オウム真理教のエリート主義

オウム真理教について、「高学歴の若者がなぜ麻原彰晃のような人物に従ったのか」と問われることが多い。しかし、この問いには少し誤解がある。高学歴であったにもかかわらず入信したのではない。むしろオウムは、高学歴者のエリート意識を宗教的な選民思想へ変換することによって勢力を拡大したのである。

しかも、そのエリート主義は教団の飾りではなかった。世界を「救済する側」と「救済される側」に分け、麻原の命令を受けた少数者だけが真理を知っているとする思想は、やがて一般社会の人間を犠牲にしてもよいという論理へ転化した。オウムがテロへ進んだ過程は、宗教が突然狂気に陥った歴史ではない。エリート主義が排他主義となり、排他主義が暴力を正当化し、専門知識を持つ信者たちがその暴力を実行可能な兵器へ変えていった歴史である。

麻原彰晃は、ヨーガや密教、超能力、終末予言などを混合し、自分だけが最終的な真理に到達した「尊師」であると称した。教団内では修行によって人間の霊的段階が上昇するとされ、信者は細かな位階に組み込まれた。これは一見すると世俗社会の学歴競争を否定する思想に見える。しかし実際には、偏差値、試験、昇進という競争を、修行、解脱、ステージという別の競争へ置き換えたものだった。

学校や会社では、難関大学を出ても組織の一員にすぎない。ところがオウムに入れば、自分は堕落した大衆とは異なり、人類の真実を知る少数者になれる。理工系の学生や医師などにとって、自分の能力が世界救済という巨大な目的に直接結びつくという物語は魅力的だった。一般社会では若手の一技術者にすぎない者が、教団では大臣となり、国家規模の計画を任される。オウムは、若いエリートに能力に見合う地位を与えたのではない。能力以上の使命感と全能感を与えたのである。

ここでは麻原の知的水準が信者より高い必要はなかった。教祖の役割は、科学的な問題を自分で解くことではなく、「人類を救済せよ」「兵器を作れ」「敵を排除せよ」と目的を与えることだった。実際の設計、実験、調達、製造は、科学技術を学んだ信者たちが担当した。麻原の妄想と、信者の専門能力とが分業されたところに、オウムの危険性があった。

教団は1984年に前身となるヨーガ道場として始まり、1987年にオウム真理教を名乗り、1989年には宗教法人となった。同じ1989年、教団を批判し、被害者側の相談に乗っていた坂本堤弁護士と妻、幼い子どもが殺害された。この事件の時点で、オウムはすでに信仰共同体から犯罪組織へ変質していた。外部からの批判を議論で処理せず、「救済を妨害する敵」として消してしまったからである。公安調査庁「オウム真理教問題デジタルアーカイブ」

決定的だったのは、1990年の衆議院議員選挙である。麻原を含む教団関係者は「真理党」を結成して立候補したが、全員落選した。教団は、自分たちが真理を語れば社会は受け入れると考えていた。しかし現実の有権者は、彼らをほとんど相手にしなかった。

普通の政治団体なら、選挙結果を分析し、政策や運動方法を修正する。しかし、絶対的真理を自称する集団には自己修正ができない。自分たちが正しいことが前提なのだから、拒絶した社会の方が間違っていることになる。選挙の失敗は、教団の誤りを証明するものではなく、社会が悪業に覆われ、救済を拒んでいる証拠として解釈された。

ここでエリート主義は反社会思想へ反転した。われわれは社会から理解されない先覚者であり、一般人は真理を理解できない愚かな大衆である。国家、警察、司法、報道機関は、救済を妨害する魔の勢力である。この論理に入れば、社会との対話は不要になる。選挙で支持を得る必要もない。なぜなら多数決で真理が決まるわけではなく、真理を知っているのは麻原とその弟子だけだからである。

教団は富士山麓などに閉鎖的な拠点を築き、出家信者を一般社会から隔離していった。信者は家族、職業、財産を捨て、情報を教団に依存するようになる。内部では麻原の言葉だけが現実を説明し、批判や離脱は霊的な堕落とされた。さらに「ポア」という言葉によって、殺人さえも相手の魂をよりよい世界へ移す救済行為だと読み替えられた。

