【人見知り】人間嫌い?人間好き?どっちが幸せだろう?
最近、困っています。
いえ、最近じゃあないですね。
私は東京に来てから、
陰キャになりました。
急に人見知りになりました。
それでも、人見知りしてても、
まだ人間に興味があることは可能です。
「人間観察は大事だ」
「人をよく観るんだぞ」
創作や表現を目指す上でも
人間観察の大切さはよく言われますね。
それから、
「人間への好奇心は旺盛に」
「人間が好きでいよう」
といった話もまた、
一般論として、ごく当たり前に、
真実として語られてきました。
さて。
果たしてそうでしょうか?
私も、最近まで、
こうした話は疑わずに受け入れ、
むしろそう信じてきました。
でも、人見知りで、
かつ、苦手な人が多いとなると、
ついつい、他人に対して、
苦手意識が強まってきたなと
感じてしまいます。
そうなると、
人間が苦手だというより、
人間嫌いにさえなってしまいます。
人間が苦手。
人間嫌い。
どちらも、
人間という存在を特別なものとして、
過度に扱ってしまっているのかな。
それが自意識というものか。
それにしても、
同じ人間、なぜ恐れる必要があるのか?
人がホラー映画を観るごとく
私は人間をこわごわと観ているみたい。(汗)。
人間が苦手な人。
人間嫌い。
自意識過剰人間。
ああ、よくよく考えたら
これらは、太宰治作品を構成する
ピースたちだ!
ここに来て、
ようやく自分が
この世に存在しても大丈夫かな?
と少し安堵してきました。
だって、
世にある人生論、人間論では
人を愛しましょう、
人間を好きになりましょう、
人間観察はとても大事だ、
そんな話が大多数です。
だから、
人間愛に欠ける私みたいな奴には
この世に存在してよいのかどうか?
いつも不安でしたが、
人間嫌いにだって、
生きる資格はあると思いたい。
人間嫌いな私にも
生きる権利と場所を与えてくれる
この人間世界は、
なんて素晴らしいんだろう?
感謝。
私みたいな陰キャの人間は
どこか希望を諦めていて、
世の中にも期待はしてません。
だから、性質的には、
性悪説で出来ている気がします。
反対に、
陽キャの人の人生論は、
きっと性善説にちがいない。
人や社会に色々と期待してる
ってことなんでしょう。
今度生まれかわれるなら、
陽キャの、底抜けに明るい人間に
なってみたいな(笑)。
それにしても、
人見知りになるなんてことは
なんの為に起こるのかしら?
子供や思春期の人間が
人見知りになるのは
ちゃんとした理由がありますよね。
不安定な魂を守るために
メンタルのよろいを硬くする現象ですね。
これから自立するゾって時の、
魂がまだか弱い時に、
身に起きる現象でしょう。
それがちょっと
人よりも長く硬くなってしまうのが
人見知りになるんですね。
まあ、うつ病持ちだし、
メンタルは弱いから、
いつも人見知りになって
自分を守ってくれているのかな。
(汗)。
人見知りってのは、
自分であやつることもできませんか。
やれやれ。
人間世界に生きていく以上は
人間好きでも、
人間嫌いでも、
人生やめる訳に行かないですから。
中高年の人見知りって、
なんのために必要なんでしょう(笑)。
