理系に行きなさい。

ものすごく当たり前の前提を言う。

科学ができるなら、科学へ行きなさい。

これは「行ったほうがいい」という助言ではない。「行きなさい」という命令形である。それだけ強く言っておかなければ、十八歳くらいの人間は、「文系なら一ランク上の大学へ行ける」「数学を使わないほうが受験が楽だ」という目先の計算に流されるからだ。

数学や自然科学を本格的に理解できる頭脳は、誰にでもあるものではない。日本人の1割を除いて、大学入試程度の高度な数学、物理、化学を自在に扱えるわけではない。さらに、長い訓練を受けて工学や情報科学の技術まで身につけた人は希少である。

希少な能力には、社会から資源が配分される。研究費、設備、大学院教育、企業の開発部門、専門職採用が理系へ重点的に向けられるのは、社会に理系信仰があるからではない。科学技術を扱える人間が少なく、その一方で必要性が高いからである。

それに対して文系の能力は、輪郭が曖昧である。文章を読める、話ができる、社会問題に関心がある、歴史が好きだというだけでは、職業上の専門能力にならない。文学部や法学部を卒業しただけで、文学者や法律家になれるわけではない。所属していた学部名と、社会で売れる技術との間に距離がある。

もちろん、文系にも法曹、会計、行政、金融、報道、研究、経営など高度な仕事はある。しかし、それらは文系学部へ進学すれば自然に身につく能力ではない。学部の外側で試験を受け、実務を学び、人間関係を作り、競争に勝たなければならない。文系は自由なのではなく、職業能力の形成を本人に委ねているのである。

「大企業の経営者には文系出身者が多い」という話も、それだけでは何も証明しない。企業が採用してきた文系学生の母数が10倍大きいのだから、役員や経営者にも文系が多くなるのは当然である。見るべきなのは人数ではなく、採用された人数のうち何人が経営者になったかという確率だ。また、経営者になるには技術だけでなく、組織運営、財務、人事、営業、政治的調整が必要だから、文系出身者が多いこと自体も不思議ではない。だからといって、理系を捨てて文系へ行けば経営者に近づく、などという話にはならない。

理系の強みは、大学名とは別に、専門技術が残ることである。機械、電気、化学、建築、情報といった分野をきちんと修めれば、「何ができる人なのか」を説明しやすい。数理的な手順、モデル化、測定、検証、コンピュータによる処理をするからプログラミングはできる。専門分野の職がなくても、追加の訓練によってITやデータ処理へ移る足場がある。

文系にはその足場が自動的には与えられない。専門能力を別に作らなければ、卒業後に残るのは大学名だけになる。その大学名の効力が切れたとき、何ができるのかを問われる。そこで答えられなければ、仕事の選択肢は一気に狭くなる。文系には配達の仕事しかない、というのはもちろん誇張である。しかし、専門技術を持たない人間が、誰でも参入できる労働市場へ押し戻されやすいことは事実である。

だから、理系科目ができるのに、「文系へ行けば一ランク上の大学に入れる」という理由だけで文転するのは勧めない。大学名の一ランクと、一生使える専門能力を交換してはいけない。

極端な比較をすれば、東大文学部と大阪大学工学部機械工学系のどちらが上かと言えば、阪大機械工学科の方が社会的信用は大きい。阪大で機械工学を修めた人のほうが、「何ができるのか」が明確であり、職場の選択肢も広い。入試偏差値や大学名だけを見て、東大だから無条件に上だと考えるのは、高校生的な世界観である。

文系のほうが楽そうだ。一ランク上の大学へ行けそうだ。有名大学の看板を得られそうだ。その程度の理由で決めてはいけない。十八歳の一年間の受験勉強を節約した代金を、その後の人生で何十年もかけて支払うことになる。

理系の人がこのブログを読んでいるとは、あまり思わない。理系の人は、こんな長い文章を読んでいる時間があれば、数式を一つ追い、プログラムを一本書き、実験結果を確認したほうがいい。

それでも間違ってここまで読んでしまった人には、最後にもう一度だけ言っておく。

科学ができるなら、科学へ行きなさい。

そして、こんなブログを読むより、数学の問題を一問解きなさい。

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