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生駒山へ初の登山挑戦 暗峠にある峠の茶屋 お客さんと思っていた「おばあさま」から戦争体験の話を聞いて 当時の国民は?

暗峠に出る石畳の道(暗越奈良街道)の直ぐ右側に「峠の茶屋」がある
よく動画で暗峠の事になると立ち寄る場所として紹介される
登山仲間からも「ぜんざい」や「カレー」が美味しいと聞いていたので私も登山の時には是非、立ち寄りたかったお店だ

近寄ってみると開いた窓からは少しのお土産とお菓子が売っている

あの生駒市のふるさと納税の返礼品で抽選となる
「生駒ラムネ」が売ってある

スマホの時計を見ると、もう時間は14時を過ぎていた

若い2人がお店に居て
「いらっしゃいませ。お店側からも庭側からも入れますよ」そう促され私達は庭側からお店の中に入った

山道を出て来た所が大阪との県境 直ぐ右手に峠の茶屋

庭には4つのテーブル席があり
1つのテーブルには中学生らしき男の子4人
もう1つのテーブルには女性が2人座っていた

子供達は持ち寄ったのかペットボトルのジュースを飲み、話を聞いているとサイクリングで峠の茶屋に着き、瓢箪山(東大阪市)への道の事を言い合っていた

女性2人はエプロン姿であったが私達が入る時にはカレーを食べている所だった

私は疲れからか甘い物が食べたくなり
「ぜんざい」を、仲間達も同じ物を注文しようと

私達は少し店から離れた場所に座っていた為
それとお店の様子を見ると常連さんなのか?
若い2人のお店の人と話をしている

お店の庭の中に入ると自宅の張り出した所が店
テーブルが4席、左の客間でも食事がする事が出来る

私達の様子に気付いたようで
2人の女性のうち1人が注文を取ってくれた
「やはりお店の人だったのか?」
見る限りには親子の様にみえる

しばらく仲間達と談笑をしていると
若いお店の人が「ぜんざい」を運んで来てくれた

ぜんざいを注文 寒空に温かく甘い物は身体に染み渡った

親子らしき女性2人はテーブルで食べていたカレーをお店の中に運ぶ様子が見られた

私は話をし過ぎたか、まだ「ぜんざい」を食べ切っていなくお餅もお汁も冷たくなった

少し時間が経ち、先ほどの親子に見えた
おばあさまが私達の方に何か手に持ちながら歩いて来た
「最近ね、全然歩いていなくてね」
丸い小型の健康器具を私に見せて
「座るだけで振動がきて歩いている器具よ」
「動かなくなったんで若い子に見せたら電池の入れ方が反対だったって」
「ちゃ〜んと確認したつもりなんだけどね」
と笑いながらお話しをしてくれた
「歳を取ると理解してそうでそうでないわ」

茶屋の奥にある「離れ」に入る途中に
おばあさまは話し掛けてくれた

昔は暗峠には十数軒のお店があったらしい

「私、いくつに見える?」と唐突な質問を私にしてきた
「えっ!!おいくつでしょうか?う〜ん」
「89よ」
私や周りも話振りから驚いた
私が「昭和11年という事ですか?」
「そうだよ、どう思った?」
「お話し振りからしっかりなさっていると」

宝山寺まで登った「おばあさま」を思い出し
私は思い切って戦争の話を聞いてみた
「そりゃ〜大変だったよ」
「覚えていらっしゃいますか?」
「昨日のようにね」

そこから昨日の出来事を話すかのように続けられた

暗越奈良街道の説明板

「私が幼い頃にね、母親を病気で亡くしてお父さんに、そりゃ〜大事に育てられたんだよ」
「上に姉が2人居てたけど」
「お前等はお母さんの事はよく覚えているだろ?ってお父さんは姉達に言ってね」
「この子はまだ小さい。だから面倒をみているんだ」
「今でも忘れられないくらい覚えているよ」

少し間があいた
「それが戦争に駆り出されて戦死したんだよ」
「所謂、戦争孤児だよ」
「そりゃ〜事実を知って悲しかったよ」
「身寄りの親戚に教えられてね」
「この先どうしよう?よりも悲しみに明け暮れていたよ」

