推すと決めてから好きになった──まだ名前のない魅力に賭けた話
🕑️出会い
あえて白状すると、私が2PMのファンになったきっかけはあまり美しいものではない。
2007年、驚異のヒットを記録したBIGBANGの「コジンマル(LIES)」に衝撃を受け、私はK-POP沼に足を踏み入れた。
当時、コジンマルきっかけのファンは“にわか”と見なされ、メンバーたちにさえ「どうせすぐ別のグループに乗り換えるんでしょ」なんて、冗談めかしにこすられることも少なくなかった。
紛れもなく“にわか”だった私は、それがちょっと悔しかった。
じゃあ次は、デビュー初期から応援できる誰かを見つけたい。
そういう捻くれた動機で目を付けたのが、デビュー寸前の2PMだった。
当時のYGを率いていたヤンサ(ヤン・ヒョンソク)と、JYPを率いる餅ゴリ(パク・ジニョン)のあいだに親交があったこともきっかけだ。
サバ番は、共感性羞恥の高い私には刺激が強すぎて横目で見るしかなく、過酷な内容に「韓国すげーな…」という、若干引いた記憶しかない。
そんなレベルの思い入れで、好きになれるかどうかも分からないまま、ボーイズグループが乱立するKポ界で「このグループを推す」と先に決めた。
それが、2PMとの出会いだった。
🕑️理由
そんな中、私の目を惹いたのがジュノさんだった。とくに目立つスタイルでもなく、垢ぬけてもいない。今より少し甲高い歌声の18歳。
アクロバットの多いパフォーマンスの中でも、他メンと比べて崩れにくい声の安定感や、端っこにいても目に飛び込んでくる芋可愛さがアンテナに引っかかった。
つまり私は、“2PMといえばダンス”という世間の共通認識を蹴飛ばして、今より若いジュノさんの歌声に惹かれたオタクということになる。
これを説明すると、たいていの人に「ダンスちゃうんかい」って突っ込まれるけど、そうなんです…ちゃうんです…(小声)
“好きだから推した”んじゃなく、“推すと決めたあとに理由を見つけていった”。
それが今に続く、私とジュノさんの縁である。
🕑️動揺
順風満帆に見えた2PMは、頂点に上り詰めた直後に大きく揺らぐ。リーダーの脱退という激震が走る中で、Kポ初心者の私は、グループの行方を不安なまま見守ることになった。
日本でアイドル事務所といえば、〇ャニーズという認識しかなかった私にとって、メンバー脱退の危機に瀕した本国ファンの反乱は白目の連続だった。
最終的に、事務所代表とメンバー、そしてファンが同じテーブルについて話し合うとかいう展開も、前代未聞というか、開いた口が塞がらないというか、とにかくカルチャーショックを受けまくった。
せっかく応援しようと決めたのに、この先このグループはどうなるか分からない。
異国の推しを推すことの難しさに直面した出来事でもあった。
それでも6人は踏みとどまり、再出発した2PMの日本デビューが決まる。
🕑️6人/1人
“野獣アイドル”という分かりやすいキャッチコピーと、「TAKE OFF」という爽やかな日本デビュー曲のズレに戸惑いつつも、私は自然と“6人で再構築した絆”に惹かれるようになっていく。
そしてその時期はちょうど、BIGBANGが思うように活動できない時期とも重なっていた。たいへんな状況だった一方で、そのぶん2PMに目を向ける時間が増えたのも事実だ。
最初に惹かれたのは1人の歌声だったのに、気付けば“6人であること”そのものが好きになっていった。
一方で、グループ内でのポジションには胸の奥がもやる思いもあった。私の目にはいつだってジュノさんがまっすぐ飛び込んでくるのに、決して積極的に目立たせてもらえるタイプでもなく、衣装や立ち位置からも、なんとなくそんな空気を感じることがあった。
けれど日本では、その評価が少しずつ変わっていく。
貪欲で頑固な一面もあるけれど、愚直で不器用な人間性や積み重ねが評価される日本という土壌の中で、光の当たり方が大きく変わっていく様子を目の当たりにした。
「やっと日の目を見た」と感じる一方で、それさえ他メンオタクから“贔屓”と言われることもあった。
その頃から、私という名のオタクはグループ全体よりも、ソロとしての活躍に嬉しさを見出すようになる。
不良ハレスの爆誕である。
🕑️リセット
複数の中のひとりではなく、歌っても踊っても永遠に最推しだけを愛でられるソロ活動というのは、まさに夢のような世界だった。
けれどその先で、自分の距離感も見失いかけた。当時の自分を思い出すと、ちょっと封印したいくらいの黒歴史だ。
好きすぎてしんどくなる感覚に気づき、兵役によるブランクを機に、一度関係を見つめ直すことにした。
オタクをやめるというのではない。
シンプルに、関係を築き直す。
数多くのグッズや雑誌を手離し、それでも手離せなかったアルバム類やBlu-rayなどの映像記録だけを残して、しばらくKポ沼から離れた。
その代わり、久々に解禁したのが韓国ドラマだった。俳優沼は、アイドル沼ほど露出が多くない。
作品単位で関われる距離感の中で、同じ轍は二度と踏むまいと言い聞かせながら自分のペースを取り戻していった。
今思えば、ちょうどいいリハビリ期間だったのかもしれない。
🕑️再会
そうして距離を保ったまま時間が流れ、ジュノさんの転役が近づく頃、ドラマ『赤い袖先』のキャスティングニュースが耳に入る。
偶然と言えば偶然だったのかもしれない。でも、私にとっては“追い続けたわけではない再会”だった。
実は軍白期以前、2PMジュノさんとBIGBANGテソンさんを並行して推していた私は、2人に割く時間も感情も、ついでに先立つものもいっぱいいっぱいで、俳優としてのジュノさんの活動はほとんどスルーしていた。
このふたり、グループ内でも突出して日本活動が多かったのだ。
ともに母国より先に日本でソロデビューを果たし、日本におけるグループの多面性や、新しい市場を開拓したパイオニアだと思っている。
🕑️最初から同じものを見ていた
さて。
久しぶりに目にしたジュノさんはシンプルで、余計なものを削ぎ落としたように洗練されていた。
「ああそうだ、この人は本来こういうものが似合う人だったんだ」と、盲目だった頃には見えていなかったものに気付いた気がした。
そして演技。
知らなかった才能に出会ったというより、“もともと持っていた特性が、正しい場所で花開いた”という印象を受けた。
絶賛アイドル期に惹かれた、「驚異的な没入力」が、形を変えてそのままそこにあったのだ。
作品の評価の高さに納得したのもさることながら、何より、「やっと世評がこの人の才能に追いついた」という、そんな何様目線な感覚さえあった。
軍白期中の「우리집」チャート逆行現象も含め、それらは偶然バズったのではなく、積み重ねてきたものが一斉に花開いた瞬間だったと思う。
たぶん、私は最初から同じものを見ていた。
ただ、それに名前がつくまで少し時間がかかっただけなのだと思う。そんな、美しくない時間もまるごと含めて、今の私の「好き」はできあがっている。
