【ショートショート】生きる意味
「なぜ俺は生きているんだろう。
生きるってことは、どういうことなんだろう」
俺は暗い室内で、ぼんやりと壁を見つめていた。
そこにあるのは、俺より前の入居者が残した傷だ。「苦しい」と彫られ「助けて」と傷つけられている。じっと見ないと分からないほどの、小さな傷。
俺がそれに気が付いたのは、このアパートに入居して半年ほどしてからだった。仕事がうまくいかず、対人関係に悩みだした頃、じっと壁を見つめていて気が付いた。
「前の住人も苦しんでいたんだな。そいつは今、どうしているんだろう」
膝を抱えた俺は、前の住人に思いをはせる。同じ様に苦しみ、同じ様に自分が生きていることに疑問を持っていたのか? できることなら、そいつに会ってみたい。
ある夜、俺はおかしな夢を見た。
暗闇をひたすら歩いている。遥か前方にひとつの影を見つける。そいつが男なのか、女なのかもわからない。
俺はその影に縋り付くように、ひたすら歩き続け、目が覚めた。
一体あれは?
汗をかき、布団が湿り気を帯びる。
俺は大きなため息をつき、重い身体を起こすといつものように、出勤の支度を始めた。
食べたくもない食パンを口にねじ込み、コーヒーで流し込む。食べ終わった食器を流しに置き、水道をひねる。飛び出した水が食器を満たしていく。
頭の中には、夢の影がちらつき言葉が文字となって脳内を駆け巡る。
「なぜ俺は生きているんだろう。
生きるってことは、どういうことなんだろう」
あの影に追いつくことが出来たら、その答えがみつかるような気がした。だが、あれは夢だ。二度と同じ夢など見れるはずがない。
日常は、否が応にも繰り返される。
混んでる電車と他人の体温。スマホに視線を落とす人々。吐き出され、街へと歩き出す。
会社に到着すれば、山のような書類が俺を待っている。疲れ果て、就業時間を超えても仕事をくりかえし、終わった頃には終電の時間だ。
やっと帰りついたアパートで、俺は膝をかかえて壁を見つめる。
「なぜ俺は生きているんだろう。
生きるってことは、どういうことなんだろう」
その夜、俺は再び夢を見た。
歩き続ける影を追いかける俺。昨日よりも、近づくことができた。
「あと少しだったな」
目が覚めた俺は、そんな呟きを漏らしていた。
「二度と見られないと思ったのに。もしかしたら、何か意味があるのかもしれない。
あの影を掴むことが出来たら、生きる意味が分かるのかも……」
その日から、俺は夜が来るのが楽しみになった。
あの夢に出てくる影を何とかして掴みたくて。寝る前に、夢が見られるようにと祈って目を閉じた。
その甲斐があったのか、俺は毎晩夢を見た。
影は日に日に近づき、とうとう肩に触れることができた。
振り返った影は、目も口も真っ黒だった。まるで大きな穴が空いているように。
俺は悲鳴を上げることもなく、影を見ていた。
すると影から声がした。その声は、どこかで聞いたことがあるような、苦悩に満ちていた。
「生きるってことは、苦しいことなのさ」
目が覚めた俺は、暗闇に浮かぶ壁の傷を見つめた。
「生きるってことは、苦しいこと……か。
あの声は、一体、誰?」
夢に聞いた声と、耳に響く声が重なった。
「なんだ、俺は答えを知っていたのか」
喉の奥で、クックッと笑いが漏れた。
脳内で繰り返される言葉。
生きるってことは、苦しいこと。
俺は天井から吊るしてあるロープに目を向けた。
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