奈良側は緩やかと聞いていたが勾配は流石にある

戦前までは大阪市内に暮らしていたそうだが
登山仲間も会話を止め
おばあさまの話を聞き入っていた
中には、おばあさまの話を聞いていて涙する仲間も

話は続いた
「遠い親戚のウチに引き取られてね、あの汽車の映像見た事あるかい?」
私は
「あの客車にすし詰めになる様子の事でしょうか?」
「知っているのかい?」
「はい、映像だけですけど」
「身寄りの無い者がね、地方に汽車を利用して乗って行ったんだよ」
「客車には、もう一杯。入り切れないから私は窓から入らされたよ。赤ちゃんは網棚に乗せられてね」

西畑町から鬼取町を経て門前町へ
もう直ぐ宝山寺駅

親戚の家では気を使う事もあり肩身が狭い思い
焼夷弾の恐ろしさ
爆音が今だに脳裏に残り
大きな音にビクっと反応してしまう事

生駒鋼索線 宝山寺駅

淀川の堤防にうつ伏せでいる状態で避難している時
戦闘機の飛行士が笑いながら発射を
おばあさまは横目で通過する戦闘機の飛行士と
目が合ったそうだ
かなりな至近距離なんだな、私は思った
「女、子供は流石に撃たなかった」
「面白がって遊んでいるだけだよ。しかし怖かったよ」

遊園地から帰って来る客は山上線から同じホームで宝山寺線に乗り換える

戦争の中にも当時でも人道的な兵士が居たんだな
お話しを聞きながら私は少し思ってしまった
逆にそこまで上空をフリーにさせている事に
敗戦濃厚だったのは分かる話だ

私はおばあさまに昭和20年3月に遭った大阪大空襲の事を聞いてみた

おばあさまは日もハッキリと覚えていて
「6月7日が恐ろしかった」と

調べてみると「第3回 大阪大空襲」があった
大阪の都島区、鶴橋、天王寺、大阪市東部だ
淀川沿いに被害も受け尼崎方面まで
攻撃は1時間20分とある
降り止まぬ上空からのミサイル
想像するだけで恐ろしい
旭区の城北公園に避難していた勤労女学生や住民が
機銃掃射を浴び数百人〜千人の犠牲者が、とある

お正月の時は複線になる

おばあさまは、こう付け加えた
「戦争を反対するもは全て共産主義者だ!って言って」
「キツい拷問があったみたいだよ」
「赤だ!赤だ!非国民だ!ってね」
「抑え付けていたのは軍国主義なのにね」
「子供だったから最初は赤の意味は分からなかったけどね」
当時の国民の雰囲気がどうであったか
聞いてみた
「報道は『大本営』の言いなりだったね。国民はみんな信じ込んでいたよ。中に違うと思った人も居たけど非国民だから声を出して言えない」
「私は離れ(家)に入るからゆっくりして行ってね」

「貴重なお話しありがとうございました。また次回も違うルートから登るつもりで、こちらにお伺いさせていただきます」
「次回もお会い出来たら是非、お話しを聞かせて下さい」
「はい、分かりましたよ」
そう言っておばあさまは中に入られた

満員だった 外国人も見られた

親子に見えた、もう1人の女性が
私達の会計の時に現れた
「私、親子に間違われるんですけどこのお店の手伝いに来ていて」
「一旦、高齢になってお店を畳みそうになって」
「若い違う会社をされている方が後を引き継ぐと」

若い店員さんは「お孫さん」とは
関係がなかったんだ、と
「おばあちゃんはね、週末の数時間だけ、ここに来るんですよ」

おぜんざいを食べに休息する為に「峠の茶屋」を訪れたが、まさか戦争の話を聞けるとは

時間も遅くなり
再び門前町の宝山寺に着いたのは17時前
一度、乗りたかった鋼索線に乗り
あれほど階段を登った宝山寺が
下りは6分で鳥居前駅に到着

「歴史は繰り返す」と言われるが
戦後80年
40年周期で
日露戦争終結(1905年)→戦後→バブル→低迷(現在)
政府より国民が動く時期に来たのか?
そんな事を思いながら帰りの近鉄電車に揺られていた

最後までお読みくださりありがとうございました

初の3000字越えになりました


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