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反AIも天皇制も、なんもかもロマン主義 暑い日はロマン主義に限る

あんまり暑いから、昨日はおもてに出ず、エアコンつけっぱなしで部屋にとじこもり、カール・ゴルトマルクばかり聴いてました。

YouTubeで、けっこうたくさん、ゴルトマルクが聴けます。


やっぱり、ロマン主義がいいわー、と思って。

暑い日は、「ロマン浴」に限る、と思って。

カール・ゴルトマルクは、19世紀の、今は忘れられたロマン主義の作曲家なんですけどね。


時代は、ロマン主義だなー、と思うわけ。

天皇制のことを、人々は話してるけど、あれもロマン主義ですから。

民族固有の精神、みたいな話ね。それ、ロマン主義ですから。


あと、AIに反発したい、とあなたが思えば、それもロマン主義ですから。

セクハラとかパワハラとか、国連主導のポリコレがうざい、と思うなら、それもロマン主義ですから。

左翼ウザい、その根本もロマン主義ですから。


山尾志桜里は、口では優等生的な普遍主義を言うが、下半身はロマン主義ですから。

イーロン・マスクも、やってることはAI的だけど、人間としてはロマン主義者。


ロマン主義とは何か。

たまたまネットで見つけた定義を引用します。


ロマン主義は典型的に明晰さや合理性、形式、普遍的基準といったような、ローマ=フランス=地中海精神に対する文化的・政治的反動として捉えることができる。ここからロマン主義は西欧の遺産に対する永遠のドイツの反抗の19世紀版であるということができる。(ヴィーレック Metapolitics, p. 19)


ロマン主義者とは、あるものが有機的であることはいつも善いことであると言い続ける人のことである。ロマン主義者は、さらに進んで、倫理的あるいは政治的な法則あるいは規準によって、自分が崇拝している特定のものが制限されることはいつも悪であると主張する―これが決定的なロマン主義の信条(the crucial romantic credo)である。
(ibid.)


古典主義者が対象を「存在」として取り扱うのに対し、ロマン主義者は生成として取り扱う。ロマン主義者にとってはいかなるものも生成することを止めてはならない。 というのは静止するや否や、それは死してしまうからである
。(Metapolitics, p. 45)

「ハイデガーはロマン主義者か?」 愛媛大学 山本與志隆(2022)https://heideggerforum.main.jp/data2022/Yamamoto_manuscript.pdf


フランス革命を起こした啓蒙主義者、「世界市民」どもが、人間や社会を合理的で静的なものと扱うのに対して、ロマン主義者は、ふざけんな馬鹿野郎と、人間や社会は、もっと自然で、本能的で、「生成」的なものだ、と叫ぶ。


I'm a soul man
I'm a soul man
I'm a soul man
I'm a soul man

俺はソウルマン
魂でいっぱいの男
俺はソウルマン
俺の愛を受け取ってくれ


ブルースブラザーズが歌った「ソウルマン」も、ロマン主義です。元歌は60年代の反体制ソングですね。


天皇制も、象徴天皇制ってのは静的で存在的だから、もっと「生成的」に、ロマン主義的に変えないと続かない。

「伝統を守れ」なんて言ってるのは、古典主義的だからダメ。いま日本精神が「生成」している、という動的な歴史の具現化にならないと。三島由紀夫が言いたかったのもそういうことなんだから。

AIで置換されそうになっている人間は、今こそロマン主義を叫ばないといけない。


啓蒙主義VSロマン主義、理性VS本能、の戦いは、ずっと続いてるわけです。



それを考えるにあたって、カール・ゴルトマルクなんかは、改めて注目されていいと思うわけ。

われながらこじつけ臭いけど。


コリン・ウィルソンが、

「クラシックファンが、どの作曲家がいちばん好きか、と聞かれたら、意見が分かれると思うけれど、どの時代がいちばん好きか、と聞かれたら、意見が一致するに違いない。19世紀だ」