これは単なる詭弁ではない。人を殺してはならないという通常の倫理より、麻原の判断の方が高い次元にあるとするエリート主義の帰結である。一般人には殺人に見えても、真理を知る者には救済である。こうして犯罪を行う者ほど、高い秘密を託された優れた弟子だと感じられる倒錯が成立した。

教団はやがて、化学兵器や生物兵器の開発を進め、サリン、VX、青酸ガス、炭疽菌、ボツリヌス菌などを用いた計画を実行しようとした。荒唐無稽な実験も多く失敗したが、サリンについては実際に製造と使用に成功した。公安調査庁の事件資料によれば、教団は化学兵器や生物兵器を用い、数々の凶悪事件を引き起こした。

1994年6月、長野県松本市でサリンが散布され、多数の死傷者が出た。目的は、教団に不利な判断をすると予想された裁判官らを狙うことにあった。ここではすでに、司法手続で争うという発想が消えている。裁判所は従うべき国家機関ではなく、教団を弾圧する敵とみなされた。自分たちに不利な判決を出す可能性があるなら、裁判官を住民ごと化学兵器で襲ってよいというところまで、選民思想は進んでいた。

1995年に入ると、警察の強制捜査が迫っているとの危機感が教団内で強まった。そこで3月20日、幹部信者たちは東京の地下鉄車内にサリンを散布した。狙われた路線は、霞が関の官庁街へ集まる路線だった。国家中枢を混乱させ、捜査を妨害することが目的だったとされる。結果として多数の人が死亡し、数千人が被害を受ける、日本社会で例のない無差別テロとなった。地下鉄サリン事件の公式資料

地下鉄に乗っていた人々は、教団と何の関係もなかった。オウムを批判したわけでも、捜査に加わったわけでもない。それでも彼らを巻き添えにできたのは、一般市民がすでに一人ひとりの人生を持つ人間として見られていなかったからである。彼らは「救済されていない大衆」「悪業に支配された社会」「国家機構を動かす群衆」の一部にすぎなかった。

この非人間化こそ、エリート主義とテロを結ぶ環である。

自分たちだけが真理を知っていると考えれば、他者の意見を聞く必要はなくなる。自分たちだけが人類を救えると考えれば、その救済を妨げる者は敵になる。敵が真理を理解できないほど愚かだと考えれば、説得する必要もなくなる。そして、相手を殺すことさえ高次の救済だと定義すれば、暴力への最後の歯止めも外れる。

高学歴者がいたためにオウムが危険になったというだけではない。高学歴者の専門能力が、自己修正を拒む教祖の世界観に従属したために危険になったのである。科学は目的を決めない。サリンを合成する知識は、それを作るべきかどうかを教えてはくれない。医師、科学者、技術者が倫理的判断を教祖に委ねれば、高度な知識は人を救う手段にも、大量に殺す手段にもなる。

オウム真理教は、非合理な宗教が科学に敗れた事件ではなかった。非合理な目的が科学技術を支配した事件だった。教祖の終末妄想だけなら、荒唐無稽な予言で終わったかもしれない。しかし、そこへ選民意識を持った信者が集まり、組織、資金、研究設備、専門技術を与えたことで、妄想は物質になった。予言はサリン製造施設となり、敵視は暗殺となり、世界最終戦争の幻想は地下鉄テロとなった。

オウムの教訓は、「頭のよい人でもだまされる」という程度のものではない。知的能力は、思想の正しさも倫理性も保証しない。むしろ、自分は凡人より真理に近いという確信を持った人間が、絶対的指導者に判断を預けたとき、その能力は妄想を合理化し、計画に変え、実行するために使われる。

オウム真理教は、エリートを否定した集団ではない。自分たちこそ世界を救う真のエリートだと信じた集団だった。そして、社会がその資格を認めなかったとき、社会の方を抹殺すべき敵とみなした。テロはエリート主義から逸脱して起きたのではない。自己を絶対化し、他者を人間として見なくなったエリート主義の、ほとんど必然的な終着点だったのである。

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