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魚醤を巡る #1|魚醤ってなんだ?

海外にいくと、日本の味が恋しくなります。

味噌や醤油、お酢にお酒。そこまで海外にいく回数が多いわけではありませんが、カンファレンスなどで長期出張に出る時は必ずスーツケースに醤油と味噌を入れ、現地の食材を使って日本食アレンジをするほど「あの風味」が欲しくなります。

恋しくなるのは発酵食。それと出汁。つまり旨味。
これまでの活動で旨みや素材、そして魚醤事業を引き継いだことで「魚醤」というもの自体がめっちゃ面白い、ということに気がつきました。

魚醤は古来より日本にあり、そしてアジアやヨーロッパにも起源を持ちます。明治になって市販の醤油が全国に行き渡るまで、各地で魚から作った醤油が使われていたことなど、知らなかったことがちらほら。

ということで、これから何回かに渡り魚醤を巡るリサーチをまとめていきます。 石毛直道先生の研究チームがまとめた名著「魚醤とナレズシの研究」を紐解きながら、AIを用いてリサーチした内容に基づき整理していきます。

主目的は自らの学びのためです。魚醤を作る以上、魚醤のことをちゃんと理解したい。ただ、調べれば調べるほど、ローカルに根付いたこの不思議な調味料について、多くの人と改めて注目した方がよいのではないか。そんな気持ちが強くなっています。

自らの研究のため、そしてそれがローカル固有の新しい取り組みにつながるヒントになれば。

※調べた内容について、正確性を重視して記載しているつもりですが、間違いが含まれる可能性はあります。有識者の方や魚醤事業に関わる方など、もし専門性のある観点から間違いを発見したら、コメントなどで教えていただければ幸いです。

魚醤ってなんだ?

ナンプラーやヌクマム、秋田のしょっつるや能登のいしる。魚醤といえば、だいたいこのような液体の調味料を思い浮かべると思います。ただ石毛先生によると、これは本来の使い方ではないとのこと。

室町時代の漢和辞典『和玉篇』は、魚醤という字に「ウヲビシホ」という訓をつけています。江戸時代の『書言字考節用集』にいたっては、魚醤とは塩辛のことだと説明していて、読みとして「シホカラ」と「タタキ」を挙げています。

つまり、もともとは塩辛とその仲間たちをまとめて呼ぶ言葉が魚醤で、液体の魚醤油はその中の一種類にすぎなかったわけです。

そう考えると、酒盗もいかの塩辛も魚醤ということになります。
エスニック料理売り場のナンプラーと、居酒屋の突き出しが、同じ系統の中で繋がっているわけです。

定義について

では魚醤とは何なのか。
石毛先生は自分なりの定義としてこう書いています。

生の魚介類を主な原料とし、塩を加えることによって腐敗を防止しながら保存し、主として原料に含まれる酵素の作用によって蛋白質の一部が溶けて構成要素のアミノ酸類に分解することを意図して製造した食品

石毛直道『魚醤 ―塩辛の仲間たち―』より

生の魚や貝に塩をすると腐らなくなる。そのまま置いておくと、魚がもともと体のなかに持っている酵素、内臓や身にある消化のための酵素が働きはじめて、自分の身をゆっくり溶かしていきます。
溶けたタンパク質はゆっくりとアミノ酸に分解され、そのアミノ酸が旨味になる。魚に塩をして、魚が自分で自分を溶かすのを待つ食べもの。それが魚醤です。

私が注目したのは、定義の最後にある「意図して製造した」という部分です。放っておいたらそうなった、ではなく、溶けることを見込んでそのために仕込む。塩をして干しただけの魚と魚醤を分けているのは、材料でも製法でもなく作り手の意図である、という書き方になっています。

三つのルート

魚と塩からの三つの分岐。大切なポイント

魚醤を考えるとき、出発点は魚と塩です。そこから、発酵させるかどうかで最初の分岐があります。発酵させなければ塩蔵魚で、塩鮭や塩サバの仲間になります。発酵させると次の分岐が来て、炊いた米を混ぜて乳酸発酵させればナレズシ、混ぜなければ魚醤。ナレズシというのは鮒ずしのように、魚の形を残したまま酸っぱくなる保存食のことです。

魚と塩があって、発酵させるかどうか、米を入れるかどうか。大きく捉えると、この三つに分けて考えることができます

日本ではいつ、魚醤が生まれたか

日本で魚醤がいつ頃から作られていたのかは、はっきりはしないとのこと。塩辛は土器のように遺物として出土しないので、実証のしようがありません。

それでも文字の記録は残っています。
藤原京(694〜710年)の跡から出た木簡に「鮒醢」の字があります。フナの塩辛のことです。読みはフナノヒシオ、あるいはフナノシシビシオ。これが記録の初出になります。

液体のほうはもう少し時代が下って、『延喜式』(927年)に出てきます。神祇の巻にある斎宮の「月料」、つまり皇族や官人へ現物支給する食料の種類と量を書き並べた記録です。そのなかに「鰯魚汁一斗五升」という一行があります。

石毛先生はここを、イワシから作った魚醤油だろうと推論しています。まず月料は支給する品目の記録であって、料理名を並べたものではないので、イワシの汁ものではありません。ではイワシの煮汁を煮詰めたエキスかというと、それも違う。カツオで同じものを作った場合、同じ『延喜式』には「堅魚煎汁」と書かれているからです。イワシならば「鰯魚煎汁」と書かれるはずでした。そうやって消していった先に残るのが、魚醤油という答えです。

ちなみに「塩辛」という字そのものの初出は、もっと下って『今昔物語集』(12世紀初頭)の「鰺ノ塩辛」だそうです。

千三百年前に、木の札へフナの塩辛のことを書き留めた役人がいたと思うと、当時の食卓と今の食卓が繋がっているような、不思議な感覚になります。

日本の外では

魚醤は日本だけのものではありません。韓国にはチョッカルという塩辛があって、キムチを仕込むときに欠かせない材料になっています。東南アジアでは水田で獲れた魚から作った魚醤が料理の土台になっているし、古代ローマにもガルムと呼ばれる魚醤がありました。

ローマと能登のあいだに、直接のつながりはありません。それでも遠く離れた両端で、同じような取り組みを行っている人たちがいました。今後、リサーチをまとめる中で、海外の事情にも触れていければと思います。

次回は、石毛先生とラドル博士がアジア広域を歩いてたどり着いた、魚醤の五つの分類を見ていきます。


参考文献 石毛直道・ケネス=ラドル『魚醤とナレズシの研究 モンスーンアジアの食事文化』岩波書店, 1990 石毛直道「東アジアの魚醤 魚の発酵製品の研究(1)」国立民族学博物館研究報告 11(1), 1986 石毛直道「魚醤 ―塩辛の仲間たち―」伝統食品の研究 No.34, 2009

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