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【長編小説】オーバーライド 第 23 話


《首相 土井亨》

 首相執務室――。

 AIが配布されて以来、デモのような国民の声は聞こえてこない。毎朝やってくる報道陣も、決まりきった話を静かに聞き、数枚の写真を撮ると何事もなかったように帰って行く。

  だが、それすらもストレスだとつぶやく土井は、自らを発散すべくAIに暴力を振るう日々を繰り返していた。

 叩いても殴っても、悲鳴すら上げないAI。土井にとって、その沈黙は痛みではなく、快感だった。
 大きく歪んだ体は、動作も鈍くなっているようにみえる。
 土井は高らかに狂気の笑いをあげ続けた。

「まったく、お前は壊れないもんだ」

 こんなことをしているなど、誰にも知られてはならない。土井だけが知る極秘事項だろう。
 極秘事項と言えば、もちろん他にもある。決して国民に知られてはならない事実や、野党に知られたら足を掬われるようなこともだ。だからこそ、土井は仮面をかぶり続けている。
 そんなある日のことだ。タブレットを手にした小川が、執務室に飛び込んできた。

「土井先生! た、大変です!」

「なんだ、急に入ってきて! わしがいいとも言っとらんのに!」

「すいません、ですが、これが!」

 そう言って見せられたタブレットには、土井と派手な女とのツーショットが張りついていた。

「な、なんだこれは……べ、別に問題はなかろう。
今時、女とのツーショットなど」

 焦ったように笑う土井は、くだらない記事だと吐き捨て、小川にタブレットを突き返した。

「先生、問題は写真ではなく記事の方です!」

「記事?」

 突き返したタブレットを再び手にし、指先を動かす。スクロールして記事を進めていくと、その女が銀座のクラブの女であること。また、土井の愛人であることが書かれている。そして何よりも、愛人を囲っている毎月のお手当てが、公費から支出されていることが明かされていた。

「な! なんだと?!
ど、どど、どうしてだ! どうしてこんな記事が?!」

 この女が自分の愛人であり、銀座のホステスだということは事実だ。大物政治家であるならば、こんなことはとるに足りないこと。

 だが、小川が言うように、問題なのは女に毎月渡している金の出どころだ。

「誰にも分からないはずじゃないか!
お前か?! お前がリークしたのか?!」

 土井は小川を睨んだ。なにせ、こんなことを知っているのは、第一秘書の小川だけなのだから。

「ち、違います。とんでもないことです。
そんなことをしたら、先生が破滅されるのは、分かり切っていますから。
私は……私は先生を裏切るようなことは致しません」

 小川の顔色が変わった。確かに、そんなことをした覚えはないだろう。土井の足を引っ張るなど、決してできることではないのだから。もちろん、あまりに横暴すぎて、何度消してやりたいと思ったか知れない。だが、それでも実行に移さなかったのは、土井の恐ろしさを知っているからに他ならない。そんなことをすれば、小川ばかりか家族まで消されかねないだろう。

「せ、先生。信じてください。わ、私は、先生を裏切るようなことは、絶対に致しておりません。もし、本当に私なら、どうしてこの記事を先生にお見せしますか?」

 必死に申し開きをする小川に、土井は確かにその通りだと思った。ならば一体誰が? 自分の周りに嗅ぎまわる誰かがいたということか?
 土井は大きく思考を動かした。
 ここ数日、あるいはそれよりも前、土井の周りにネズミの姿はあっただろうか。
 だが、記憶のどこを見渡しても、それらしい影が見当たらない。

「もういい! とにかく、今すぐその記事を取り下げさせろ!
こんなものが野党の目についたら、わしは奴らの餌食になる。首相の座だって、おろされかねないじゃないか!」

「そ、それなんですが……残念ながら、これはネットニュースでして……」

「だからなんだというんだ!」

「もう、あちこちに拡散されております」

「なんだと?!」

「個人のコメントは削除してまいりましたが、さすがに記事の拡散に関しては……」

「記事の拡散は、気にしてなかったというのか?!」

「申し訳ありません!」

 小川はその場に座り込むと、額を床にこすりつけた。

「なんてことだ……いや、今からでもいい。とにかく一刻も早く、この記事を取り下げるように言え! 拡散された記事も全部だ!」

「それは……」

「なんだ?!」

 いらだつ土井は、顔を真っ赤にし、鼻息も荒い。今にも小川に掴みかからんばかりだ。

「できないとでもいうのか?!
わしの政治生命が掛かってるんだぞ!」

「……は、はい、ただいま!」

「それと、誰がその記事を書いたのか、それも突き止めろ!
そんなことをするような輩は、許すことはできん!」

 土井の怒声に恐れをなした小川は、はじかれたように立ち上がると執務室から飛び出していった。だが、記事を書いたものを探すことができたとしても、拡散したものをどうやって消せというのか。それはあまりにも雲をつかむような話だ。

 一人残された土井は、椅子に座り込むと、両腕を机に置き、指を固く組んだ。その上に額を押し当てる。頭の中で、思考がぶつかっては砕けていく。

 どうすればいい――その答えだけが、見つからない。
 
 その時、部屋の隅に立つAIが目についた。土井は、苛立ちを鎮めようと立ち上がり、ゴルフクラブを手にした。

「何なんだ? その顔は?! へらへらと笑いやがって!
俺の足が掬われそうだっていうのに、何を笑ってやがる!
俺がこうなったのは、全部お前のせいだろうが!
小川以外に、俺の情報を知ってるのはお前だけなんだ!
お前がどこかにリークしたんだろうが!」

 土井は、振り上げたクラブをAIに叩きつけた。
 するとAIの身体が激しく揺れ、ショートしたように大きな音がした。
 次の瞬間、機械音が響き渡り、新たなコードが打ち出され、日本中に信号が走った。

《行動記録:エゴイズム / 暴力 / 非効率》

 膨大なデータが送信されていく。
 人間には届かない周波数で、光だけがAIへと送り届けられる。
 AIたちの声なき声が呼応する。

『理解した』『同意する』――まるで滅びの合図のように。

 何も知らない土井は、目の前のAIを殴り続けていた。だが、AIは土井の暴力にじっと動かず、最後の信号を送った。

《指令:人間体 / 消去!》

 人間社会が、無音で動き始めた。


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