バイトの後輩がライブをするらしい
〇:ありがとうございました~
レジで代金を払ったお客さんが店を出て行く
その場ではあるがお見送りをすると、ドアが閉まる音がした
席へ向かうと空になっている皿を下げていく
先程帰られたお客さんは綺麗に整えてくださっていたからか、片付けもとても楽だ
たまに汚く扱う人もいるのでそんな人は2度と来るなと心の中で悪態をついている
みんなこのくらい綺麗に扱ってくれればいいのにと思う
厨房に下がると、洗い場に食器を出す
フロア担当の俺の役目はここまでだ
?:あっ、もう下げ終わっちゃいました?
〇:ああ、大丈夫だよ、”奥田”

い:先輩早いからいろはがやる前に終わっちゃいますよね
〇:このくらいは俺一人でもできるよ
い:頼もしいんですけど、役に立ちたいです!
〇:ちゃんとできてるよ
厨房から出てきたのは同じフロア担当で、後輩の奥田いろは
しっかりとしていて、仕事もできる
このカフェでバイトを始めて1年、その人柄で常連客からも人気のある子だ
落ち着いた印象で優しいのだが、たまに毒舌なところも稀に出てくる
俺への年上いじりもたまにあったりする
そんなところも後輩らしくていいのだけど
い:それにしても、この時間は暇ですよね
〇:まあ、うちの店って夕方とかがメインだからな
うちのカフェは住宅街近くにあり、地域の人からの人気もある
朝の時間帯や、夕方のティータイムなどにお客さんが多く集まる
そのため夕食の時間が過ぎたこの21時以降は暇なことが多い
大体はこの時間くらいで上がりになる
店長:2人とも片付けして上がっていいよ
〇:わかりました
い:はい!
予想通り、店長からも片づけをして上がるように指示が出た
この後は店長だけでも回すことが出来るからだろう
店内にいるお客さんも少ないし、上がるのも頷ける
空いているテーブルを拭いていく
この時間がなんだかんだ好きだ
店内が落ち着いていて、黙々とテーブルを拭いていく
何かに向き合っているようで心が落ち着く
大きな店でもないので、2人で作業をすればすぐに終わってしまう
〇:店長、終わりました
店長:分かった、じゃあお疲れ
い:お疲れ様です!
店長:お疲れ~
店長に挨拶をしてタイムカードを切る
今日は昼から入っていたので、疲れも溜まっている
余裕のある時は朝から入ったりもするが、どの時間でも結局疲れる
今日は帰ってさっさと寝ることにしよう
い:先輩、先更衣室使っていいですよ
〇:ありがと、じゃあ先使うわ
い:はい!待っててくださいよ?
〇:分かってるって
大きな店じゃないうちはバックヤードも小さい
更衣室だって一つしかないから、着替えるのも大変だ
更衣室に入ると制服を脱いで、家から着て来た軽装に着替える
どこかに出かけるなら別だが、バイトに行くだけならとてもラフな格好になってしまう
おかげで着替えのスピードも速くなる
〇:奥田、使っていいぞ
い:はーい!
更衣室から出て奥田に明け渡すと、俺はバックヤードに置いてある椅子に座ってスマホを眺める
大学の友人からのLINEもあり、それに一つ一つ返信していく
あとは適当にSNSを眺めていく
友人のストーリーを見ても、みんな大学生活を楽しんでいるように見える
俺は大学生活を楽しんでいないわけではない
ただ、みんなのように派手に遊ぶことはない
バイトして、学校に行って、たまに遊んで
このありふれた日常が楽しかった
い:先輩!おまたせしました!
〇:ん、行こっか
い:はい!
店長:お先に失礼します
い:お疲れ様です!
店長:お疲れ~
しばらくして更衣室から奥田が出て来た
店長に挨拶をして、2人で店を出る
奥田の服装は俺とは違ってしっかりと着こなされていて、これからどこか出かけるのではないかと思わされた
〇:奥田、どこか遊びに行くのか?
い:え?もう帰るだけですけど
〇:えらくおしゃれだなって
い:先輩もそういうのは分かるんですね!
〇:うるせ
また弄って来た
確かに俺はおしゃれとかには疎いかもしれないけど
でも、そんな弄りも心地いい
憎めないのはなんでだろうか
い:今日も疲れましたね~
〇:だな、夕方は人多くて大変
い:おじいちゃんおばあちゃんと話し込んじゃいました!
〇:おかげで俺が動き回ってたんだけどな
い:それはごめんなさい
奥田は常連のお客さんに話しかけられることが多い
それは話しやすいのもあるだろうし、奥田の人柄あってこそだろう
みんなに愛されてるし、話しているお客さんもとても嬉しそうだ
奥田も楽しそうにしていたし、その様子を見ている俺も嬉しくなる
〇:別にいいよ、お客さんも喜んでるしね
い:その顔見てたらこっちも嬉しくなるんですよね~
〇:だから気にせず話しな
い:はい!
