芋出し画像

ハワむは䜕でも知っおいる

ひずりで、日本ぞ垰っおくれ

俺は、珟地人になった。

そう皆に䌝えおくれ。


倫になったばかりの倫は、新婊の私にこう蚀い攟った。


目が点になった蚘憶はあるのに、
どうしお、怒らなかったんだろう。

あの頃、「成田離婚」ずいう蚀葉が流行はやっおいた。
新婚旅行で盞手の蚀葉や態床をキッカケに
成田空枯でそのたた離婚する、ずいうもの。


どうしお、流行はやりに乗らなかったんだろう。



劻になったばかりの私は、
ただケラケラず笑っおいるだけだった。

なんで 、笑っおいられたんだろう



新婚旅行で、生たれお初めお
倖囜の地をこの足で螏んだのは、
サンフランシスコだった。

けれども、その日はちょうど
埩掻祭むヌスタヌで、街じゅうが䌑暇をずっおいた。
レストランも、カフェも、どこもかしこも。

スマホもむンタヌネットもない時代に、
䜕も知らないたた、初海倖ぞ出お
お腹をすかせお、街じゅうさたよい歩いた。
どこぞ行っおも、店は閉たっおいた。


おたけに雚たで降っおきお
月のサンフランシスコの倜は
寒くお、ひもじくお、わびしかった。



移動した先は、ロサンれルス。

ロサンれルスずいえば、「ロス疑惑」

日本じゅう、䞉浊和矩事件の話題でもちきりだった。

濃い茶色のサングラスの目の奥には
どんな深い闇がひそんでいるのか。

い぀どこで銃で撃たれるか、分からない、
い぀倫に保険金をかけお殺されるか分からない、
そんな恐怖に、口には出さなくずも
女性たちは少なくずも私はおずしいれられた。

※「ロス疑惑」「䞉浊和矩事件」ずは 
幎、䞉浊和矩元瀟長の劻䞀矎さんが殎打、銃撃され死亡した事件に関し、幎以降、「疑惑の銃匟」「ロス疑惑」ずしお連日TVや週刊誌などで報道されおいた事件。
幎、殎打事件にからみ、殺人未遂容疑で䞉浊元瀟長を逮捕、幎に実刑刀決。
幎、銃撃事件の殺人容疑で逮捕。䞀審で無期懲圹。幎に日本で無眪確定。
その埌、幎サむパンで逮捕、ロスぞ移送された埌、自殺。


圓時、ロスに䜏んでいた友人は、

「ロスでは車から降りるず危ないのよね。
 だから、駐車堎が広いお店は避けおいるの」

ず蚀っおいた。
その蚀葉が頭を離れなかった。

「倖は、危ないから歩かない方がいいよ」

それが、友人からのアドバむスだった。



いく぀もの透明な゚レベヌタヌが
近未来映画のようにそびえ立぀
りェスティン・ボナベンチャヌでは、
ホテルの䞭の移動でさえも、緊匵感が
身䜓じゅうに匵りめぐらされるのを感じた。

ホテルの䞭で、女性が男性に殺される、
そんな事件がふさわしい異囜の地に感じられた。


アメリカ本土が、そんな緊匵感ず
寒さず、ひもじさず、わびしさの旅だったから。



新婚旅行、最埌の぀目の地
日本ぞ垰る経路䞊のハワむに降り立぀ず、
艶やかな蘭のレむをかけられ、出迎えを受けた。
濃厚な赀玫をたずった蘭は、たるで氎のしずくを
含んでいるようにみずみずしく、華やかだった。

真倏のようにあたたかな日差しを济びお
人々はムヌムヌやアロハを着お、笑っおいた。


・・・・・

ここは、倩囜なのでしょうか

これが、地䞊の楜園ずいうものですか

そんな別䞖界が、広がっおいた。


たぶしいほどの陜の光を受けお
たおやかに波打぀、ワむキキの青い海。

怰子の朚ず極圩色の熱垯怍物に囲たれた
ヒルトン・ハワむアン・ビレッゞの
ガヌデンプヌルは、青くきらめく氎をたたえ、
リゟヌトを楜しむ人々を、どこたでもやさしく
包み蟌んだ。


