施設を探し続けた1年
義母の初七日を終えても、まだ気持ちの整理などつくはずもありませんでした。
それでも、私には次にやらなければならないことがありました。
父がこれから暮らす施設を探さなければなりません。
施設を探すにあたって、私が一番に考えたのは、何かあったときにすぐに駆け付けられる場所であることでした。
それまで父が暮らしていた帯広までは、札幌から高速道路を使っても片道二時間半ほどかかります。
これから先のことを考えると、できるだけ私の近くにいてもらった方がいい。
そう考え、札幌市内で施設を探すことにしました。
まずはインターネットで施設を調べながら、自分なりに父の暮らす場所として譲れない条件を考えていきました。
•落ち着いて暮らせる環境であること。
•入居者の人数があまり多すぎないこと。
•認知症があっても受け入れてもらえること。
•部屋に一人きりで過ごす時間ばかりにならないこと。
•そして、毎日の食事がきちんと考えられていること。
ホームページでそれらを一つひとつ確認し、口コミにも目を通しながら、良さそうだと思った施設には連絡をして、実際に見学させてもらいました。
ところが、調べれば調べるほど、ホームページだけでは分からないことがたくさん出てきます。
写真ではとてもきれいで設備も充実しているように見えても、実際に話を聞いてみると、その設備を利用するには別料金が必要だったり、
生活の中のさまざまなサービスに追加料金がかかったりする施設もありました。
また、父には帰宅願望があったため、認知症の受け入れが可能と書かれていても、実際には入居を断られることもありました。
「ここなら」と思える施設が見つかっても、今度は満室で入ることができません。
札幌にはこんなにたくさん高齢者施設があるのに、どうして父の暮らす場所が決まらないのだろう。
そんなことを何度も思いながら、時間だけが過ぎていきました。
父がお世話になっていた老健にも、なかなか施設が決まらないことを相談しました。
本来なら次の施設へ移ることを考えなければならない時期でしたが、
「納得のいく施設が決まるまでは大丈夫ですよ。」
そう言っていただけたことで、焦って決めるのではなく、もう少し時間をかけて父に合う場所を探すことができました。
その言葉には、本当に救われました。
そんな中、私の職場からも近く、希望していた条件にも合いそうな施設を見つけました。
「今度こそ決まるかもしれない。」
そんな期待を持って見学へ行ったのですが、施設の方から詳しく話を聞いてみると、そこには自分で動くことが難しくなった方が多く入居されていて、
まだ自分で歩くことのできた父には、少し環境が合わないように感じました。
また振り出しに戻ってしまったような気持ちでしたが、このとき改めて、
施設はホームページを見るだけでは分からない、実際に足を運んで、その場所の様子を見て、そこで働く方の話を聞かなければ分からないものなのだと痛感しました。
ところが、その施設から帰ろうとしたときのことです。
施設の方から、
「同じ系列に、お父様に合いそうな施設がありますよ。一度見学してみてはいかがですか。」
と声を掛けていただきました。
教えていただいた施設は規模がかなり大きく、入居者の人数が多すぎないことを条件の一つにしていた私にとって、それまでは選択肢に入れていなかった施設でした。
それでも、せっかく教えていただいたのだからと、日を改めて見学することにしました。
実際に行ってみると、私が想像していた大規模施設の印象とは少し違っていました。
レクリエーションの種類も多く、看護師さんが常駐し、内科の先生も定期的に往診に来てくださる。
薬の管理もしていただけるなど、日々の生活から医療面まで、施設の中でかなりのことに対応してもらえる環境が整っていました。
そして何より心に残ったのは、そこで働いている方々でした。
見学の際、施設長さんは私の話や希望を一つひとつ丁寧に聞いてくださり、看護師さんも父の状態について親身になって相談に乗ってくださいました。
設備や規模だけを見ていたら、私はこの施設を選ばなかったかもしれません。
けれど、実際に訪れて人と話してみたことで、
「ここなら父をお願いできるかもしれない。」
初めてそう思うことができました。
長く続いた施設探しの末、ようやく父がこれから暮らす場所が決まりました。
そして今も、父はこの施設でお世話になっています。
老健から新しい施設へ移る日、私は父に、
「私の家に遊びに行こう。」
そう言って車に乗ってもらいました。
本当のことをどう説明すればよいのか、私には分かりませんでした。
帯広から札幌まで約二時間半。
父を乗せて車を走らせながら、胸が痛みました。
こう言うしかなかった。
そう自分に言い聞かせながらも、
施設に着いたら、父に何と説明したらいいのだろう。
そんな不安がずっと頭から離れませんでした。
そして施設に到着したとき、私は父に何と言ったのでしょう。
不思議なことに、そのとき自分がどんな言葉で説明したのか、今では思い出すことができません。
ただ、施設の方や看護師さんが荷物を運び、ベッドを整え、新しい生活の準備をしてくださっている中で、
父がとても心細そうな顔をしていたことだけは、今もはっきりと覚えています。
何が起きているのか分からないまま、知らない場所へ連れて来られた父は、どれほど不安だったのだろう。
あのときの父の表情を思い出すと、今でも胸が苦しくなります。
それでも、父を誰もいない家に一人で戻すことはできませんでした。
これでよかったのだろうか。
ほかに方法はなかったのだろうか。
そんな思いがなくなったわけではありません。
それでもあのときの私には、父が安心して暮らせる場所を探し、そこへつなぐことが、できる精いっぱいのことだったのだと思います。
こうして、長い長い施設探しの日々が終わりました。
けれど、一つの問題が終わると、また次の問題が目の前に現れます。
父が施設へ移ったことで、今度は誰も住む人がいなくなった実家が残りました。
空き家のままにしておけば、家の管理も必要ですし、固定資産税や光熱費、火災保険などの費用もかかり続けます。
このままにしておくわけにはいかない。
そう考え、私は実家の処分に向けて動き始めることにしました。
ところが、父には認知症があります。
家を売ろうと思っても、私の判断だけですぐに売却できるわけではありませんでした。
父の家をどうするのか。
そのためには、まず何をしなければならないのか。
施設探しを終えた私が次に向き合うことになったのは、
これまで経験したことのない、成年後見制度の手続きでした。