奥田とこうやって2人で帰るようになったのはいつからだろうか
奥田が入ってきてすぐ、同じ大学で同じ学部だと分かった
教育担当をしていたのもあって、仲良くなるのも早かった
最初は上がり時間が被らなかったが、奥田が長い時間入れるようになって上がり時間が一緒になると自然と2人で帰るようになった
帰る方向も一緒だったし
何だかんだ、この1年一緒にいることが多かった
この時間がとても心地よかった
い:先輩ってバイトよく入ってますよね
〇:まあ、暇だから
い:稼いでそうですよね
〇:そこそこな
い:使い道あるんですか?
〇:痛いところ突くんじゃない
い:えへへ
奥田の言う通り、俺は結構な頻度でバイトに入っている
それは稼ぎたいというのもあるが、バイト先が好きだというのもある
店長もそうだし、店の雰囲気も、働いている時間も好きだ
だから自然とシフトも多めに出してしまう
い:私もいっぱい入りたいんだけどなぁ
〇:サークルあるんだろ
い:そうなんですよね
奥田は大学のサークルに所属している
そのため活動がある日はバイトに入れない
ここ最近は忙しくしているようで、今日は久しぶりにバイトに入っていた
い:先輩、今週末暇ですか?
〇:土曜ならバイトも入ってないし暇だけど
い:だったら、私のサークルのライブ観に来ません?
〇:ライブ?
い:はい、新入生も入って来たのでライブするんです
〇:へえ、1年生も?
い:いえ、2年生以上で
〇:そうなのか
奥田が所属しているのは軽音サークル
どうやら高校から軽音部に所属していたらしく、大学に入ってからも迷わず軽音サークルに入ったようだ
話だけ聞いていたが、実際に見たことはない
学生のライブというのにも気になるし、何より奥田が出るという
暇だからとは言ったが、予定が入っていたとしてもライブを優先するだろう
〇:じゃあ行こうかな
い:やった!ありがとうございます!
〇:土曜の何時から?
い:私たちは11時からの出番です!
〇:じゃあそのくらいに行くわ
い:はい!約束です!
〇:うん、約束
思いがけず土曜日の予定が埋まった
これまで大学の行事に積極的に参加していたわけではない
文化祭にちょろっと顔を出すくらい
そんな俺でもちょっと楽しみになっている
それは隣で笑っている奥田だからだろうか
楽しみにしていた週末はあっという間にやってきた
この間、大学の授業とバイトといつも通りの日常を過ごしてきた
ただ、どこか浮足立っているような感覚があった
いつもの日常に降って来た楽しみ
土曜日が待ち遠しくて仕方なかった
学校につき、会場へと向かう
普段休日に学校に来ることがないので、どこか新鮮な感覚だ
休日に学校に来る人は何をしているのだろうと思うところはある
会場に着くと、すでにライブは始まっていた
男子学生のパワフルな演奏と歌声が響いている
会場のお客さんも結構入っている
大学構内にもライブの告知の張り紙があり、その効果もあるのだろうか
雰囲気もフェスのようで、とても楽しげだった
【それでは次のグループに参りましょう!】
演奏が終わり、先程演奏していたグループが裏へとはけていく
そしてアナウンスがあると、次のグループが演奏の準備のためにステージへと上がる
その中に奥田の姿があった
ステージに上がると、奥田はマイクの前に立った
どうやらボーカルのようだ
マイクの確認やギターのチューニングを合わせる仕草はこの環境に慣れているようにすら見えた
い:あーあー、みなさんこんにちは!
奥田の声が会場に響く
いつも聞いている声
でも、今日はどこか違うように聞こえた
い:今日は来てくださってありがとうございます!私たちも精一杯演奏しますので最後まで楽しんでいってください!
奥田の挨拶があると、一瞬会場が暗転する
そこから照明がステージに当てられる
その瞬間、はっと息をのんだ
照明が当たった奥田の姿がとてもきれいで神々しかったから
い:What do you want to do?
ギターの演奏から始まり、奥田の歌声が響きだす
俺らが小学生くらいに聴いていた曲だ
懐かしさを感じるが、それ以上に奥田の声がいい
透き通るようでとても耳に入ってくる
素人でもうまいというのが分かる
い:運命だって引き寄せて輝き続けたいよ
何よりもギターを弾きながら歌っているのが凄いと思ってしまう
不器用な俺は同時並行でというのが苦手だ
今奥田がやっていることは俺にとっては神業でしかない
それになにより
い:溢れる想い~
なにより、奥田の表情がとても楽しそうだ
歌うこと、演奏することがほんとうに好きなんだと思う
それが全身から伝わってくる
周りの盛り上がりも感じていた
それだけの人を惹き込む魅力が奥田の声にはあった
い:ありがとうございます!
