【長編小説】オーバーライド 第 12 話
《首相 土井亨》
土井は、パソコン画面に映る「国民の声」を睨みつけ、顔を赤くしていた。拳を握り締め、爪が掌に食い込んでいく。それはAIが収集した膨大なデータであり、有権者の裏の顔だ。
SNSを削除し、報道規制もかけているが、見えないところで否定しているのがわかる。そんな自分への批判に、土井の怒りはさらに大きく膨らんでいく。その時、執務室のドアがノックされた。
「なんだ?!」
思わず怒りが爆発する。すると、静かにドアが開き、秘書の小川が顔をのぞかせた。
「土井先生……あの」
「なんだと言っておるだろう!
忙しいんだ、言いたいことがあるならさっさと言わんか!」
「は、はい!」
執務室に入った小川の背後には、男のAI。そして小川専用の女のAIがいた。
「ん? なんでお前はAIを二体も連れておるんだ?」
「いえ、女の方は私のですが、男の方は土井先生のAIです」
「わしの?」
「はあ……ぜ、前回先生が『女のAIでは役に立たん』とおっしゃって。
それで、今回は男のAIをご用意いたしました……」
小川は身体を小さくした。秘書という立場上、逃げることもできない。土井の怒りが小川の胃をキリキリと痛みつけてくる。
「……いらん!」
「そ、そうはおっしゃられても……もう、これは……決まったことですから」
「何が決まっただ? わしは首相だぞ。
こんなもんがそばにいたら、何を見られるか分からんだろうが!
話してる内容だって、全てデータになるというのに!」
土井の頭の中に、先ほどまで見ていた数多くの否定的な言葉がよみがえる。それは国民たちが、聞かれているとも知らずに、好き放題いっている内容だ。それを収集しているAIが、首相である自分のところに来れば、どうなるかは火を見るよりも明らかだと思えた。
「ですが、先生……」
「何が『ですが』だ!?
いいか、AIを国民に配布したのは、反乱を起こされないように見張らせるためだ。わしには必要のないものだろうが!」
「しかし……ですね」
「もういい! バカな国民は未だにわしのことを悪く言いおる。
これでは、せっかくのAI法案も、無駄というものだ」
「そうお思いになるのも、分かりますが……」
「分かっておらんだろうが!
わしは重要な仕事をしているんだ。
デスクの上にも極秘の書類があるというのに、こんな奴がそばにいたら、全てを見られてしまうじゃないか!
大事な情報が外部に漏れてみろ、わしの政治生命が断たれかねんだろう!」
「せ、先生のおっしゃりたいことは、重々承知しております。
ですが、他の先生方にもAIを配布しているわけですし……。
それなのに……自己都合で首相だけがAIをそばに置かないというのは、問題があると思われますし……。
こんなことが野党に知れたら、それこそ、足をすくわれかねません……ですから、ここはどうか」
「自己都合だと?」
土井の顔が険しくなった。それが分かった小川は言い過ぎたことを後悔した。だが、ここで折れたのでは、それこそ揚げ足をとられかねない。
「いえ、そういうことではなく……どうか、先生。
ここはひとまず引いていただいて、おそばにおいておくことをご理解いただきたいのです」
土井の目がギラリと光り、小川を睨みつけた。これでは、小川が土井に苦言を呈しているように聞こえてしまう。何か良い言いようはないか。こんな時こそ、AIが役に立ってくれればと、視線をAIに向けてみる。だが、AIは全く表情を変えることはなく、何もなかったかのように前だけを向いている。
(どうしたらいいんだ……)
土井の怒りを鎮め、こちらの意向を聞き入れてもらうためには――必死に考えていた時、あるアイデアが浮かんできた。これなら土井も理解してくれる。そう確信した小川は、顔を上げるとまっすぐ土井に視線を向けた。
「それに! 先生は偉大な政治家ですから、どこで誰に狙われるかもわかりません。そうならないように、AIをボディガードとして置いておけば、安全ではないでしょうか!?」
「ボディガードだと?」
「はい、AIはロボットですから。刃物で刺されようと、銃弾が飛んで来ようと、大した問題はありません。
先生をお守りするには、ちょうどよろしいのではないでしょうか?」
土井の顔がニヤリと歪んだ。確かにその通りだと思ったらしい。だが、秘書に言われてすぐに了承したのでは、土井のプライドが傷つく。そこで土井はもったいぶったように背を向けると、部屋の隅へと足を向けた。そこに置かれているのは愛用のゴルフクラブだ。それを手にした土井は、男のAIへと歩みよりクラブを大きく振りかぶった。
「せ、先生! なにを!?」
小川が驚いた瞬間、土井は腕を振り下ろし、AIに向けて打ち付けたのだ。
金属がぶつかる音がした。AIは衝撃を受け、体を揺らしたが、倒れることはない。あまりのことに息を飲む小川だったが、AIを哀れと思えど、それを口にのせることは出来なかった。
「なるほど、確かに強靭と見える。
ならば、コイツをボディガードとしてそばに置いてやろう」
「あ……ありがとうございます」
小川は額から流れる汗をハンカチで拭き抑え、AIを残して部屋から出て行った。
「まったく、なんて人なんだよ……いくらロボットだからって、あんなことをするなんて」
小さく漏らした小川は、震える指を揉みしだき、大きく息を吸い込んだ。だが、そのつぶやきは土井には届いていない。いや、届かないようにしっかりとドアを閉めたのだ。
部屋の中に残されたAI。それに向かって土井は不敵な笑みを浮かべていた。
「そうか、殴ったところで、お前は何ともないってことだよな」
嘲るように声を漏らすと、パソコンへと顔を向けた。その目には、怒りが宿っているのが見てとれる。その怒りを晴らそうと、再びゴルフクラブを振り下ろし、AIを殴り続けた。すると、人工皮膚に覆われたその奥から、痛みにも似たかすかな金属音が聞こえてくる。だが、土井は気にしなかった。
「愚民共が! 俺をバカにしやがって!」
頑丈な扉の中では、清廉と温和という仮面を脱ぎ捨てた土井の声が響きつづけている。それは、誰にも聞こえてはいない。しかし、ゴルフクラブを振りかぶる土井の姿はAIの冷たい瞳に映り続けていた。
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