【書評】エッセイは創作だ!(記憶にありません。記憶力もありません。:土屋賢二)
エッセイは創作である。
それをこうもはっきり教えてくれる本は、他にない。
今回ご紹介するのは
土屋賢二『記憶にありません。記憶力もありません。』(文春文庫)
です。

あふれ出るユーモアの数々
最近、私がエッセイを読むのにはまっているのは過去の書評を見ていただいてもおわかりの通りだと思います。
しかしまあ、本作ほど気楽で、アホで、笑いに全ぶりしたエッセイは他にないのではないでしょうか(ほめてます)。
なんか、なんでしょう。この適当感。何かに似ている、と思ってずっと読み進めていたのですが、あれです。高田純次さんのトークです。
本書のあふれ出るユーモアの数々は、タレントの高田純次さんのトークのようでした。
しかし、筆者は哲学者。エッセイの根源の方にはためになることや、新しい気づきがある……のか?ないか?
いうなればインテリジェンス高田純次と呼びたくなるような、一冊でした。
エッセイは創作だ!
エッセイは、筆者の体験や日常の出来事を出発点として、そこから気づきや想いを文章を綴るジャンルです。もちろんこの『記憶にありません。……』もエッセイなので、出発点は著者の体験や日常ではあるのですが、蓋を開けてみるとユーモアや冗談のオンパレードです。
特に度々登場する、インタビュー形式の文章は、思わず、どこがエッセイだよ!?と言いたくなります。これをエッセイとして表現するの、どうかしています(ほめてます)。
この一冊を読んで、私は「ああ、もっと自由に表現していいのね」と、よい意味でがっくしきたのでした。
ただ、この作風が評価されるのは、土屋先生だからだとも思います。私がいきなりこの作風で文章を書きまくったら、ライターとしての信頼はきっとガタ落ちでしょう。
この書評がちょっとふざけた感じの文章になったのも、だいぶこの本に引っ張られております。私がふざけてしまったのも全部土屋先生のせいにして、今日からたくましく書き生きて参ります。
それではまた来週。
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