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”生・性・死”ー科学に裏打ちされた事実に、力をもらう。

今読んでる中村桂子さんの著書「生命誌とは何か」が、面白い。

とくに、”生・性・死”という単元に、こんなことが書いてあった。

酵母などの菌類、アメーバなどはゲノムを1セットしか持っていない一倍体細胞の生物であり、これらの細胞はいわゆる「分裂」という無性生殖を繰り返す。環境さえ整っていれば「死」は訪れず、個体としては永遠に生き続けることができる。つまり、酵母菌やバクテリアには本質的な死がない。ほぼ無限に増える能力を持っている。

一方、我々多細胞生物(二倍体細胞生物)は、ある程度分裂したらそれ以上は分裂できず、いずれ個としての死を迎える。つまり、死という概念は多細胞生物が生まれたことで初めて登場したことになる。

二倍体細胞だけではいずれ個体はなくなり、種も途絶えてしまう。そこで二倍体細胞の一部(性細胞)は減数分裂して一倍体になり、別の個体の一倍体細胞と接合して新たな二倍体細胞として蘇るという方法が工夫された(有性生殖)。

二倍体の細胞は、細胞死や個体死が訪れるけれど、その死を通して新しい「生」が生まれ、種を存続することができる。

こういうことって、高校や中学の生物で習った内容そのまんまだけど、なんだかドラマチックに聞こえる。驚いたのは、特に以下の記述。

つまり、生あるところに必ず死があるという常識は、私たちが二倍体細胞からできた多細胞だからです。本来、生には死が伴っていなかった。性との組み合わせで誕生したのが死なのです。逆の言い方をすれば、死を持つ二倍体の細胞がなんとかして命を繋いで行こうと工夫したのが性だったと言っても良いかもしれません。

中村桂子「生命誌とは何か」講談社文庫 p124

びっくり。

生と死って、当たり前に対の概念だと思ってた。だけど、言われてみれば確かに、全ての生命にその概念が当てはまるわけではない。

アメーバや酵母菌は、単細胞生物のまま分裂しながら生き続けている。

一方我々多細胞生物は、細胞分裂はするけれどある一定の回数分裂するとそれ以上は分裂せず「細胞死」が訪れる。私たちの体の中では、つねに細胞が分裂(生)と細胞死を繰り返している。

そして、心臓や脳の細胞が死ぬ時、個体としても死ぬ。

死はネガティブなイメージがある言葉だけれど、多細胞生物の細胞レベルで「細胞死」は、個体が生きるためには絶対に必要だ。細胞死はゲノムによっってプログラムされている機能だけれど、このプログラムが壊れると細胞死が起こらず、増殖し続けてしまう。こういう、増殖し続ける細胞を私たちは「がん細胞」と呼ぶ。細胞死がなければ、私たちのからだは健全に機能しない。

細胞死は生きるために必ず必要な機能であり、細胞の「死」は個体の「生」のために存在する。

このことを、中村氏はこんなふうにまとめている。

日常感覚では、生と死は対立するものであり、生は良いもの死は悪いものと位置付けられますが、細胞のレベルで見ていくと、それほど単純ではありません。むしろ、生のための死もあり、生と死はお互いに絡み合いながら生きることを支えていると捉えた方が良さそうです。

中村桂子「生命誌とは何か」講談社文庫 p131

痺れる。

(細胞が)死んでる時、(個体が)生きている。

相対する二つの概念が同時に成立しているけれど、今この瞬間も私たちの体の中で実際に起きている現象である。

なにか、教訓めいたものがあるわけでもないんだけれど。
こういう、「ただの事実」に、私はすごく、力をもらえる気がする。

何万年も前に生命が生まれてからずっと、どうやって生きてきたか?
個体の生死を繰り返しながら、その命をつないできたか?
いまこの瞬間私が、どのように生きているのか?

その仕組みは、自己啓発本に書かれているような立派な名言よりもずっと、私の心に響く。

それは、科学的に裏打ちされた事実が、一番真理に近いと感じられるから、なのかもしれない。


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