日が沈んでも、街は眠らない。
カラカりア通りを行き亀う人々の
笑い声ずさんざめき。
どこかから聞こえおくる、南囜のミュヌゞック。
毎日が、お祭りのようだ。


ここでは、愉楜的なくらしを
ハワむのすべおが、あたたかく受け入れおくれる。


しかし 
ハワむでの日間は、実にあっずいう間に
終わりを告げた。

ホノルル空枯で、アロハシャツを着た倫は
日本ぞの垰囜䟿の搭乗を埅っおいる間に、
私にこう宣蚀したのだ。


ハワむに、䜏みたい

ひずりで、日本ぞ垰っおくれ

俺は珟地人になった、ず皆に䌝えおくれ



その気持ちを、䞀瞬でも
理解しおしたった自分がいた。

なにせ、リゟヌト地なるものを
生たれお初めお䜓隓しおしたったのだ。
人ずも代、若い庶民には刺激的すぎた。
ハワむの魅力は、あたりに倧きすぎたのだ。


けれど、今ならば 
きっず

䞀緒に珟地人になろう

 そう蚀うのでは、ないだろうか

䞀緒にハワむに䜏もう

 そう蚀うのが、倫婊の正解なのではなかろうか


あの頃は、ただ
倫婊がひず぀の単䜍、っおこずに
慣れおいなかった、のだろう。

 きっず、お互いに。

あのずき、䞀緒にあははず笑っおいたから。

成田離婚しなかったから、
人の子どもが生たれお、成長した。


成田で離婚しおいたら、
人の人間が、この䞖に存圚しおいなかった。
そう思うず、ちょっずしたこずで
人人にもならなかったかもしれないの運呜っお
床倉わっおしたうのだなあずしみじみ思う。




その埌、ハワむを蚪れたのは
子どもが生たれお、歳半になった頃。

B型ベビヌカヌにやっず乗れるようになるのを
埅ち構えお、折りたたみ匏の軜いベビヌカヌに
子どもを乗せ、人でワむキキを散策した。

ハナりマ湟にも、赀子を連れお行った。
匷い日の光に照らされお、錻ず頬を
赀くした長男は、本圓に赀子になっおいた。


レンタカヌを借りお
カむルアビヌチたで赀子を連れお行き、
癜い砂浜の波打ち際で、碧い氎ずたわむれた。


カむルアビヌチにお 1999


こんなに矎しい海が実際にあったんだ。
そう思った。



宿泊先のホテルを遞ぶ基準は、
炊飯噚があるかどうか、の点だった。

卵アレルギヌで
卵を食べられない赀子に
いかにしお、日本にいるずきに近い状態で
飢えさせずに生かしおおくこずができるか。


フルキッチンを備えた、“むンペリアル” ず
いう皇垝のような名前を冠したコンドミニアム。

ここでは、ベッドが壁に内蔵されおいお、
壁にしか芋えないのに、取っ手を匕っぱるず
ベッドが、シュルシュルず床に䞋りおきた。

ほヌっ、感嘆のため息を぀いお
これが、ハワむのコンドミニアムずいうものか、ず
いたく感激した。


炊飯噚で癜ご飯を炊き、
スヌパヌで買っおきた食材を
やわらかく煮たり焌いたりしお
歳児に食べさせた。


レストランでスパゲティを食べる際には、
日本から持っお行った赀ちゃん離乳食甚の
ハサミで、チョキンチョキンず
スパゲティを短く切っお、食べさせた。



その次に、ハワむを蚪れたずき、
家族は、人に増えおいた。


赀子だった長男は、小孊幎生になっおいお
人目の次男も、保育園の幎長クラスになっお
迎えた倏䌑みのハワむ旅行。


ダむダモンドヘッドに登ったずきには、
ちびっ子兄匟が私を远い越しお
身軜にひょいひょいず、ものすごいスピヌドで
駆け䞊がっおしたうものだから、
必死にあずを远いかけお山頂たで駆け䞊がるず
心臓がバフバフず波打っお
吐きそうになった。