みたいなことを書いていた。

19世紀、すなわち、ロマン主義の時代ですね。


みんな、本当はロマン主義が大好きなんです。

澄ました顔で、スカしたことを言ってるけど、本当はロマン主義が好き。

今風にいえば、エモですか。エモいのが好き。

本当はエモに溺れたい、と思っている。


人は、ロマン主義に触れたくて、音楽とか映画とか文学とかに触れている。

恥ずかしいから、はっきりとは言わないけど。

ロマン主義は、AIに代替されない、最後の砦みたいなもんですね。


カール・ゴルトマルクは、そのロマン主義ど真ん中みたいな人なんです。

彼については、以前も書いたことあるけど。引用するとーー


カール・ゴルトマルク(1830‐1915)はユダヤ系のハンガリー人。
チョー貧乏な家庭に育ち、才能を惜しんだ友人たちの募金で音楽学校に行った。
成人しても、ヴァイオリニストなどのバイトで稼いで作曲してたらしい。
ブラームスの親友になったが、本人はブラームスの性格が苦手で、音楽の趣味も、どちらかというとワグナー派だった。
オペラ「サバの女王」や、ヴァイオリン協奏曲、室内楽曲が欧米では戦前まで盛んに演奏され、シベリウスやフランツ・シュミットが影響を受けた。
作曲はほとんど独学だったが、劇場の経験から学んだ色彩的な管弦楽法が特長。ブラームスとマーラーをつなぐ作曲家とされ、マーラーも影響を受けたといわれる。
人気曲「交響曲1番”田舎の婚礼”」は、ブラームスの1番と同年1875年に初演され、ブラームスに絶賛された。
「田舎の婚礼」は5楽章形式で、中欧の風土がおおらかに謡われる。トマス・ビーチャムやレナード・バーンスタインのお気に入りだった。ほかにアンドレ・プレヴィンやモーリス・アブラヴァネルらが録音している。
なお、甥のルービン・ゴールドマーク(1872‐1936)はアメリカに渡り、ジョージ・ガーシュインやアーロン・コープランドの作曲の師となった。


(ちなみに、彼の名前は、「Karl Goldmark」とも「Carl Goldmark」ともつづられます。「Karl」はドイツ語のつづり、「Carl」は英語式です)


ブラームス派とワーグナー派は、批評的には対立してたわけだけど、ゴルトマルクは両方の知人で、両方を称賛していた。

そして、若きマーラーに影響を与え(マーラーはゴルトマルクのオペラを指揮している)、晩年はリヒャルト・シュトラウスと並び称された。

これだけビッグネームと「こすっている」のに、今ではほぼ完全に忘れられたのが不思議ですね。

ゴルトマルクの音楽を聴くと、まさにブラームスとワーグナーが合体したような音楽だとわかります。


ゴルトマルクはユダヤ人だった、というのがやはり大きい。

ゴルトマルクは、ワーグナーの最大級の崇拝者だったけど、ワーグナーは反ユダヤ主義者だったから、ゴルトマルクに一貫して冷たかった。

マーラーはユダヤ人だったから、そのあたりでゴルトマルクに親近感を覚えていたのかもしれません。

レナード・バーンスタインが、20世紀の有名指揮者としては例外的にゴルトマルクを好んだのも、やはりユダヤ性があるんだろうな。


ロマン主義が、現在ちょっと恥ずかしい存在になっているのは、やっぱりドイツのファシズムにつながった、という暗い過去があるからですね。

そして、ドイツのファシズムといえば、日本も無関係ではないわけです。

それが祖国崇拝につながり、排外主義になると、祖国を持たないユダヤ人を迫害し始めた。

ロマン主義は、いいものだったけど、邪悪なものにも変われるんですね。


しかし、ロマン主義の発生自体に、ユダヤ人、ユダヤ主義がかかわっている、という歴史もあるんです。


18世紀末から19世紀にかけてヨーロッパで隆起したロマン主義は、理性や普遍性を重視する啓蒙主義に反発し、個人の感情や民族固有の精神(フォルクスガイスト)を称揚しました。 

  • サロン文化の形成: ドイツ・ロマン主義の時代、ベルリンなどの都市ではユダヤ人商人や知識人の家庭(ザロモン・モンドゾーン家など)が文化的なサロンを開きました。ここでは思想家、芸術家、貴族らが自由に議論を交わし、ユダヤ人女性(ラーエル・ファルンハーゲンなど)がロマン主義運動の重要な担い手となりました。

