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見たくないものは目を閉じればいい では、聞きたくない「ノイズ」には? 道元禅師『龍吟』が教える、開かれた耳の理由


現代社会の「ノイズ」に疲れ果ててしまった心へ向けて、道元禅師の『正法眼蔵 龍吟(りゅうぎん)』が持つ、深く澄み切ったメッセージをお届けするコンテンツ。

​視覚と聴覚の違いから、私たちが世界とどう繋がっているのかを紐解きます。




​目には「まぶた」があるのに、なぜ耳には「ふた」がないのか


​私たちは、自分が見るものをある程度自由に選ぶことができます。

見たくない嫌なニュースはスクロールして飛ばし、見たくない現実からは目を背け、いざとなれば「まぶた」を閉じることで、視覚からの情報を完全にシャットアウトすることができます。

​しかし、「音」はどうでしょうか。


聞きたくない誰かの愚痴、心ない批判、街の騒音、SNSの通知音。私たちは耳を両手で塞がない限り、否応なくそれらの音を受け入れざるを得ません。意識をそらすことはできても、音そのものを物理的に遮断することは不可能です。

​自ら「選んで取りに行く」視覚に対して、聴覚は常に「受動的」であり、無防備です。

だからこそ、他人の言葉や社会のノイズは、私たちの心の奥底まで容赦なく侵入し、深く傷つけます。「どうして耳には、まぶたのような『ふた』がついていないのだろう」と、周囲の雑音にうんざりした夜はないでしょうか。


​私たちはこの、閉じることのできない「耳」と、どう付き合っていけばいいのでしょうか。避けられないノイズに傷つく心を救うヒントは、禅の教えの中にありました。



洋介が森で聴いた音には色がある 見なくてもいい色は消せない音


​洋介(ようすけ)は、コールセンターのクレーム対応窓口で働いていました。

毎日毎日、受話器の向こうから浴びせられる怒声や理不尽な文句。職場を出ても、電車の中の舌打ちや、他人の刺々しい話し声が耳にこびりついて離れません。

​「もう、何も聞きたくない」

心が限界に達した洋介は、ある休日、逃げるようにして山奥の静かな渓谷へと車を走らせました。

​澄んだ川のせせらぎ、色鮮やかな木々。洋介は「美しい景色を見て、心を癒やそう」と、カメラを構えてファインダーを覗き込みました。


しかし、レンズ越しに景色を切り取って「見よう」とすればするほど、どこか心が窮屈になっていくのを感じました。視覚は、自分が「見たい」と思った範囲の世界しか映し出してくれないからです。

​ふと、洋介はカメラを下ろし、静かに目を閉じてみました。

視覚のスイッチを切った瞬間、世界が一気に押し寄せてきました。


​遠くで鳴る鳥の声、足元の笹の葉が擦れる音。そして、葉をすっかり落とした冬の枯木(こぼく)の間を、冷たい風が「ヒュオォォ」と通り抜けていく、低く力強い音が響きました。

​洋介はハッとしました。

目は「自分の見たいもの」を選び取るためのもの。しかし耳は、自分の意思とは関係なく、「ありのままの世界」を自分の中へ招き入れるための器だったのです。

​(俺は、クレームの電話に耳を塞ぎたくて苦しんでいた。でも、耳が開いているからこそ、この風の音も、鳥の命の音も、俺の中に流れ込んでくるんだ)

​風に吹かれる枯木は、抵抗することも、耳を塞ぐこともせず、ただ風を受け入れ、風を自らの「音」に変えて鳴っていました。


洋介はその枯木の姿に、避けられない音と戦い、傷ついていた自分の心をそっと重ね合わせました。閉じることのできない耳は、世界と自分を繋ぐ、たった一つの開かれた窓だったのです。



『正法眼蔵 龍吟』 枯木に鳴る風を、龍の歌として聴く


​人の言葉や社会のノイズに傷つき、「何も聞きたくない」と耳を塞ぎたくなる気持ち。それは、あなたが繊細で、真面目に世界と向き合っているからこその痛みです。

​鎌倉時代の道元(どうげん)禅師が残した『正法眼蔵』の中に、「龍吟(りゅうぎん)」という美しい巻があります。

そこには、「枯木(こぼく)、龍吟す」という言葉が記されています。


​葉を落とし、生命力すら失ったように見える冬の枯木。しかし、そこにひとたび風が吹き抜けると、枯木は深く澄んだ音を響かせます。禅の世界では、この枯木を吹き抜ける風の音を、大いなる真理の声、すなわち「龍の歌(龍吟)」に例えました。


​なぜ、私たちには「耳を閉じる機能」を与えられなかったのでしょうか。

それは、私たちが「自分の都合の良いものだけを選び取る」という狭い世界(我執)に閉じこもらず、常に広大な世界と一つに繋がっているためです。

​枯木は、「冷たい風は嫌だ」「心地よいそよ風だけ吹いてくれ」と選り好みをしません。どんな風が吹こうとも、ただそれを受け流し、音を響かせます。

私たちも同じです。聞こえてくる他人の言葉やノイズを、「良い音・悪い音」、「自分を攻撃する音」といちいちジャッジして抵抗するから、心が苦しくなるのです。


​「あぁ、ただ風が吹いているな」

「ただ、あの人が言葉という音を発しているな」

​耳に入ってくるものを、自分を傷つける刃物として受け取るのではなく、ただ自分という枯木を通り抜けていく「風」として捉えてみてください。


善悪の判断を手放し、ただ音が通り過ぎるのを許した時、あなたを苦しめていた不快なノイズは、世界が奏でる「龍吟(自然の働き)」へと変わります。

​聞きたくない音が溢れる世界でも、あなたの耳が開かれているのは、いつか必ず、あなたを救う優しい言葉や、美しい真理の音を受け取るためです。


どうか、不快なノイズに心をすり減らすことなく、あなたという静かな木立に、世界の風を穏やかに通してあげてください。




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