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なぜ「手堅い既存事業」は、じわじわと負けるのか。サッカーの戦術進化から読み解く大企業の構造的欠陥

平日の朝、通勤電車の中。

これから会社に向かうというのに、私はスマホで先日のワールドカップの試合を追っかけ再生していました。

イヤホンから漏れる歓声を、周りの乗客の迷惑にならないよう、音量を一つ下げる。

画面の中で、劣勢チームのフォワードがペナルティエリアの外から思い切りミドルシュートを放って、枠を大きく外しました。

解説者が言います。「彼はこうやって外すこともありますけど、一発の怖さを秘めてますね。」

その瞬間、私はなぜか、これから向かう会社のことをふっと思い出して、手すりを握る手に力が入りました。

私は普段、企業の研究所で新規事業開発という、まだ世の中に無いものをゼロから立ち上げる仕事を担当している、しがないヒラ研究員です。

口を開けば「VUCA(=先が読めず、変化が激しく、正解が無い時代のこと)の時代ですから」「このプロダクト、まだPSF(=顧客の課題と自社の提供する解決策が合致すること)してないですよね」と、大層な横文字を得意げに並べ立てるような仕事です。

でも正直に白状すると、もしうちの会社の会議室で、先ほどのフォワードのようにリスクのあるシュート(=挑戦)を外したらどうなるか。

上司が解説者のように「一発の怖さがある」と評価してくれることはありません。「なぜ確実にパスを回さなかった!」と激詰めされるのがオチです。


「堅守速攻で守り勝て」と叱咤する会社

私の勤めるような伝統的な日本の大企業(いわゆるJTC=ジャパニーズ・トラディショナル・カンパニー)が得意としてきたのは、サッカーに例えるとこんな戦い方でした。

「5バックでゴール前をがっちり固める。自陣でボールを拾っても、無理はせず、ボールを失わないようにサイドへ展開。手数をかけずに相手ゴール前にロングボールを放り込んで、ピンポイントでフォワードに合わせる」

堅実に守り、ボールを失わず、失点を最小に保つ。
手堅く、負けないことにこだわる守備重視の戦略。
私も新人時代、この堅守速攻の世界で育ちました。

ところが近年、同じ会社の同じ経営層が、急にこう言い出すわけです。

「これからはVUCAだ。イノベーションだ。新規事業をやれ」

私の理解では、新規事業というのは構造からして堅守速攻の真逆です。

守備ラインを高く上げてコンパクトに保ち、敵陣でボールを失った瞬間にゲーゲンプレス(=前線からの即時奪還)で一気に主導権を取り戻す。

アタッキングサード(=相手の急所となるエリア)では積極的にミドルシュートを狙い、相手に常に脅威を与え続ける。

ヨーロッパの最前線を走るビッグクラブや、それを模倣するチャレンジャーたちが挑んでいるのは、この「主導権を握り続けるサッカー」です。

つまり経営層は、こう言っているのに等しい。

「5バックで無失点に抑える堅実な守備職人として君を評価してきたが、明日から最終ラインを30メートル押し上げて、リスク覚悟で相手ゴール前に鋭いキラーパスを供給しろ。ただし、ディフェンスラインの裏は絶対に取られるな」

……いや、それは無理ゲーでは?

頭ではわかっているんです。
VUCAでは主導権を握りにいくのが合理的だと。

けれど、会社の本体は、いまだに5バックで動いている。

ここで一つ、誤解しやすい点を先に潰しておきます。

ハイライン戦術というのは、無謀にディフェンスラインを上げて特攻することではありません。もし相手にボールを奪われても、全員が即時奪還できる距離にいるから、あの高い位置を取れる。

つまりあれは単にリスクを取っているのではなく、リスクを緻密に設計しているんです。

そんな無理ゲーを要求されても……


「PL脳」という名の古い采配

田所雅之氏の『御社の新規事業はなぜ失敗するのか?』という本で、「PL脳」という考え方が述べられています。すべてを短期の損益計算書=もうかったか損したか、の物差しだけで測ってしまう思考のクセのことです。

