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適応障害とわたし

それは、転職先の神奈川でのこと。パニック障害はSSRIパキシルの効果で落ち着いていた。新天地での輝く未来がわたしを待っているはずだった。



一人暮らしの経験はあったが初めての関東。仮にH市とする。根本的に、この街の猥雑さと合わなかった。駅前はピンサロだらけ。大通りには暴力団事務所。夏祭りには甚平を着たヤンキー。「ここはわたしの居場所ではない」と感じた。また、明らかに事故物件の匂いがする昭和チックなマンションを選んだのも悪手あくしゅだった。いま思えば、すぐに近隣の都市へ引っ越すべきだった。

職場では(一定数の合わない人間はいたが)総じて人には恵まれた。ありがたい環境だったといまでも思う。積極的に同僚とのノミュニケーションを図っていたのもこの頃。

二年間のうち断続的だが一年間は休職していたと思う。診断はH市に対する適応障害。主な症状は睡眠障害。不眠は一般に認知されているが、その逆の過眠かみんは2026年でさえまったく理解されていない。薬物で眠らされているかのように20時間超も延々と眠り続けるのだ。主治医によるとストレスからの逃避行動らしい。もちろん、出社など叶う筈もない。心ない人たちから「起きられないのは怠けている証拠」と散々言われた。

好き好んで三日三晚も寝続けているわけないだろっ!
しかし、わたしの悲痛な叫びは誰に届くこともなかった。


目覚めたら深夜。絶望の中でふと思い立ち会社へ行き仕事をしてみた。「起きられた時に働けばいいだろう」と思ったのだが、周囲からの更なる誤解を招いただけだった。

産業医に「診断書を書いてほしい」と頼んだら「わたしは君の主治医ではない」と吐き捨てるように言われた。キレて怒鳴り倒したら、訓告処分を受けた。いま思えば、彼の言い分にも一理ある。

あまりにも、孤独だった。
わたしはここで何をしているのだろう…と幾度となくわが身を呪った。


熟女キャバクラに一人で行って泥酔し道端で倒れて警察に保護されたこともある。インフルエンザで高熱にうなされながら深夜、這うように近くの救急病院へ行ったこともある。心理カウンセラー気取りの人事に「これ以上無理せず、いったん京都に帰ってお母さんに甘えてきなさい」とも言われた。はたから見ても、わたしは尋常ではなかったのだろう。

SSRIパキシルの副作用が引き起こしたある事件により、唐突に神奈川での地獄は幕をおろした




あれから20年ほど経った。睡眠障害はいまもわたしを苦しめている。人生にたらればはない。しかし、あの時もし過眠かみんに倒れていなければ、わたしはどんな人生を送っていただろうか、とふと思う。


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