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神ではなく、人間の話をしよう──ジュノさんのキャリアをリスペクトするということ

先日、ジュノさんについて書かれた下記の記事を読みました。

「第2世代アイドルの中で、なぜイジュノは多くの同世代が果たせなかった“生き残り”を成し遂げることができたのか?」

そんな問いを掲げた、ヨーロッパ在住のKamilla Schneiderさんという、文化エッセイストによる長文コラムです。

読みながら、キャリアとは何なのか、推しをリスペクトするってどういうことか、そんなことを考えていました。

記事の細部には、事実と異なる惜しい部分もありましたが(ジュノさんのお母さんのくだりなど)、それを上回る問いや視点が集まっていました。

これは、その感想文みたいなものです。

神話ではなく、キャリアの話


私がこの記事に惹かれたのは、ジュノさんを「才能があったから成功した人」ではなく、「変化するシステムの中で、自分の居場所を作り続けた人」として描いていたからです。

アーティストの物語を英雄譚のように美化して語るのではなく、本人の意思や選択、それによって起きた事実を評価している点に信頼を感じました。

  • ジュノさんは自分のキャリアをどう設計したのか

  • ジュノさんは市場の変化にどう対応したのか

  • ジュノさんはどんなリスク分散をしたのか

そこがきちんと言語化されているから、冒頭の、

"the sexy guy from King the Land"
キング・ザ・ランドのセクシーな男性

という軽い皮肉が効いてくるのでしょう。

これは、見た目の魅力を否定しているのではなく、それだけで語るのはあまりにも失礼だろう、という感覚ですよね。

このライター氏は、ジュノさんを褒めるためにこの記事を書いているわけじゃなく、オタクのように私物化しようともしていない。

つまり、ジュノさんを商品として消費してないんです。徹底して「現代のエンタメ産業を生き抜いているプロフェッショナルとしてのイジュノ」を書こうとしている。

多くの芸能記事やオタク記事は、努力家だから成功したとか、才能があったから生き残ったとか、そんな分かりやすい言葉で飾りがちです。

でもこの記事はそうではありません。ジュノさんを神格化せず、どんな環境で、どんな制約の中で、どんな選択を重ねて今に至ったのかを語っています。

だから読んでいて、ジュノさんに対する適度な距離感とリスペクトを感じるのでしょう。

Korean Actors 200

この記事を信頼した理由


①「成功」ではなく「生存」そのものを成果として扱う視点

このライター氏は冒頭で、

Survival is not background information in this story. It is the achievement itself.
この物語において、生き残ることは背景ではない。それ自体が成果なのだ

と書いています。
これは本当に核心だと思います。

この記事は、ジュノさんが百想で最優秀賞を受賞したことよりも、第2世代アイドルとして18年間、第一線で生き残っていること自体を重要な成果として捉えているように感じます。

成功譚といえば、華やかなデビューや国民的ヒット、受賞歴などを並べる記事が多いですが、このライター氏はアイドルとしてデビューした人のうち、

  • そのまま消える人

  • 俳優に挑戦しても芽が出ない人

  • 軍白後に勢いを失う人

  • 事務所移籍で失速する人

などがいる中で、ジュノさんがデビューし、日本のソロ活動から俳優としての積み重ね、そして独立し、会社設立に至るまで生き抜いたこと、それ自体を評価しています。

キャリアとは単なる結果ではなく、長い時間をかけて繰り返した選択の連続であり、その中で潰れなかったことに価値があるという視点です。

② 日本活動を「思い出」ではなく「キャリアの土台」として捉える

この部分も面白かったです。
ジュノさんのソロ活動を、「韓国では活躍の場がないから日本へ行った」という単純な物語ではなく、

Diversification here was protection against the short shelf life of an idol career.
ここでいう多角化は、アイドル寿命の短さに対する保険だった

と表現しています。

つまり、「日本=代替市場」ではなく「日本=ジュノさんのもう一本の軸」という評価です。

自分の持ち歌を自分で創作し、自分ひとりの名前で観客を集め、演出にも主体的に携わるという、自立したキャリアを日本で築いた経験が、後の俳優活動や、独立の基盤にもなったという解釈ですよね。

これはなかなか説得力のある分析だと感じました。

個人的に、「ジュノさんは日本人気が根強い」という事実より、日本市場や日本ファンとの関係が、今のジュノさんや、ジュノさん自身のキャリアをどう支えているのか、という点に興味があります。

③ 歌手ジュノと俳優イ・ジュノを対立させない

ソロ活動の宝庫だった日本のファンの中には、ソロ歌手ジュノは過去の存在で、今は俳優イジュノが主流なんでしょ、という見方をする人がいます。

けれどこの記事は、ジュノさんの歌手時代と俳優時代を分断して語りません。

日本でのソロ活動も、作詞作曲の経験も、単独ツアーも、すべてが現在の、俳優・プロデューサー・経営者としてのイジュノにつながるものとして捉えられています。

印象に残った文章のひとつが、ラスト近くにある

He repeatedly began building the next professional identity before the previous one had run its course.
彼は今の役割が終わる前に、次の役割を築き始めることを繰り返していた

これ、ジュノさんのキャリアをとても上手く説明していると思います。

アイドルが終わったから俳優になったんじゃない。俳優が成功してから経営者になったんでもない。ジュノさんはつねに、複数の役割を並行していました。

2PMのメンバーでありながら日本でソロ活動を行い、歌手でありながら俳優として経験を積み、俳優でありながら作曲家の一面を持ち、人気俳優でありながら事務所を立ち上げた。

