88歳の義母が旅立ちました|悲しさと安堵、最期を見届けて感じたこと
こんにちは、Junsaです。
先日、
「88歳の義母の入院で改めて感じた|健康寿命と幸せに生きるということ」
という記事を書きました。
※先日投稿した記事はこちら👇
義母はまだ入院中。
脱水症状そのものは治ったものの、自力で歩くことが難しくなり、退院後に入る施設を探しているところでした。
しかし、その後の展開は想像以上に早いものでした。
8月16日の早朝。
義母の呼吸が止まりました。
88歳でした。
✅施設が決まるまで、別の病院へ
施設が決まるまでの間、義母は別の病院へ転院することになりました。
脱水症状そのものは治っていたため、いつまでも入院を続けることはできなかったからです。
さらに、ストーマ生活をしていた義母を受け入れてくれる施設はそう多くなく、施設探しには少し時間がかかりました。
その後、ようやく施設は決まったのですが、転院して間もなく、原因のはっきりしない高熱が出ました。
それから、状態は一気に悪くなっていきました。
お見舞いに行っても、もう言葉を交わすことはできません。
目は半分ほど開いたまま。
頭や手足がわずかに動く程度。
食事も水分も口から取れず、点滴だけで命をつないでいる状態が続きました。
その頃には、家族の誰もが、
「もう、そんなに長くはないかもしれない…」
と、ある程度覚悟していました。
✅日に日に衰弱していく姿
お見舞いへ行くたび、つらいものがありました。
日に日に、手足の動きも少なくなり、呼吸も苦しそうになっていきました。
言葉を選ばずに書けば、
「ただ生きているだけ」
そんなふうにも見えてしまいました。
もちろん、生きていてほしい。
そう思う一方で、
「この状態が、このままずっと続くだけなのであれば…」
という気持ちもありました。
前回の記事でも書きましたが、義母は入院前、ときどき、
「身体中、悪いところばかりで、生きているのがつらい」
「もう死にたい…」
と、こぼすことがありました。
家族の中にも、その言葉はずっと残っていました。
✅悲しい。でも、少しホッとした
8月16日の早朝。
義母の呼吸が止まったと連絡を受け、親族が病院に集まりました。
そして医師から、亡くなったことを告げられました。
当然、悲しいです。
ただ、それとは別の感情もありました。
「やっと楽になれたんだな」
という安堵です。
こんなことを書くと、冷たく聞こえるかもしれません。
でも、日に日に衰弱し、苦しそうに呼吸し、食べることも飲むこともできない姿を見ていたからこそ、
「もう十分頑張った。これ以上は…」
そんな気持ちになりました。
悲しい。
でも、ホッとした。
人が亡くなったときの気持ちは、ひとつだけではないのだと思います。
✅8月16日、お盆の送りの日
義母が亡くなったのは、8月16日でした。
ちょうど、お盆の送りの日です。
偶然といえば、それまでです。
でも私たちは、
「先に逝った人たちが、迎えに来てくれたのかな」
そんな会話を口をしていました。
「もう十分頑張ったから、こっちにおいで」
と、先に旅立ったみんなが迎えに来てくれたのかもしれません。
そう考えると、少しだけ穏やかな気持ちになれます。
✅長生きすることと、幸せに生きること
先日の記事で、
「ただ長生きすることが、そのまま幸せとは限らない」
と書きました。
その記事を投稿した直後に、義母は亡くなりました。
だからこそ、改めて思います。
大切なのは、何歳まで生きたかだけではない。
元気に動けること。
自分で食べられること。
行きたい場所へ行けること。
会いたい人と話せること。
何気ないことですが、そうした日常こそが「幸せに生きる」ことなのかもしれません。
先日の記事で書いた「健康寿命」という言葉の意味を、義母の最期を通して、さらに深く実感した気がします。
今回は、義母が亡くなった直後ということもあり、今感じていることを、そのまま残しておこうと思い書きました。
義母へ。
88年間、本当にお疲れさまでした。
どうか、ゆっくり休んでください。

よければ、また覗きに来てください。
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