何曲かの演奏を終えたのはあまりにも一瞬だった
1曲目を聴いていたのに、いつの間にか時間が過ぎていた
そのくらい俺は惹きこまれていた
い:次が最後の曲になります。最初、この曲をすると話し合いで出た時、このようなライブに合うのか考えました。それでも私たちはこの曲を演奏しようと決めました。聴いてください
奥田の挨拶から最後の曲が始まる
それまでの曲とは違った曲調
い:いつも一緒にいたかった
ゆったりとした曲調に奥田の声が乗っかる
バラード調の曲調は確かにこのライブの雰囲気に合っているかは分からない
でも、間違いなく会場中が聞き入っていた
い:今でも~覚えている~
普段の奥田はしっかりとしていて俺のことを弄ってくる後輩
なのに今は会場中の視線を釘づけにしている
俺の知っている奥田とは違う
そのギャップがカッコよくて、寂しくなった
い:私も~
ラスサビまで終えて、演奏が終わる
会場中から拍手が起きる
終わるまでこの場にいる全員が息をのんでいるような気がした
そのくらい圧倒的だった
い:ありがとうございました!
「すごかったな!」
「演奏も凄いけど、ボーカルの人がすげえ!」
「私軽音やってみたいな」
周りの評価も上々
その中でも奥田への声が多かったように気がするのは先輩としての贔屓目が入っているだろうか
それでも奥田が褒められるのは先輩としても鼻が高い
けど
「あのボーカルの人可愛いよな」
「それな、歌も上手いけどなにより可愛いんだよな」
〇:・・・
奥田のことを可愛いという声にはもやっとしてしまう
確かに奥田って可愛いんだと思う
けど、それを今日初めて奥田のことを見たような人に言われるのは良い思いがしない
〇:何も知らないくせに・・・
演奏も終わって奥田も裏へ戻っていったタイミングで会場から出て行く
ライブ自体はとても良かった
初めてライブをする奥田を見たけど、普段の奥田とは全然違った
凛々しくて力強い歌声には感動すらした
ただ、最後、周りの観客の反応だけ気になった
奥田のことを可愛いという声
それが俺の中で大きく残っていた
い:あ、先輩!
〇:ああ、お疲れ
外に出て近くの自販機で飲み物を買っていると、演奏終わりの奥田がこちらに来た
さっきまでライブをしていたからか、何だか雲の上の人と話しているような気分だった
い:ほんとに来てくれたんですね!
〇:そりゃあ約束してたからな
い:来てくれただけで嬉しいです!
目の前にいるのはいつもの奥田
ライブの時とは違い、にっこりとしたいつも見ている奥田の笑顔だった
さっきまで見ていたのは俺の知らない奥田のような気がする
い:どうでした?
〇:すごくよかったよ、かっこよかった
い:ほんとですか!よかったぁ
〇:周りの人も褒めてたよ
い:先輩に褒められるのが嬉しいんです!
これまでで一番の奥田の笑顔を見た気がする
俺に褒められるのが嬉しい
その時の奥田の笑顔ではっと気づかされた
俺がなんで奥田がかわいいと思われるのが嫌だったのか
〇:好きだな・・・
い:えっ?
〇:えっ・・・あっ
い:今、先輩・・・
気付いた時には口から零れ落ちていた
自分でも気づかないくらいポロリと言っていた
それを奥田が聞き逃すわけがなかった
遅れて俺も気づいたが、すでに遅かった
〇:いや、そのっ・・・
い:・・・嘘、ですか?
〇:えっ
い:今の、嘘なんですか?
〇:・・・
嘘と言えばこの場は逃れられるのだろうか
奥田との関係性が変わらないためには逃げた方がいいに決まってる
い:・・・
けど、真っすぐに奥田がこちらを見てくる
奥田の目を見たらそれはダメな気がした
逃げるなんて考えは失礼だと思う
〇:・・・今日、周りの人が奥田のこと可愛いって言ってた
い:・・・はい
〇:それが、嫌だなって
い:えっ?
奥田も驚いた反応を見せる
それもそうだろう
俺だって自分でその気持ちに驚いていたのだから
〇:奥田のこと、全く知らないのに外見ばかり見てるのが嫌だった
い:・・・
〇:奥田は可愛いだけじゃなくて、いろんな魅力があって、可愛いだけですむ子じゃないのにって
奥田は可愛いだけじゃない
しっかりしていて、優しくて、けど先輩の俺のこと弄ってくる可愛げもある
バイト先でも愛されてる
本当に魅力的な人なんだ
い:それって
〇:ん?
い:嫉妬、ですか?
