大英帝国ギャグ
英国人と話していると、ときどきうんざりすることがある。いわゆる「大英帝国ギャグ」である。
「昔は世界を支配していたけれどね」というような、自虐なのか自慢なのか分からない冗談を、いまだに平気で口にする人がいる。本人は気さくなジョークのつもりなのだろう。しかし、こちらからすると少々寒い。
そのネタは、もう何十年も前にモンティ・パイソンが徹底的に料理してしまった。今さら東洋人相手に同じネタを披露されても、「またそのネタか」という感想しか出てこない。
もちろん、こちらは笑う。異文化交流なのだから空気は読む。しかし、笑えば笑ったで、どこか相手は物足りなさそうな顔をする。どうやら、こちらが理解して笑うだけでは足りないらしい。「私は帝国を笑い飛ばせるリベラルな英国人です」という自己演出まで含めて受け止めてほしいのだろう。
しかし、そこに私は強い違和感を覚える。
それこそ帝国主義ではないか。
帝国主義とは、軍隊や植民地だけを意味するのではない。何を語ってよいのか、何を笑ってよいのか、そのルールを自分が決めることでもある。
植民地を支配した側が、「この歴史はもう笑い話にしていいよね」と先に宣言する。その瞬間、歴史の主導権は依然として支配した側にある。支配された側は、その笑いに付き合うか、空気を壊すかの二択しか与えられない。
つまり、自虐を装いながら、会話のルールそのものは自分が決めているのである。
それは、帝国を批判しているように見えながら、なお帝国的な態度ではないだろうか。
私は英国のユーモアそのものを否定するつもりはない。皮肉や逆説を重ねる文化は、英国文化の大きな魅力でもある。しかし、自らを「帝国を反省できる成熟した国」と演出するために帝国を笑いの道具にするのであれば、その反省はずいぶん都合のいいものに見えてしまう。
本当に歴史を反省するのであれば、まず支配された側がどう受け止めるかを考えるはずである。自分が気持ちよく自虐を披露することではない。
だから私は、大英帝国ギャグを聞くたびに、少し白けてしまう。
帝国を笑い飛ばしているようでいて、実際には「帝国をどう笑うか」という主導権まで自分たちが握っている。その構図自体が、帝国主義の名残なのである。
もっとも、その姿は現在の英国そのものを象徴しているのかもしれない。かつて世界を支配した巨大な帝国は、いまや世界を動かす力よりも、「昔は帝国だったんだよ」と自分で語ってほしがる存在になった。帝国主義は消え去ったのではない。ただ、その形が変わっただけなのだ。軍艦や植民地ではなく、歴史をネタにして注目を集める「かまってちゃん」へと変わったのである。それは少し滑稽であり、同時に、現在の英国の立ち位置をこれ以上ないほど象徴しているように私には思える。