既存事業は、失点数で測っていい世界です。

すでにルールも相手の戦い方も見えている長丁場のリーグ戦を、堅守速攻で堅実に勝ち点を積んでいく。

でも新規事業は、まだルールブックも対戦相手も明確ではない、公式戦ですらないストリートサッカーに近い。

ここに既存事業と同じ「失点しないこと」という物差しを持ち込んだ瞬間、場慣れした魑魅魍魎が跳梁跋扈するフィールドで、攻め手を欠いて右往左往するプレイヤーが続出します。

5バックの堅守速攻って、実は「リーグ戦だと優勝はしにくい」戦い方とも言えます。

格上を単発で食う、いわゆるジャイアントキリングを起こせる可能性はあります。でも、シーズンを通して勝ち点を積み上げてリーグを制するチームの多くは、ボールを持って主導権を握る側です。

理由はシンプルで、守ってカウンターだけを続けていると、相手にボールを渡し続けて試合の主導権をずっと相手に握られたままだから。一試合単位では守り切れても、レギュラーシーズン38試合を通すと、じわじわ削られる。

既存事業はこれに似た構造だと思うんです。

堅守速攻の既存事業は、たしかに安定して勝ち点(=利益)を拾えます。でも、守りに入って同じ戦い方を続けているうちに、製品はコモディティ化していく。

どこの対戦相手と戦ってもスコアレスで試合時間が過ぎて、最後は「どっちが安く売るか」という価格競争、つまり我慢比べのロースコアゲームに引きずり込まれる。

そして何より、ずっと自陣で守らされている選手(=従業員)のモチベーションが、静かに死んでいく。自陣に引きこもって相手ゴール前に迫れないゲームを何年も続けさせられて、心が折れない選手はいません。

失点はしていない。
負けてもいない。
でも、勝ちにいっていない。

結果的に相手に押し込まれていつしか失点してしまう。この遅効性の失点の怖さは、短期の損益計算書には記載されていません。

そして、この失点回避脳のいちばん厄介なところは、選手(=現場)ではなく、監督(=経営層)に巣食っている点です。

中期経営計画には、判で押したように「新規事業に挑戦します」と書いてある。でも実際にピッチへ送り出されるのは、私のような新規事業開発部門の限られたフォワードだけ。監督本人は、ベンチで古い戦術ボードを睨んでいる。

そして肝心な場面で、こう指示を出すんです。

「ゴールを狙え。ただし確実に決められる時だけだ。ちょっとでもボールを失いそうになったら、すぐに後ろに戻せ」

殴りに行けと言いながら、シュートを撃てる場面でもバックパスの優先順位が高い。監督は大真面目です。なぜなら彼には5バックで守り勝ってきた成功体験しかインストールされていないからです。

守って守って守りぬけ!!


監督の「腹落ち」だけが、いつまでも赤字のまま

しんどいのは監督が「頭では」わかっている、という点です。

「これからは主導権を握るサッカーの時代だ」と、経営層の会議では正しく発言します。でも、実際には1ミリも腹落ちしていない。

だから、最後の最後、本当にラインを押し上げる意思決定の局面で、必ずブレる。

「やっぱり裏を取られるリスクが高い」
「今期は守りを固めよう」
「確実にボールを保持できる基礎練習をやろう」

半年かけて育てた企画が、監督のこの一言で、そっとベンチに押し戻される。

私自身、押し戻された会議の後で「まあ、次がありますし」と物分かりのいい顔で会議室を出て、トイレの個室で5分ほど天井を見上げたことがあります。

多くのJTCの新規事業が空中分解するのは、選手の実力不足でも、市場が無いからでもなく、監督が世界のトレンドについて行けていないからじゃないか。

監督に腹落ちさせる苦労は、現場の疲弊という形でしか支払えないのです。


戦っているピッチが、もう昔の形をしていない

新規事業の成功率は、統計的にせいぜい1〜2割。10回に8回はボールを失う前提のゲームです。そんな状況で「絶対に奪われるな」と詰められる理不尽の中では、ボール保持率そのものより、一度奪われたあとに即時奪回できるメンタルが残っているかどうかが、本当の実力なんだと思います。