そんな颚に、子ども達は力匷く成長しおいたのに。

小孊生ず幌児、子どもを人も連れお行く
のだから、やはりホテルじゃなくお
キッチン付きのコンドミニアムじゃないず。

炊飯噚も、できればほしい。

けれども、通垞、ワむキキでキッチンがある
コンドミニアムのプヌルずいえば、
四角ばった、ただ泳げるずいうだけのプヌルが倚い。

小孊校の氎泳授業で䜿うプヌルず同じようでは
せっかくハワむに行っおも、気分が䞊がらない。


そんな䞭で芋぀けた、流線型の流れるプヌル。
土地の狭いワむキキで、これは貎重。

ぜったいに、ここに泊たりたい。

それに、“キチネット” ずいう小さめの台所もある。

階には、おにぎり屋さんたで入っおいた
ワむキキ・サンドビラずいう可愛いホテル。
※珟圚は、りェむファむダヌ・ワむキキ
 ずしおリニュヌアルされおいる


ワむキキ・サンドビラ圓時のプヌル


しかし、キチネットずいう存圚を過倧評䟡し
過剰な期埅をしおしたった私は、
スヌパヌで買っおきた倧きなアメリカの
分厚い牛肉を、小さなカットボヌドず
ペティナむフのようなコンパクトサむズの包䞁で
人数分に切ろうずしお、汗だくのくたくたになるのだ。

コンロの火口の数も、人家族にフルサむズの
ディナヌを䜜ろうずするには、少なすぎお、
芁するに足りなかった。


料理する気たんたんで
日本から、米やら調味料やらいろんな物を
スヌツケヌスにいっぱい぀め蟌んで来おいた
だけに、そう簡単に匕き䞋がるこずはできなかった。


日䞭、ビヌチやプヌルで泳いだだけでも
熱い日の光で照らされお
身䜓はすでに十分疲劎しおいたけれど、
スヌパヌぞひずりで買い出しに出かけお
しこたた食材を買い蟌んで垰った。


ワむキキの歩道ですれちがう人が
私の顔をけげんそうに芋おいた。

なんでそんな目で芋られるのだろう、ず思ったけれど。


それはきっず、
この日本人女性は、なんでたあ
こんなにも疲れ切った様子で
足をフラフラずも぀れさせながら
スヌパヌの重そうな買い物袋を䞡手に䞋げお
このワむキキを歩いおいるの



 ず思われたからだ。

飲食店は、そこらじゅういっぱいあるのに。



今ならば、
あのずきの自分に蚀っおあげたい。

せっかくのハワむなんだから、
レストランで、ハワむのものを食べればいいじゃないの。

リゟヌトたで来お、買物ず料理、掗濯。
家事をしお、そんなにクタクタになっお 。




その埌、ハワむを蚪れたのは
ハワむ島だけに行ったずきから
たた数幎の時を経お、機䌚があった。


子どもたちは、人ずも倧孊生になっお
東京ぞ行っおしたっおいた。

次男の倧孊受隓を終えた、その安堵感から
家族人で旅行に行けるうちに
家族旅行で海倖に行きたい。
行き先は、やっぱりハワむに行きたい。

長男が、院詊や就掻で忙しくなる前に。

たしおや、就職しおしたったら
もう家族人で海倖たで行くのは、日皋的に難しくなるだろう。

行くなら、今でしょ。

そう蚀ったのは、私だった。



ワむキキの喧噪ずもいえるにぎやかさ、
匷い日差しず、歩いお行けるビヌチ。

リゟヌトずしお高玚感のあるハワむ島よりも
ワむキキの雑螏ずビヌチの同居の方が
懐かしかった。


もはや、赀子でも幌児でもなく、
歳ず歳のよく食べる男子倧孊生
人を連れお。


このずき、ふたたびフルキッチンず炊飯噚
のあるコンドミニアム、むンペリアルに
宿泊するこずにしたのは、
子どものお腹を心配したのではなく
倧人の財垃を心配したからだった。


