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​人間に「魂」はあるの? お釈迦様が説いた「ロウソクの火」と、永遠に続くものの話


「魂」というスピリチュアルになりがちなテーマを、お釈迦様の理知的で温かい視点から紐解いていきます。




「死んだら、私という魂はどうなるの?」誰もが抱く根源的な問い

夜空を見上げたり、大切な人を見送ったりしたとき、ふと考えることはありませんか。

「死んだ後、人間の魂はどうなるのだろう」と。

​私たちの多くは、肉体が滅びても「私」という意識を持った光る玉のような「魂」がフワフワと抜け出し、あの世へ行ったり、別の誰かに生まれ変わったりする……そんなイメージを持っています。

「永遠に変わらない、自分だけの魂があるはずだ」と思いたいのが、人間の自然な感情です。


​では、約2500年前に悟りを開いたお釈迦様(ブッダ)は、人間の「魂」についてどのように答えたのでしょうか。

実は仏教には、「魂はあるのか、ないのか」という問いに対する、非常にユニークで、そして限りなく優しい「答え」が用意されています。



​私ではないけれど、私が残したものは続いていく


​お寺の縁側には二つの小さなロウソクの火が揺れていました。

さとるくんは、その炎をじっと見つめながら、和尚さんに尋ねました。

​「和尚さん、人間には『魂』ってあるのかな? お釈迦様はなんて言ってたの?」

​和尚さんは、ふむと頷き、お茶をすすりました。

「人間の魂については、古今東西、誰もが知りたい話じゃのう。実はお釈迦様はな、『永遠に変わらない、固定した魂というものは無い』と仰っておるんじゃよ」

​「えっ、魂はないの? じゃあ、死んだら全部プツンって消えて終わりってこと?」

​「いやいや、そうではないんじゃ。……このロウソクの火で例えてみようか」

​和尚さんは、火のついたロウソクを手に取り、もう一本の新しいロウソクの芯に火を移しました。ポッと、新しい炎が灯ります。


​「さて、さとるくん。古いロウソクから新しいロウソクに火を移した。この二つの火は『同じ火』じゃろうか? それとも『全く別の火』じゃろうか?」

​さとるくんは首を傾げました。

「うーん……燃えているロウソクは別々だから『別の火』だけど、でも、元の火から移したんだから『繋がっている』とも言えるよね」

​「その通りじゃ。見事な答えじゃよ」


和尚さんは目を細めました。

「お釈迦様はな、『魂があるか、ないか』という極端な議論はされなかった。代わりにこう仰ったんじゃ。『永遠に変わらない自分(自己)は存在しない。しかし、行為の流れ、つまり業(ごう=カルマ)は続いていく』とな。少し難しかったかな?」

​さとるくんは、二つの揺れる炎を見つめながら、静かに言いました。


「そんなことないよ。つまり……自分が生まれ変わったとしても、それは『今の僕』そのままじゃないってことだよね」

​「ほう」

​「『昔の僕』はもういない。でも、『昔の僕がやったこと(業)』の熱や光は、新しいロウソクにちゃんと引き継がれて続いていく……そういうことだよね?」

​和尚さんは、驚いたように目を見開き、そして深く、深く頷きました。


「……その通りじゃ。体も、今の心も、いつか消えてなくなる。しかしな、お前さんが誰かに優しくしたこと、一生懸命に生きたこと、その『行為の熱』は、決して消えることなく次の命へとバトンタッチされていくんじゃよ。

だから、固定した魂がなくても、何も悲しむことはないんじゃ」

​夜風が吹き抜けましたが、さとるくんの心には、ポッと温かい火が灯ったような気がしました。



「無我」と「業(カルマ)」 ブッダが教える、命の温かいバトン


​「永遠に変わらない魂(自我)はない」。これを仏教の根本思想である「諸法無我(しょほうむが)」と言います。

当時のインドでは「アートマン(永遠不変の魂)」が存在し、それが服を着替えるように輪廻転生すると信じられていました。しかしブッダは、それを明確に否定しました。

​では、魂がないのに、何が生まれ変わる(輪廻する)のでしょうか?

その答えが、和尚さんが語った「業(ごう=カルマ)」です。


​1.ミリンダ王の問いと「ロウソクの火」


エピソードに登場した「ロウソクの火」の例えは、古代インドの有名な仏教書『ミリンダ王の問い』に実際に登場するものです。

ギリシャ人のミリンダ王が「魂がないのに生まれ変わるとはどういうことか?」と問うたのに対し、仏教の僧・ナーガセーナは「火のついた灯明から、別の灯明へ火を移すようなものです」と答えました。

前の火と後の火は、同じでもなく、別でもない。ただ「燃え続けるというエネルギーの連続(行為の連鎖)」があるだけなのです。


​2.私たちは「自分の行為(業)」の相続人である


ブッダは、古い経典の中でこのように語っています。

​「人は自分の業(おこない)を所有する者であり、業の相続者であり、業を胎(母)とする者である」

​仏教における「魂」とは、固定された「物体」ではありません。

あなたが発した言葉、誰かを思いやった行動、傷つけてしまった後悔……それらすべての「行為のエネルギー(業)」の連続体のことなのです。


​3.執着を手放し、今を生きる


「私という魂が永遠に続いてほしい」と願うからこそ、人は死を恐れ、老いに苦しみます。

しかし、「私という固定されたものは元々なく、ただ温かい行いのバトンが続いていくだけだ」と気づけば、不思議と心が軽くなりませんか?

​「私」という枠組み(ロウソク)にこだわる必要はありません。


大切なのは、今、あなたがどんな光を放ち、どんな温かさを周りに移していくか。

あなたの優しい行いは、あなたがこの世を去った後も、誰かの心を灯す火となって、確かに永遠に続いていくのです。




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