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町工場が困ったら読むシリーズ:BCP ラダー図

愛知県知立市、名鉄の線路からもほど近い工業の一角に、どっしりと構える「中西工業」。

金型用鋼材の焼き入れを専門にする、従業員24人の小さな町工場だ。その社長室で、所長の髙橋が青い顔をして頭を抱えていた。

​そこに、地元の商工会からの紹介で初めてやってきた中小企業診断士の勉強中の男――ワタナベが、スーツのジャケットを整えながら静かに足を踏み入れた。

​「初めまして、商工会のご紹介で参りましたワタナベです。髙橋社長ですね。お話を伺いましたよ」

​髙橋は慌てて立ち上がり、差し出された名刺を受け取ると、すがるような目でワタナベを見据えた。

​「ワタナベさん、来てくれてありがとう……! いや、最近のニュースで南海トラフの特集を見たんだよ。もしうちの会社に大きな地震が来て、そのまま停電になったら……もう、うちはおしまいだなって思ってさ」

​ワタナベはふっと息をつき、自動車会社の生産技術者としての血が騒ぐのを覚えた。

​「停電ですか。確かに、この知立周辺も揺れるときは大きく揺れますからね。でも、工作機械が止まるだけなら、電気復旧後に再起動すればいい。何がそんなに怖いんですか?」

​「工作機械じゃないんだよ。うちの命綱である『大型の加熱炉』だ」

​髙橋はワタナベを工場の一番奥にある熱処理エリアへと連れていった。そこには、数百度から千数百度の高熱を放つ、巨大な焼き入れ炉が鎮座していた。炉の周りには、炉体を冷やすための水冷ジャケットへ水を送り込む「冷却水の循環ポンプ」が、静かにうなりを上げて回っている。

​「分かりますか、ワタナベさん」髙橋の声がわずかに震えていた。「この炉は、中が真っ赤に燃え盛っている。もし地震が起きて、電気がプツッと切れたとするだろ? そうすると、この循環ポンプが即座に止まる。水が回らなくなるんだ」

​ワタナベの目が鋭く光った。

​「……なるほど。炉体に残った強烈な熱が逃げ場を失い、冷却水路や配管のパッキンが熱暴走でパーになる。最悪の場合、ルツボや炉の内壁そのものが自らの熱で歪み、溶け落ちる(メルトダウン)わけですね」

​「そういうことだ!」髙橋が血相を変えてうなずいた。「工作機械なら保険や補助金で買い直せる。でも、こんな特注の加熱炉の炉体が溶けたら、復旧には半年以上、数千万円の損害が出る。周りの設備も全滅だ。うちみたいな小さな会社は一発レッドカードで倒産するよ」

​「だからといって、工場全体をカバーするような巨大な非常用発電機なんて、何百万もかけて入れられない……ですよね」

​「そうなんだよ! だから悩んでるのさ。どうすればいいんだよ、ワタナベさん」

​ワタナベは腕を組み、現場のコンクリート床を軽く踏みしめた。

​「全社を救う必要はありません。中小企業のBCPは、もっとピンポイントでいいんです。守るべきは全社じゃなく、『絶対に止めちゃいけない心臓部』だけ。つまり、あの冷却水の循環ポンプを冷やし続けるための『専用のバックアップ電源』を置きましょう」

​「電源を……?」

​「はい。高価な大型発電機ではなく、主電源とは切り離した『産業用の小型蓄電池』をポンプのすぐ横に置くんです。ただのポータブル電源じゃだめですよ、産業用のしっかりしたやつをね。高圧電源です。そして、地震の揺れで棚の下敷きになったり配線が引きちぎられたりしないよう、耐震の架台にがっちり固定する」

​髙橋の目が少しだけ希望の光を帯びた。「なるほど、ポンプだけを冷やし続けるバッテリーか……! それならうちの予算でもなんとかなるかもしれない。よし、さっそく明日、その蓄電池を買ってきてポンプの横に置くよ!」

​しかし、ワタナベは首を横に振った。

​「甘いですよ、髙橋さん。バッテリーを置くだけじゃ、意味がない」

​「え? どういうことだ?」

​「地震の最中、工場の中は真っ暗になり、激しい揺れで人間は一歩も歩けません。『停電したから、手動でコードを差し替えに行こう』なんて、そんなの映画のワンシーンだけです。電気が消えた瞬間、人間が何もしなくても、コンマ数秒で自動的にバッテリーからの給電に切り替わる。その仕組みがなければ、意味がないんです」

​髙橋はハッとした顔をした。「たしかに……! 揺れの中で誰がそんな面倒な切り替え作業をやれるんだよ」

​ワタナベはポケットから手帳と黒いボールペンを取り出し、近くにあった作業台の上の白紙に、サラサラとペンを走らせた。

​「安心してください。こういう時のために電気回路があるんです。ちょっと、そこの制御盤を開けてもらえますか?」

​髙橋がドライバーで古い制御盤の扉を開けると、中にはごちゃごちゃとしたリレーや配線が詰まっていた。ワタナベはその配線図をチラリと見てから、手元の紙に鮮やかな手つきで1枚の回路図――ラダー図を書き上げていった。

​「ワタナベさん、これは……?」

​「商用電源の死活を監視する無電圧リレーをここに挟みます。普段は通常の商用電源からポンプへ電気を送っているけれど、地震などで主電源がパチンと落ちた瞬間、その『電気の断絶』をリレーが瞬時に検知する。そして、ガチャンと接点が切り替わり、あらかじめ用意した蓄電池からのルートへと電気を流すんです」

​ワタナベが描いたラダー図には、商用電源と蓄電池の電気がぶつかってショートするのを防ぐための、堅牢な電気的・機械的インターロックのロジックが美しく描かれていた。

​「難しいシーケンス制御は必要ありません。中小企業の現場で大事なのは、『シンプルで、誰がメンテナンスしても壊れないこと』。

このロジックなら、うちの若い電気担当のやつでも盤に組み込めます」

​髙橋は差し出されたラダー図を両手で受け取り、穴が空くほどじっと見つめた。そこに書かれているのは、ただの線と記号ではなく、この工場と従業員の生活を守り抜くための確かな道筋だった。

​「ワタナベさん……商工会の紹介で来てくれたのがあんたで本当に良かったよ。自動車会社の生技にいたってのは伊達じゃないな」

​「なに、現場の血が騒いだだけですよ」ワタナベはフッと笑い、ペンを胸ポケットに収めた。「さ、図面は書きました。あとはこれをあの若い子に渡して、今週末にでも模擬停電テストをやってみてください。『主電源を落とした瞬間、ポンプが止まらずに唸りを上げ続けるか』、自分の目で確かめるんです」

​「ああ、分かった! すぐにやらせるよ!」

​髙橋の顔から不安の色は消え、代わりに強い決意の色が浮かんでいた。

​数日後、中西工業の工場内で、パチンとメインのブレーカーが落とされた。工場中が暗転し、重苦しい静寂が訪れたその瞬間――。

​カチッという乾いたリレーの音が響き渡り、ほんの一瞬の空白の後、蓄電池から送られた電気によって、冷却水の循環ポンプが何事もなかったかのように力強い唸りを上げて動き始めた。

​その様子を見守っていた髙橋と若い電気担当者が、思わずガッツポーズを交わして顔を見合わせた。

​遠く名鉄の電車の音がゴトゴトと響く知立の町で、技術と泥臭い1枚のラダー図が、今日も一つの町工場の未来を静かに、そして確実に守り抜いていた。

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