自炊を、時折はさみながら
適床に、レストランの飲食もビヌチも楜しむ。

完璧な家族旅行蚈画、に芋えた。



しかし、それらは根底から芆されるこずずなる。



ハワむ旅行の日目、

ポリネシアン・カルチャヌセンタヌぞ
私たちは向かっおいた。


サンフランシスコ-ロサンれルス-ハワむ
ずいう、あの新婚旅行から垰っお来た際に、
おみやげを枡しに行った元䞊叞の仲人から
蚀われた
「ポリネシアン・カルチャヌセンタヌには
 行かなかったの
 あそこは、いいよヌ」
ずいう蚀葉が、蚘憶の奥底にこびり぀いおいお
い぀か行こう、ず思っおいたのが倧きかった。


そこで、ハワむの文化を自分だけでなく
子どもたちにも感じさせおあげようず思った。



ワむキキから、北の方の裏ラむ゚にある
ポリネシアン・カルチャヌセンタヌたでは
オアフ島をほが瞊断するような距離がある。


ツアヌバスに乗り蟌み
ポリネシアン・カルチャヌセンタヌに向けお
長い山道を出発したずき、
倫の携垯電話が、鳎った。



それは 
倫の母芪が危節だ、ずいう
倫のきょうだいからの知らせだった。


蚀葉を倱う、ずいうのは、
こういうこずを蚀うのだろう。

今、私たちがいるハワむず日本ずの距離を
考えるず、絶望ず埌悔が頭を占拠した。



ハワむに、来るべきではなかった 


倫の母芪は、数幎前から入退院を繰り返し
もう長いこず、入院しおいた。


最埌に私たちが、病院ぞ芋舞いに行ったずきには
スりスりず眠っおいた。



ハワむぞ行く数日前になっお、倫は突然
「俺は、やっぱり残る。人で行っお来お」ず
蚀い出した。

驚いお、
「えヌっ
 人で行くずいうのは、家族旅行の意味がない。
 人で行くくらいなら、皆やめるよ」
ず蚀うず、倫は、しばらく考えおいたが、
病院ぞひずりで母に䌚いに行くず、
「眠っおた。倧䞈倫だろう」
ず、ハワむ行きを䞭止はしなかったのだった。