いまヨーロッパの最先端では、そもそも「堅守速攻か、ハイラインか」という二択で戦っているチームすら、もう古株になりつつあります。

たとえば、わざと自陣の深い位置でボールを持って相手を誘い込み、食いついてきた瞬間に、空いた背後を一気にひっくり返す。

危険なはずの自陣でのボールキープが、実は相手を釣り出すための罠になっている。リスクを餌にして盤面ごと反転させてしまう発想です。「守り」と「攻め」がもはや別々のフェーズですらなく、地続きに繋がっています。

何が言いたいかというと、ピッチそのものの意味が書き換わっているということです。

昔の采配は「自陣は守る場所、敵陣は攻める場所」という固定された地図の上で行われていました。

でも今は、その地図の線が引き直されている。同じ「自陣でボールを持つ」という現象が、10年前は「逃げ」で、今は「罠」になる。プレーの意味が書き換えられているんです。

きっと経営も同じで、既存事業一辺倒の監督がいちばん見落とすのは、自分が古い二択(=堅く守るか、無謀に攻めるか)で采配ノートをめくっている間に、競合が、先端技術が、顧客の期待が、つまり戦っているピッチそのものが形を変えている、という事実。

堅守速攻という戦い方が悪いんじゃない。その戦い方が前提にしていたピッチが、もう存在しないんです。

監督はすでに時代遅れになった戦術ボードの上で、いまも完璧な采配を続けている。現実のピッチでは、とっくに勝負の土俵の形が変わっているのに。


監督は替えられないから「ものさし」を替える

ここまで威勢よく監督批判をしてきましたが、悲しいお知らせがあります。

一介の選手に、監督は替えられません。
むしろ、チームの編成権は向こうにあります。

せめて底辺のヒラ社員にもできることを3つ、置いておきます。

①KPIを自分の中で書き換える

監督が失点数で評価するとしても、自分の脳内だけは「今期、どれだけ相手ゴールに迫れたか」という決定機の創出回数を記録する。

枠を外したミドルシュートを「無駄撃ち」として処理するのではなく、「相手DFラインを下げさせた戦略的な一本」として正式に認定する。評価軸の主導権を、他人から静かに奪い返す作業です。

②失敗を翻訳して監督に渡す

「失敗しました(=土下座)」ではなく、「仮説Aは崩されましたが、そのプレスの掛け方から次の攻め筋が見えました」と言い換える。

嘘は一つもついていません。ただ、失点回避脳の監督にも「これは後退ではなく前進だ」と伝わる言語に変換しているだけです。

事実は同じ、パッケージが違う。この翻訳作業を怠った瞬間、あなたの挑戦はただの「失点」として計上されます。

③外に味方を作る

社内だけで失敗を完結させると、監督の叱責を至近距離でまともに浴びることになります。

これを避けるために、大学の研究室やスタートアップといった外部の助っ人を、あらかじめチーム編成に組み込んでおきましょう。クラブの外側からサポートが届く起点を、平時のうちに確保しておくのです。

新しいやり方を考えないと……




スマホ画面の中では、さっきミドルシュートを外したフォワードが、また同じ位置でボールを持ちました。

今度は、味方に横パス。
無難な選択です。

でも次の瞬間、彼はもう一度ペナルティエリアに向かって走り出していた。バックパスで逃げる素振りなんて、一度も見せていなかった。

電車が減速して降車駅のアナウンスが流れました。

私はスマホの画面を暗くして、ポケットにしまう。
イヤホン越しに残っていた歓声が、ぷつりと途切れる。

私は会社ではロジックの鎧を着込んで、失点回避脳の監督の前で、それでもラインを上げる構えを崩さずにピッチに立つでしょう。

奪われて、自陣で頭を抱えて、また相手ゴールへ走り出す。監督に新しい戦術を腹落ちさせる日は、定年するまで来ないかもしれません。

でも、監督が失敗を叱責しようが、私が自分のスタッツに「決定機の創出回数」を書き込み続けているかぎり、この試合は終わりではありません。

ドアが開いて、私はホームの人波に押し出されました。

今この瞬間、どこかの会議室で「後ろに戻しておけ」と命じられている誰かの脳内にも、思い切って振り抜くシュートの軌跡が描かれることを、祈りながら。



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