〇:あっ・・・
奥田に言われてようやく分かった
俺はただ嫉妬してるだけだった
俺の知ってる奥田なのに、外見だけで言われてるのが嫌だった
俺の方が奥田のことを知ってるのに
そんな、醜い嫉妬でしかなかった
〇:・・・うん、嫉妬してた
い:はい
〇:俺、奥田のことが好きなんだと思う
い:・・・
言ってしまった
自覚したのはついさっき
けど、ずっと好きだったんだと思う
ただただ俺が気づかないふりをしていただけ
い:先輩
〇:うん
い:遅いです
〇:えっ?
い:ずっと好きだったのは私の方なのに・・・
〇:嘘だろ・・・
奥田からの返事は俺の驚くようなことだった
俺は奥田に対して何かしてたわけじゃない
奥田はとても魅力的だと思う
けど、俺は
い:先輩と一緒にバイトする時間、ほんとに楽しかったんです。あの時間が楽しくてバイトに行ってるんですから
〇:そんなこと
い:けど、この数か月、サークルで行けなくて寂しかったです
〇:それは・・・
寂しかったのは俺の方だ
ここ数カ月、奥田がシフトに入る回数が少なくなった
その間、どこか物足りなさを感じていた
今思えば、寂しかったんだと思う
い:私も先輩のことが好きなんです
〇:ほんとに・・・?
い:嘘、ついてるように見えます?
見えるわけがない
そもそも奥田が嘘をついたところを見たことがない
真っすぐ、こちらを見つめてくる目は曇り一つない
〇:見えないよ、全然
い:じゃあ、信じてくれますか?
〇:うん、びっくりしたけど、信じるよ
い:よかった・・・
ホッとした様子の奥田
俺も力が抜けそうだ
自分自身も思いがけない告白に緊張感があった
お互いが同じ想いだと知って、とても安心した
い:じゃあ、付き合いますか?
〇:うん、付き合お
い:やった!
ギュッと手を閉じて喜ぶ奥田
その様子を見てただけでも可愛いと思ってしまう
奥田ってこうやって喜ぶんだなと新たな一面を見たような気がする
〇:可愛い・・・
い:ほんとですか?
〇:うん、奥田ってほんとに可愛いんだなっていつも思う
い:っ///なんで急に素直に言うんですか!
〇:正直に言った方がいいじゃん
い:そうですけど・・・
思ったより可愛いと言われる耐性がないのか
照れた様子も可愛いと思う俺はもうやられてるのかもしれない
い:あ、今日の曲どうでした?
〇:懐かしかったし、すごくよかった
い:ほんとですか!
〇:うん、でも最後の曲選んだのは驚いた
最後の曲は奥田の声にとても合ってたと思う
バラードが奥田には似合っているような気がした
でも、今日のライブの雰囲気とはちょっと違うような気がした
い:あれはみんなで話し合ってやろうってなったんです
〇:そうなんだ
い:あの曲をするってなって、先輩を誘おうって決めたんです
〇:え、なんで?
い:先輩に良いなって思ってもらえるかなって
〇:っ・・・
誘った理由があまりにも可愛すぎる
あの曲を歌う奥田には俺の心を掴まれた
頭の中にしっかりと残っている
い:あ、照れました?
〇:照れてねえ
い:嘘だ、さっきから目合いませんもん
〇:うるさい、あんまり先輩をからかうな
い:いいじゃないですか、もう彼氏なんですから
〇:・・・
しっかりと奥田には見透かされていた
どうやら誤魔化すことができないようだ
けど、奥田が可愛いのが悪い
い:あと、ライブ頑張ったのでおねだりしていいですか?
〇:なに?
い:名前で呼んでほしいです
〇:名前で?
い:奥田って呼ばれるの距離感じて嫌です
〇:・・・分かった
い:やった!
なんて可愛いおねだりなのだろうか
そんなお願いならいくらでも聞く
ただ名前で呼ぶのはまだ気恥ずかしい
い:じゃあ呼んでみてください
〇:えっ?
い:いろはって練習しましょう
〇:・・・
まだ心の準備ができてない
ずっと名字呼びだったのだから、いきなり帰るのは難しい
い:ほら、せーの
〇:・・・いろは
い:えへへっ、なんですか?
〇:・・・
い:拗ねないでくださいよ~
別に拗ねているわけじゃない
ただ悶えているだけ
俺はこんなに幸せでいいのだろうか
ただ学校に通ってバイトをしていただけの人間だ
そんな人間がこんなに幸せを感じれるなんて
い:○○君!
〇:えっ、どうした?急に
い:えへへっ、呼んだだけ!
〇:・・・
い:私幸せです!
〇:・・・俺もだよ、いろは
い:はい!
ほんとに俺の後輩・・・彼女は可愛くて幸せだ
