【つげ義春】人が苦手でも構わない、人間通でさえあれば!!
つげ義春さんが亡くなった。
本屋さんに行くと
やはり良い本屋さんは
追悼を祈念して平積みにしてますね。
つげ義春といえば
ふだんはマンガを読んできましたが、
追悼フェアでは
活字のエッセイ本も
何冊も並んでいます。
エッセイもまた
つげさんは上手いのかあ。
上手い、確かに上手い。
上手いと思うのは、
味があるとか、
文字を読んでいて景色や心理が
目に浮かぶからなんですが、
考えてみたら、
つげさんはマンガ家だ、
景色や心理描写がビジュアルとして
しっかり浮かんで当たり前でした(笑)。
この傾向を敷衍すれば、
マンガ家はたいてい
文字エッセイが上手いことになる。
エッセイが上手い人は多いとなる。
たしかに。
文字だけを相手に
エッセイの練習をするのは
上達の目処がなかなか
立たないでしょうけれど、
いかにビジュアルを引き立たせるか
それだけを考えて
練習に励むならば
上達も早くなるかもしれませんね。
マンガ家は毎日、
ビジュアルを相手に
練習してネームを書くように。
さて。つげ義春さんの話でした。
今朝も電車に乗りながら
つげ義春さんのエッセイを
読んでいたら、
もう会社になんぞ行きたくなく、
反対側の電車に乗って、
いっそ調布や高尾山にいって
しまいたくなりました。
つげワールドには、
「世捨て人だましい」がある。
世捨て人魂がこもってるんです。
つげさんを読んでると、
自分もむしょうに世捨て人に
なりたくなるんです。
絵柄、セリフ、文章、気配など、
全てが世捨て人マインド!
文学にも
姥捨山の話を純文学にした
深沢七郎さんがいましたね。
あと、橋本治さんも
どこか覚めた側面があった。
人には興味はある。
でも、人間の世界は嫌になる!
みたいな隠遁人らしさを感じる。
人間が嫌いというか、
人間の世界が苦手というか、
それでいて人間通という側面がある。
人間をよ〜く見てる。
たしかに、
つげ義春さんもそんな気がする。
でなきゃ人間を主役にしたマンガを
何十冊も書けるはずがない。
つげさんが求めていたのは、
もしかしたら、
桃源郷かもしれない。
究極の理想の国?里?村?
桃源郷。
なんの不安も心配もなく
生きて行ける安らぎそのもの。
新聞やネットの追悼記事では
やれ、それまでの漫画界に
衝撃を与えた前衛世界だとか、
もっともな話が並ぶけれど、
つげさんは、
永遠の桃源郷を求めた魂の
人だったのではないかしら?
人間はたいてい、
人間世界の中に頑張って
関わり、混ざり合って
生きていくんですが、
つげさんは最後まで、
人間世界に積極的に
関わり合うことなく、
世捨て人らしく桃源郷を
求めてたんじゃないかしら?
それが
前衛にも見えたし、
衝撃的でもあったということで。
つげさんを通勤時に
読むのは、
世捨てしたくなるから、
よした方がいいのかな?
私には、つげさんのように
世捨て人になる勇気が足らないらしい。
