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考える=コスパ悪い?それでも手放せない理由|『自分の頭で考える』を読んで

書店で、タイトルだけで手に取ってしまう本、ありませんか?

先日、まさにそれをやってしまいました。
手に取ったのは『自分の頭で考える 世界をもっとおもしろくする方法』という一冊です。

副題からしてもう、私の好みど真ん中でした。
考えることが好きで、身の回りの現象とか、教師として子どもたちと関わる中で見える世界とか、そういうものをもっと面白がりたいと思っている自分にはたまらないタイトルでした。

中身は、30人の書き手によるショートエッセイ集。理論物理学者からゲームクリエイター、棋士、シンガーソングライターまで、肩書きもバラバラの30人が「考える」というテーマで書いています。


「理解する」は、情報を持つことじゃない

いちばん目が止まったのは、理論物理学者の武田紘樹さんの文章でした。

「理解するとは、単に情報を所有することではなく、全体を再構築できることだ」

本書P8より

そんな一文があります。

今の時代、情報を持つこと自体は簡単です。AIに聞けば、それっぽい答えがすぐ返ってきます・・・でも、それを自分の中で並べ替えて、再構成できるかどうかは別の話だよなぁと、妙に納得してしまいました。

同じ文章の中に、「人生は何かするには短いが、何もしないには長い」という一節もありました。

考えることはパフォーマンスが悪い。もっと早く答えを知る方法はいくらでもあります。

それでも、考えることでしか変えられないものがあるんだよなぁと、しみじみ思いました。


「問いとの往復運動」が、考えるということ

もう一人、ゲームクリエイターのところにょりさんの文章も面白かったです。

私は授業やワークシートを、なるべくゲームみたいに楽しくしたいと思っていて、ゲームづくりの裏側にはずっと興味がありました。

ところにょりさんいわく、ゲームの企画を考えるとは「何かを言葉へと落とし込む作業」だという。

言語化という道具を使って、言語化できない領域を探り、問いを立てる。その問いとのやりとりを繰り返すことが、考えるということだそうです。

「なんでだろう」 「よくわからない」

そのやりとりを繰り返すことが、考えることそのもの・・・すごく腑に落ちましたし、これは子どもたちにも見せたい感覚だなと思いました。


教師はAIに代われる、という仮説を立ててみた

内容に触れすぎるとネタバレになるので控えますが、教員としていちばん納得したのは「AIも人間も、そんなに変わらないんじゃないか」という話でした。

AIは膨大なデータをもとに、話す内容や対応を決めています。だとすれば、人間もそんなに変わらないのかもしれません。

Aという行動をした子にはA'、Bという言葉を使った子にはB'。学級や社会で起きるCという問題には、C'という対応がいいんじゃないか。ある程度経験を積んだ人なら、そういう型を持っているものだと思います。

だったら、実態のあるAIさえいれば、教師はいらなくなるんじゃないか。

そう考えてみたこともあります。でも、絶対にそうはならないと思っています。

教師という仕事は、感情で動く仕事だからです。

精神をすり減らしながら、1日中子どもや、時には保護者と関わり続ける仕事。感情はよくも悪くも行動を変えてしまうし、データ通りの対応をできるほど、人はロボットじゃありません。

そこにこそ、考える余地が生まれるんだと思います。

とても素敵な本でした。

これからもAIとうまく付き合いながら、考えることはやめたくないなと思っています。

noteは、そうやって考えたことを発信できる、私にとって大事な場所です。読んでくださったみなさんの考えとも、いつか重なったり、ちょっと違ったりしながら出会えたら嬉しいです。

最近、「これって何でだろう」と考え込んだこと、ありますか?
良かったらコメントください。交流して考え合いましょう。

ではでは。

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