  • 同化と改宗のジレンマ: ロマン主義は個人の個性を重んじる一方で、キリスト教的なゲルマン民族の伝統を美化する側面がありました。そのため、ドイツ社会に完全に溶け込み、文化的なエリートとなるためにキリスト教へ改宗するユダヤ人も多く現れました。 

ロマン主義が特定の「民族(国家)」の起源や固有の神話を神聖視するようになると、それは排外的な民族主義へと変質していきました。

(GoogleのAI「ロマン主義とユダヤ主義の関係は?」)


ロマン主義とユダヤ主義の屈折した関係なんてのは、夏休みの自由課題にいいと思うんですけどね。



そういう思想、哲学、いっさい関係なく、私はカール・ゴルトマルクの音楽が好きですね。

彼の曲を聴いてると、なんか忘れていた昔の記憶、子供の頃に見た風景とか、いつか夢で見たどこか懐かしい場所とか、そういうのが脳裏によみがえってくるんですね。

昨日も、エアコンがんがん効かせて、ベッドに寝っ転がって彼の曲を延々聴いてると、さまざまな光景が脳裏に浮かんでは消えました。


前にも書いたけど、彼の音楽は、なんかのんびりしてていい。

貧しくて、差別された、なんてルサンチマンはありません。


ブラームスの交響曲1番と彼の1番は同年に発表されたけど、ブラームスのが、

「オレは深刻だ。深刻なんだぞお!」

と冒頭からイキリっぱなしなのに対して、ゴルトマルクのは、これ↓ですから。


カール・ゴルトマルク「交響曲第1番”田舎の婚礼”」(レナード・バーンスタイン指揮NYフィル)


ブラームスに絶賛されたことで有名だけど、彼は内心「オレの方が技術は上だけど、これは真似できない!」と思ったのでは。

ブラームスは、なにしろドイツ音楽の未来を背負っている、というイキリがあるけど、ゴルトマルクは、国家とか関係ないですから。

その対照性が、それぞれの「1番」でよく出てると思う。


ゴルトマルクは、とにかく歌う、歌い続ける、歌いまくる、という音楽ですね。

その歌は、感傷的だけど、悲愴的ではない。まさにユダヤ的で、これぞロマン主義、と多くの人が感じると思う。


ゴルトマルクは、バイオリニストでもあったから、バイオリンが活躍する曲が一般にいいです。

生前、たぶん最も人気があり、いまも演奏機会が多いのは、バイオリン協奏曲でしょう。

2022年のR.カプソン×エラス=カサド/フランス放送フィルの演奏は、日本でも話題になりました。この動画が、たぶんゴルトマルクの中で、いちばん試聴されていると思います。


カール・ゴルトマルク「バイオリン協奏曲」(ルノー・カプソン、エラス=カサド指揮フランス放送フィル)



私が昨日いろいろ聴いた中で、心に残ったのは「ロマンス」という短いバイオリン曲です。


カール・ゴルトマルク「ロマンス」(ウルフ・ヴァリン、ブルーノ・カニーノ)


ゴルトマルクは、20世紀まで生き延びた数少ない19世紀のロマン主義者の一人でした。

ワーグナーもブラームスも、19世紀のうちに死んだ。マーラーは、ゴルトマルクより30歳若いけど、そのマーラーよりも長く生きてますからね(マーラーは1911年に50歳で死去、ゴルトマルクは1915年に85歳で死去)。


この「ロマンス」について、詳しい来歴はわからなかったのですが、1913年の作品とありますから、彼が83歳、死の2年前の発表ということになります。

1913年といえば、ストラヴィンスキーの「春の祭典」が初演された年ですから。ドビュッシーもラヴェルも、主要曲はほぼ発表済みです。

そんな年に、こんなのんびりしたロマン派の曲を発表しているのが、いかにも時代錯誤というか、ゴルトマルクやなあ、と思います。

老年の曲という関心もあるし、ゴルトマルクの生涯の「歌」が凝縮されたような曲で、味わい深いと思いました。



<参考>


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