うなだれおいる私たちにはお構いなしに
バスは、いく぀かのハむりェむを高速で飛ばし
いく぀かのトンネルを通過した。

そのずき
ツアヌバスのガむドが、目の前にある
トンネルを指さしお、蚀った。


「今これから入るトンネルには、蚀い䌝えがありたす。

 トンネルを通り終えるたでの間に

 願いごずをかければ、その願いごずは叶う。


 そう蚀われおいたす」


願いごずが、叶う 

その蚀い䌝えは、たるで今の私たちのために
あるように、思われた。

私たちは、最埌の望みをトンネルに蚗した。



どうかお母さんの呜を、私たちが日本ぞ垰る

たでは、もたせおください。

どうか、神様 

お母さんの呜の灯火を、消さないで䞋さい。


ぎっちりずかたく぀ぶった目の奥には
现い现い、今にも消えそうなロり゜クの火が
ゆらゆらず揺らめいおいた。

長く぀づく暗いトンネルの䞭、バスの
ゎオヌッずいう走行音だけが響き、
私たちは、祈りを捧げ぀づけた。



どうか、願いを叶えおください。

お母さんの呜を、絶えさせないでください。

お願いです。

お母さんを、助けおください。




バスは、長い長いトンネルを抜けた。




数分埌、倫の携垯電話が鳎った。




それは 
倫の母の死を知らせるものだった。



間に合わなかった。

生きおいお欲しかった。


トンネルでの願いごずは 
叶わなかった。



バスが、ポリネシアン・カルチャヌセンタヌ
に到着しおも、私たちはひたすらスマホで
垰りの航空刞を調べ続けた。

ポリネシアの民族衣装を身に぀けた人々の
華やかな螊りも、楜しげな玠晎らしいショヌも
もうすべおがどうでも良く、埌悔の察象ずなった。



あのずき、ハワむに行かず残るずいう倫を
私が止めたから、倫は母芪の死に目に䌚えなかった。

私が、悪かったんだ。
私の、せいだ。


ハワむから垰っおも、私は自分を責め぀づけた。



埌悔ず自責の思いから抜け出すこずのできない私に
倫は、蚀った。

「あのずき、病院から電話がきお
 すぐに病院ぞ向かったきょうだいだっお
 死に目に䌚えなかった。

 だから、俺が日本に残っおいたずしおも
 どっちにしおも
 間に合わなかったんだ」 


蚀葉に救われるずいうこずがあるのなら。

きっず、このずきのような
誰かの蚀葉によっお、わずかばかりでも
心が救われるこずを蚀うんだろう。



このずきの家族旅行のハワむは
苊い苊い蚘憶ばかりが、先に立぀。



その埌、家族人で海倖を蚪れたこずは、ない。




コロナ犍が、䞖界をゆるがし
海倖はおろか、倖出するにも甚事がなければ
家の倖にも出られない期間があった。


長男が倧孊を卒業する幎、
倧孊の卒業匏は、䞭止ずなった。
幎埌、倧孊院の卒業匏孊䜍蚘授䞎匏は
芏暡が瞮小され、䞀郚の孊生しか出られなかった。
長男は、ひっそりず卒業し、就職しおいった。

家族人の海倖旅行なんお、倢のたた倢、
になった。




前回のハワむでの傷が癒えおきた頃、
倫婊人で、ハワむを床蚪れる機䌚があった。




幎の月。
コオリナで数日間を過ごした埌は、
やはり、ワむキキで過ごしたいず思った。

歩道のアスファルトに、誰かの濡れた裞足
の足跡が、そのたた残っおいるようなワむキキで。



そしお 
長男が歳の赀子だった頃に、
レンタカヌで連れお行った、カむルア・ビヌチ。



今回は、レンタカヌではなく
“ザ・バス” ずいう路線バスに乗り
バス停からは、おくおく分以䞊歩いお
カむルア・ビヌチを蚪れた。



癜い砂浜ず矎しい゚メラルドグリヌンの海は
幎以䞊の時を経おも、倉わっおいなかった。



ストアで買ったゎザを
「あのずき、この蟺に座ったかな」
ず蚘憶をたどりながら、
幎前に座ったあたりの砂浜に、敷いた。



青ずいうより
碧の透き通った氎が
波で砂を巻き䞊げ、アむボリヌになる。

匕く波が結構぀よいので
泳ぎやすい深さのずころたでは行かず、
波打ち際で遊ぶこずにしたのは、
あのずきも、今も同じ。



カむルアビヌチにお 2026



ただ、決定的に違うのは、
子どもがいない

ただ、そのこずだけだった。



倫にも、私にも
そのずき脳裏には、歳の赀子が
氎䞭オムツず黄色い氎着を着お
珍しそうな顔をしお、波ずたわむれおいる。

赀子の手をがっちりず぀かんで離さないように
私の手の平は、砂のように癜くなっおいる。



カむルアの柄んだ氎は
寄せおはかえし
癜い砂を巻き䞊げお
やがお、匕いおいく。



ハワむは、家族の歎史を映しながら
そこにあり続けおいる。




「そろそろ、垰ろうか」


倫が、翳っおきた空を芋䞊げお
蚀った。


ホテルに、垰ろう。



そしお
あず日もすれば、たた日本ぞず垰囜する
こずも、分かっおいる。



人で䜏むには、広くなりすぎおしたった
あの家ぞ。





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#家族旅行
#子䟛
#倫婊

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