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​「成功者になりきる」自己啓発の落とし穴? お釈迦様が『狗行者経』で明かした、なりたい自分になる本当の法則


日常の自己啓発論と仏教の深い智慧を美しく結びつけ、​今回は「なりきる」という自己啓発でよく語られるテーマを、『狗行者経(くぎょうじゃきょう)』という少しユニークで鋭い経典を用いて深掘りします。




「なりたい人になりきる」は本当に正しい? 仏教が鳴らす警鐘


​本屋さんの自己啓発コーナーに行くと、こんな言葉をよく目にします。

「なりたい自分になるためには、すでにそうなったかのように振る舞いなさい」

「成功したければ、成功者になりきって生活しなさい」

​いわゆる「Fake it till you make it(うまくいくまで、うまくいっているフリをしろ)」という有名な成功法則です。理想の自分の思考や行動を模倣することで、現実がそれに追いついてくるという考え方ですね。


​実は仏教の視点から見ても、この「行動がその人自身を作っていく(業・カルマの法則)」というメカニズム自体は非常に理にかなっています。

​しかし、2500年前にお釈迦様が説いた『狗行者経(くぎょうじゃきょう)』というお経には、この「なりきる」という行為の恐ろしい落とし穴がハッキリと描かれています。


​ただ闇雲に「理想の姿を真似る」だけでは、私たちはとんでもない場所に行き着いてしまうかもしれないのです。



犬になった男と、牛になった男 和尚さんが語る『狗行者経』

ある日の午後。お寺の縁側で本を読んでいたさとるくんが、ふと思い出したように和尚さんに尋ねました。

​「和尚さん。この前、犬や猫にも魂があるって話をしてくれた時、『なんとか経』って言ってたよね。それってどんなお経なの?」

​和尚さんは、庭の落ち葉を掃く手を止めて微笑みました。

「おお、『狗行者経(くぎょうじゃきょう)』のことじゃな。あれは少し変わった、じゃが人間の本質を突いたとても深いお経なんじゃよ」

​「どんなお話なの?」

​「このお経にはな、二人の風変わりな修行者が登場する。一人は『犬のように振る舞う修行者』のセーニヤ。もう一人は『牛のように振る舞う修行者』のプンナじゃ」


​「犬と牛? どうしてそんな真似をしてるの?」

​「当時のインドではな、極端な苦行(つらいこと)をすれば、魂が浄化されて神様になれると信じられておったんじゃ。だからセーニヤは、地面に這いつくばってご飯を食べ、犬のように吠え、完全に『犬になりきって』生活しておった」

​さとるくんは目を丸くしました。


「すごい徹底ぶりだね……。それで、二人はお釈迦様に何を聞いたの?」

​「二人は誇らしげにお釈迦様のもとを訪れて、こう尋ねたんじゃ。『私たちは長く犬の行と牛の行を続けてきました。死んだ後は、どんな素晴らしい世界に生まれ変わるでしょうか?』とな」


​「お釈迦様はなんて答えたの?」

​「お釈迦様はな、最初はその問いに答えるのをためらわれた。彼らがショックを受けるのが分かっておったからな。じゃが、三度も繰り返し問われたため、とうとう厳しい真実を口にされたんじゃ」

​和尚さんは、少し声を落として静かに言いました。


​「『セーニヤよ。もしお前が犬の行を徹底して身につけたなら、死後は犬の仲間に生まれ変わるだろう。プンナよ、お前は牛の仲間に生まれるだろう』……とな」

​「ええっ! 神様になれると思ってたのに、ただの犬と牛になっちゃうの!?」


​「そうじゃ。さらに恐ろしいことにな、お釈迦様はこうも付け加えられた。『もしお前たちが、こんな馬鹿げた行いで神になれるという間違った考え(邪見)を持ち続けるなら、動物にすらなれず、地獄に落ちる悪い結果になるだろう』と」


​さとるくんは思わず身震いしました。

​「厳しい教えじゃろ? じゃがな、これこそが仏教の真理なんじゃ。『人間は、自分が繰り返し行ったものに、やがて本当になってしまう』。そして、間違った目的で何かになりきろうとすれば、その歪みは必ず自分を破滅させるんじゃよ」

​さとるくんは、お父さんが読んでいた「お金持ちになるための習慣」という本を思い出して、少しだけ冷や汗をかきました。



「なりきる」ことの危うさと、正しい理想の描き方

和尚さんが語った『狗行者経』のエピソードは、現代を生きる私たちに非常に重要な示唆を与えてくれます。


​1.「なりきる」という法則自体は正しい

お釈迦様は、「犬になりきれば犬になる」と説きました。これはつまり、自己啓発で言われる「行動が現実を作る」というメカニズムそのものを肯定していると言えます。仏教の「業(カルマ)」の法則では、日々の反復行動がその人の人格や未来を形成します。良い習慣を真似ることは、確かに自分を変える強力な手段です。


​2.『狗行者経』が示す危うさとは?

問題は、「あなたが真似ているその姿は、本当に正しいのか?」ということです。

修行者セーニヤは、「これをやれば神になれる」という間違った思い込み(邪見)に囚われ、本質を見失って「犬の真似」をしていました。

​これを現代に置き換えるとどうでしょうか。

「成功者になりきろう」と思って、高級ブランドで身を固め、人を見下すような傲慢な態度まで真似てしまう人がいます。それは成功者になったのではなく、ただの「傲慢な人」になっただけです。「これを買えば」、「このポーズをとれば」幸せになれるという表面的な模倣は、セーニヤの「犬の行」と何ら変わりません。


​3.「何のために」その行動をするのか(正見)

仏教では、正しい見方・考え方を「正見(しょうけん)」と呼びます。

理想の自分に近づきたいと願う時、大切なのは「表面的な形」を真似ることではありません。その理想の人が持っている「感謝の心」「謙虚さ」「他者への思いやり」といった、目に見えない心根(こころね)の部分を学ぶことなのです。

​あなたは今、何になりきろうとしていますか?


その行動の先にあるのは、本当にあなたが望む「幸せな姿」でしょうか。

​時々立ち止まって、自分の行いを見つめ直してみてください。正しい目的地(正見)を持った「なりきる」行動は、必ずあなたを素晴らしい未来へと導いてくれるはずです。




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