幸せになることより幸せにすることのほうが難しい
自分が自分を幸せにすることって、すごく簡単だ。
おいしいごはんを食べればいい。じわりと肉汁が流れるハンバーグ、つるりとしたコシのあるうどん、ほかほかのお米。
想像するだけでお腹がすく。あの美味しさを思い出すと、きっと幸せな気持ちになる。口と心が暖かい。ほかほかのごはんに包まれている。
たくさん寝ればいい。悪夢を見ることがあるだろうけど、きっといい夢も見るはずだ。それに、よく寝ると明日をいい気分で迎えられる。好きな人と添い遂げる夢だろうか、それともテーマパークで遊びまくる夢だろうか、大きいパンケーキの間に挟まって寝る夢だろうか。
いい夢を見たときは思考が暖かさで包まれるからきっと幸せな気持ちになれる。
たくさん触れあえばいい。好きな人の身体に触れて、体温を感じることができる。とくとくと脈打っている。あたたかい。個人個人の身体によって違うけれど、暖かくて、部位によっては硬かったり柔らかかったりする。触れているのは滑らかで蕩けそうな肌だろうか、ゴツゴツでたくましい肌だろうか。そのどれでも、好きだと言いながら中で一つになれることができるのならきっと幸せな気持ちになる。抱きしめても2つしかなれないけど、つながることはできる。
ただ、私はこれらのことを与えることができない。彼に直接与えることができない。
おいしいごはんを食べさせることも、たくさん寝かせていい夢を見せることも、触れ合って快楽を得させることも、何もできない。彼はそれを私に望まない。
自分自身が幸せになることよりも、 好いている人を幸せにすることのほうがずっと、私にとっては難しい。
私にできることは祈ることだけだ。
私の手料理でなくていいから、おいしいごはんをたくさん食べてほしい。頬を膨らませ、胃も心も満たしてほしい。私とともに寝なくていいから、たくさん眠っていい夢を見てほしい。深い眠りについて、新しい素敵な朝を迎えてほしい。私と触れ合わなくていいから、触れていて幸せだと思うようなメンバーと一緒にいてほしい。その心地よさに全身で浸かっていてほしい。
私のことなんて幸せにしなくていい。なんなら気にしなくていい。そのへんに散らばっている道端の枯れ葉のようなものだと思っていて。
私の手が届かない場所で、彼が彼自身の温もりに包まれていること。
それが今の私にできる小さな小さな愛の形だから。私が幸せになるための絶対条件だから。全部自己満足の言い訳だから。