だからジュノさんていうのは、歌手か俳優かの二択ではなく、「複数の人生を同時進行で積み上げてきた人」なんだと思っています。

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④努力の物語に回収しない

ふつう、「最後まであきらめなかったから成功しました!」で終わるところを、この記事は何度も「それだけでは説明にならない」と立ち止まっています。

たとえば有名な怪我のエピソードです。
さらっと「根性で乗り越えた美談」になるところを、「痛みに耐えることが、プロ意識として評価されるシステムそのものに問題がある」と指摘しています。

怪我を押してステージに立ったことは事実だけど、それを称賛するだけでいいのか、その状況を生み出した構造は何だったのか、というところまで踏み込んでいる。

安易なヒーロー神話を作らず、「ジュノさんの意志」と「制度の問題」を同時に見ている点が誠実に感じられました。

his body quietly records the invoices the company never paid.
彼の身体は、会社が支払わなかった請求書を黙って記録し続けている

Junho’s old injuries returned years later in the administrative language of his military medical examination.
ジュノの古傷は、数年後、兵役の身体検査という行政の言語の中で再び姿を現した

ジュノさんの身体そのものが、代償を肩代わりした「制度の領収書」になっているという指摘は、なかなか強烈です。

⑤ファン目線ではなく、文化・産業の視点がある

この記事は、「イジュノというアーティストは素晴らしい」という説明文ではありません。

例えば、私をはじめとするオタクの文章には、「ジュノさんは完璧で、謙虚で、誰より努力家」という結論が先にあって、その証拠を集める形になりやすいんですよね。

でもこの記事は、ジュノさんを神や英雄ではなく人間として扱っている。「なぜイジュノは2008年から2026年まで生き残れたのか」というのが主題です。

  • JYPの練習生制度や労働環境

  • アイドル出身俳優への偏見

  • 日本市場の役割

  • ファンダム文化

  • サセン問題

まで含めて、ジュノさんのキャリアを韓国エンタメという文化の中で読み解いています。

これは、韓国のメディアとも、日本のメディアとも違う、第三の立場からしか書けない文章じゃないかと感じました。

記事に書かれているのは、「韓国人のイジュノ」でも「日本で愛されるイジュノ」でもなく、「キャリアを設計しながら生き残ってきた職業人、イジュノ」みたいな視点を持っています。

「ジュノさんは制度の変化にどう適応したのか」という人物論でありながら、同時に、K-POP産業論やファンダム論にもなっているわけです。社会学的な視点といえるかもしれません。

被害者でも、英雄でもなく


私がこの記事を読んで印象的だったのが、ジュノさんを最後まで「被害者」にも「英雄」にもしなかったことです。

厳しかった練習生時代。
怪我もした、個人活動に恵まれない時期もあった。サセン被害も受けた。

でも頑張ったから偉い、とは言わない。一方で、すべて本人の努力で乗り越えたとも言わない。

その代わり、そうした状況の中でジュノさんが何を選んだのかについて言葉を尽くしています。

このライター氏は、ジュノさんを「推し」でもなければ「韓国のスター」でもなく、「一人のプロフェッショナル」として観察している気がします。

読む人を感動させようとしているわけではないのに、むしろその方が本人への敬意を感じる。英雄のように神格化して祭り上げるよりも、一人の人間の判断と積み重ねを評価する方が、ずっと誠実なリスペクトなのだと思います。

褒めるために書かれた文章ではなく、理解しようとして書かれた文章だからこそ、結果としてそんな敬意が伝わってくるのだと感じました。

一人の表現者がどんな時代を生きて、どんな選択をして、なぜ今ここにいるのか。日本では、そんな視点で推しを描いたプロの文章に出会うことがほとんどありません。

その不在を埋めるという意味でも、この記事を興味深く読みました。

Korean Actors 200

道はすべてつながっている


この記事の中で、日本での活動や日本ファンとの時間を、過去の栄光でも失われた時代でもなく、今のジュノさんを形作る大切な一部として位置づけられていたことを、ちょっと嬉しく思いました。

日本活動を思い出や愛情として語るのではなく、イジュノというプロフェッショナルが、後年の俳優・経営者としてのキャリアを築くうえで、日本市場で何を獲得したのか。

それは、日本で単独ツアーを回り、作詞作曲を続け、グループ活動とは別に自分の名義で毎年夏にソロブランドを築いた経験が、俳優として成功した後も、「ドラマ一本が当たるかどうか」に人生を預けなくて済む土台となり、独立する基盤にもなったという現実的な資産です。

つまりこの記事は、日本でのソロ活動を「海外進出の成功例」としてではなく、ジュノさんが将来の不確実性に備えて築いた、もうひとつのキャリア基盤として読み解いています。

簡単に言えば、「アイドル時代」と「俳優時代」は、別個のキャリアではなく、全部つながってるんだよ、という話です。

日本でのキャリアやファンとの関係が、今のジュノさんの中に生きていると考えられたら、過去と現在を対立させなくて済むし、ソロ歌手ジュノと俳優イジュノを奪い合わなくて済みます。

今回、私がこの記事から受け取ったのは、単なるキャリア分析にとどまらない気がします。

とくに強く感じたのは、日本のファンにとって本当に誇らしいのは、「私たちが支えたから成功した」という物語ではなく、自分たちが愛した時間や思い出が、今もジュノさんのキャリアの一部として生き続けていることなのではないか、という点です。

「推しへのリスペクト」とは、昔みたいに歌ったり踊ったりしてほしいとか、俳優一本でいてほしいとか、そういう理想の姿を求めることではなく、

「この人が歩いてきた道は全部つながっている」

それを認めることなんじゃないか。
そんな風に思いました。

──ジュノさんソロデビュー、13回目の記念日に寄せて🌻

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