いいんだか、悪いんだか
昨日、52歳の誕生日を迎えた。
50年以上生きていると、自分の誕生日だからといって、特別に深いことを考えるわけでもない。
東京から家に戻り、いつものように夕食を作った。
ただ、誕生日なので少しだけ豪華にしようと思い、クリスマスの食卓によく並ぶような骨付きの鶏もも肉を買った。
お義父さんと妻と私に、1本ずつ。
誕生日を迎えた本人が、自分で料理をして家族に振る舞う。
少し変な気もするが、それも悪くない。
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食事の前に、妻がお義父さんへ言った。
「今日はユウキの誕生日だよ」
すると、お義父さんが私に尋ねた。
「いくつになった?」
「52です」
そう答えると、お義父さんは、
「いいんだか、悪いんだか」
というようなことを言った。
思わず笑ってしまった。
確かに、いいんだか、悪いんだかである。
お義父さんはその後、特に何も話さなかった。
いつものように黙って、目の前の夕食を食べていた。
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お義父さんが生きてきた時代も、決して穏やかなものではなかった。
戦後の混乱があり、その後に高度経済成長があった。
暮らしは豊かになり、社会の仕組みも大きく変わった。
その先にはバブルの崩壊があり、長い経済停滞もあった。
振り返れば、十分に波乱万丈な時代だったと思う。
けれど、私たちがこれから経験する変化は、それ以上になるのかもしれない。
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私が生きてきた52年間だけを見ても、世界は大きく変わった。
インターネットが登場し、いつの間にか生活の一部になった。
スマートフォンが普及し、買い物も、予約も、支払いも、調べ物も、小さな端末の中でほとんど完結するようになった。
旅をひとつ取ってもそうである。
以前は電話で列車や宿を予約し、時刻表や地図を広げて行き先を調べた。
海外へ行けば、言葉の通じない場所で人に尋ねながら、手探りで目的地を目指した。
そこには、今では想像できないほどの手間と時間がかかっていた。
今はスマートフォンが、列車の時間も現在地も行き方も教えてくれる。
予約も決済も翻訳も、その場でできる。
そして今度は、AIがやって来た。
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数日前、私は8月22日に開催した約2時間の対談映像を編集していた。
3台のカメラで撮影した映像をつなぎ、音声を合わせ、字幕を入れ、約20分のダイジェスト版を作った。
字幕の誤変換を直し、章の切り替わりを調整し、サムネイルを何度も作り直した。
以前なら専門の業者に頼み、何度も打ち合わせを重ねなければできなかったような作業である。
それを私は、自宅のパソコンの前で、AIと相談しながら進めていた。
ほんの数年前まで、自分がこのようなことをしているとは想像もしなかった。
AIが仕事を奪うという話はよく聞く。
実際、これまで人が時間をかけて行ってきた仕事の多くを、AIが代わりにこなすようになるだろう。
けれど私には、奪われるという感覚よりも、これまで自分にはできなかったことができるようになるという感覚の方が強い。
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物事の定義そのものが、次々と書き換えられていく。
働くとは何か。
学ぶとは何か。
専門家とは何か。
お義父さんが経験した時代よりも、これからの変化は数倍、あるいは数十倍も速くなるのかもしれない。
そんなことを考える私の前で、お義父さんは骨付きの鶏もも肉を黙々と食べていた。
戦後から今日まで、いくつもの大きな変化を見てきた人である。
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来年の誕生日、私は53歳になる。
その頃、社会がどう変わり、私が何をしているのかは分からない。
昨日と同じように、自分で料理をしているかもしれない。
そしてお義父さんに年齢を聞かれ、また、
「いいんだか、悪いんだか」
と言われるのかもしれない。
