞬間が残されていました。
田端からの使者: 田端運転所(現・首都圏本部)の乗務員訓練や車両確認のため、機関車が単独(単機)で走る試運転。
ルート: 田端を出発し、常磐線を駆け抜け、神立駅で折り返して再び田端へ。
鉄道ファンの日常: EF81形など、かつてのスター機関車がヘッドマークを外した「素顔」で、訓練のために黙々と走る姿は、沿線のファンにとって特別な風景です。
6月頃まで寝台特急カシオペアの牽引機の為在籍していたEF81機関車がカシオペアの運用に付く前に試運転として毎週木曜日に走っていました。ですがカシオペアが廃止になり、EF81機関車も廃止になりました。
6. 現代への進化:上野東京ラインと震災復興
2015年: 上野東京ライン開通により「品川直通」が実現。上野駅の「北の玄関口」としての役割を超え、都心を貫く大動脈へ。
2020年: 東日本大震災から9年。富岡〜浪江間の再開により全線復旧。特急「ひたち」が再び品川から仙台までを繋ぎ、復興の象徴となりました。
なんとなくの歴史はおわかりですか?
写真無くてごめんなさい。
写真入手出来たらまた再投稿します。
それでは ありがとうございました。
