カリスマ性

私は、組織のトップに立つ人間には独特のカリスマ性が備わってくると思っている。それは生まれつきの才能というよりも、その地位が人間を変えるからである。

会社の社長という立場は、想像以上に孤独な仕事だ。社員はもちろん、役員や幹部にも相談できないことがある。最終的な決断は自分で下さなければならず、その結果についての責任も自分が引き受ける。会社が成功すれば賞賛されるが、失敗すれば責任はすべて社長に集中する。

しかも、その責任は勤務時間だけのものではない。二十四時間三百六十五日、常に会社のことを考え続けることになる。社員が帰宅した後も、休日も、夜中に目を覚ました時も、社長という立場から逃れることはできない。

そうした重圧の中で何年も決断を積み重ねていると、人間には自然と独特の風格が生まれる。周囲から見れば、それがカリスマとして映るのである。

一方で、私はパワハラをする上司を高く評価しない。

怒鳴る、威圧する、恐怖を与える。そうした方法で部下を動かすことは確かに可能である。しかし、それは相手を力で従わせているだけであり、本当の意味で人を動かしているわけではない。言い換えれば、パワハラをしなければ組織を動かせないということは、自分の影響力がそこまでしかないということである。

優れた社長は違う。

社員に命令するだけではなく、「この人についていこう」と思わせる。会社の将来像を示し、社員の意欲を引き出し、組織全体を同じ方向へ向かわせる。さらに、その影響力は社内にとどまらない。取引先や金融機関、株主や地域社会に対しても働きかけ、多くの人々を巻き込みながら事業を前進させる。

考えてみれば、社長という存在は権力だけで人を動かしているのではない。むしろ信頼や期待、利益や理念によって人を動かしているのである。

だからこそ、大きな組織になればなるほど、威圧型のリーダーは通用しなくなる。数十人なら怒鳴って動かせるかもしれない。しかし数百人、数千人、あるいは取引先や社会全体を巻き込む規模になれば、恐怖による支配には限界がある。

最終的に人を動かすのは、命令ではなく求心力である。

社長のカリスマとは、生まれながらの才能でもなければ、演技でもない。重い責任を背負い続け、孤独な決断を繰り返し、その結果として周囲から自然に認められる影響力のことである。

本当に優れた社長ほど、怒鳴らない。

なぜなら、怒鳴らなくても人が動くからである。

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