教養は資本主義的能力だ。

かつて日本で「哲学」といえば、ほとんどドイツ哲学のことだった。デカルト以後、とりわけカントからヘーゲル、さらにマルクス、ニーチェ、フッサール、ハイデガーへ続く系譜が、哲学一般を代表しているかのように扱われていた。

しかし、それは明らかに日本特有の偏りである。ドイツ哲学は哲学の一分野であって、哲学そのものではない。欧米ではギリシャ・ローマの古典が哲学教育の基礎に置かれ、哲学と聞けば、まずプラトンやアリストテレスを思い浮かべる人も多い。これに対して日本では、哲学といえば難解なドイツ語の概念を使って世界や人間を論じる学問だというイメージが強かった。

フランス哲学の扱いも象徴的だった。サルトル、メルロ=ポンティ、構造主義以後の思想家は、しばしばフランス文学の研究者によって紹介された。フランス哲学は独立した哲学の本流というより、フランス文学の細かな分類の一つとして扱われていたのである。日本の大学制度では、ドイツ哲学だけが「哲学」の名前を独占し、フランス思想は文学部の各国文学科に押し込められていた。

そのドイツ哲学には、戦前からエリートの教養というイメージがあった。法学部の学生や官僚を目指す若者までカントを読み、法律や行政の技術だけではなく、人間、国家、道徳、自由とは何かを考えようとした。実際にどこまで理解していたかは別としても、少なくとも難しい本を読み、抽象的な問題について考えることが、社会を指導する立場の人間に必要だと思われていたのである。

戦後も、その残像はしばらく残っていた。私が大学へ入った一九八〇年代にも、哲学にはまだエリートの教養という雰囲気があった。しかし、すでにその権威は崩れ始めていた。

連合赤軍事件や日本赤軍のテロは、直接にはドイツ哲学の事件ではない。しかし、マルクス主義を中心とする難解な思想が、革命運動や内ゲバ、テロと結びついたことで、「思想を学ぶ人間は立派である」という戦後知識人の権威は地に落ちた。哲学や思想は社会を導く教養ではなく、現実から遊離した人間が閉じた集団の中で先鋭化する、危険で暗いものだと思われるようになった。

現在では、哲学を学んでいると言っても、エリートの教養とは受け取られないだろう。暗いオタクがやっている変わった趣味、という程度の印象かもしれない。その一方で、哲学カフェや一般向け入門書には一定の需要がある。哲学の読者が消えたわけではない。ただ、哲学は社会的地位と結びついた教養ではなく、個人が自分の関心で楽しむ趣味へ変わったのである。

問題は、哲学の権威が失われたこと自体ではない。ドイツ哲学を哲学一般とみなす必要もなければ、カントを読まなければエリートになれないという決まりもない。問題は、古い教養主義を壊したあとに、それに代わるエリートの教養を何も作らなかったことである。

その結果、試験に強く、組織内の調整に長け、上司の意向を正確に読み取れる人間なら、官僚にも大企業の役員にもなれるようになった。しかし、文学も哲学も歴史も知らず、美術や音楽にも関心がなく、それを恥じることさえない。そういう人間が社会の意思決定を担っている。

文化は、役職に就いたあとで金を払えば買えるものではない。高級ホテルへ行き、高級車に乗り、高価な絵を買えば文化人になれるわけではない。文化的な判断力は、長い時間をかけて本を読み、作品を見て、偽物や凡庸なものにも触れながら養うしかない。金は必要だが、金だけでは真贋を見分ける目は買えない。

これは装飾的な教養の問題ではなく、資本主義的な能力の問題でもある。何に価値があり、何が長く残り、どこに金をかけるべきかを判断できなければ、高付加価値の商品は作れない。ブランドとは、単に高い値段をつけることではない。素材、技術、歴史、物語、造形の微妙な違いを理解し、それを一貫した価値として提示することである。

文化水準の低い経営者には、その差が分からない。高級品を作れと言われれば、原価の高い材料を使い、機能を増やし、値段を上げればよいと考える。しかし、それでは高価格品にはなっても、高級品にはならない。真贋を見分けられない人間には、本物を作ることもできないからである。

日本製品が高級品の領域で世界的ブランドを作りにくい理由の一つは、経営者や官僚の文化的貧困にあるのではないか。技術力はある。品質管理もできる。だが、何を美しいとし、どのような物語を与え、何を削って何を残すべきかを判断する教養が弱い。文化を余計な趣味として排除した結果、資本主義の最も高度な領域である価値の創造まで苦手になった。

ドイツ哲学をありがたがっていた昔へ戻ればよい、という話ではない。必要なのは、社会を動かす人間には専門知識以外の教養も必要だという、当たり前の認識を取り戻すことである。哲学がエリートの教養でなくなったことよりも、教養のない人間がエリートを名乗って恥じなくなったことの方が、はるかに深刻なのである。

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