【短篇小説】内定
あの日、俺の全てが崩れた――。
俺の父親は中卒で、町工場で働く貧乏人だ。母親も父親同様、中卒でパートをしている。
二人は若い頃、暴走族に入り、少年院にも入ったことがあると後悔している。なぜなら、ちゃんと勉強していれば、もう少しまともな人生を送れたからだ。
そんな両親も、俺が生まれてから変わったという。
「この子の為に、俺はとにかく働くぞ!
お前たちを護るのは、この俺だ!」
その言葉の通り、父親は働き続けた。酒もたばこもやめて、休日には家族の為に時間を費やした。母親もまた、そんな夫を見て心を入れ替えたという。
俺が中学に上がると、両親は夢を語りだした。
「いいか、とにかく勉強しろ。勉強して、大きな会社に入るんだ。
父ちゃんが出来なかったことを、お前が叶えてくれ」
事あるごとに口にする言葉に、中卒であることの悔しさがにじみ出ていた。
どんなに一生懸命働いても、中卒ということで出世はありえず、父より若い奴が高卒や大卒という肩書の元に出世していく。散々仕事の仕方を教えてきたというのに、気が付けば下の立場となりバカにされる現実。父の悔しさに涙する母を見ると、俺の目標が定まって行った。
父親をバカにしたやつらの鼻を明かしてやる。
俺はそう決めると、とにかく勉強した。頭の冴えわたる早朝に教科書を開き、学校から帰るとすぐに机に向かった。中学3年ともなると、誰もが塾に通ったが、貧乏生活の俺はひたすら参考書を繰り返した。
おかげで、トップクラスの公立高校に進学することが出来た。この調子で勉強を繰り返せば、国立大学に入ることも夢じゃない。
俺はさらに努力を続けた。友達なんて必要なかった。友達とつるむ時間があるならば、一つでも多く単語を覚えたかった。
おかげで、楽しいはずの青春時代は、付き合いの悪い奴というレッテルを貼られ、誰も俺に近寄っては来なかった。
だが、努力は実を結び、俺は県内トップと言われる公立高校に進学を果たした。次は大学だと、目標を定めるとひたすら走り続けた。
そんな俺の為に、両親は働き続け、ある日事件が起きた。
疲れがたまっていた父は、機械に巻き込まれ、片手を失ってしまったのだ。仕事中の事故なのだから、父がクビになることはない。俺はそう思っていた。ところが、会社はなにがしかの金を出し、労災申請をしないでくれと頭を下げてきた。
世話になった社長を困らせることはできないと、労災申請をしなかった父は、半年とせずに使えない部品のように会社から放り出された。
すっかり気落ちし、暗く沈む父親。そんな父親を支えながら、母親はいくつものパートを掛け持ちして働き続けた。
「母ちゃん、俺もバイトしようと思うんだけど」
ある日、俺がそう言うと、母親は乱れた髪を揺らし俺を見た。
「アンタは、しっかり勉強して一流企業に入ってくれなくちゃ。それで、父ちゃんをバカにしたやつらを見返して……」
震える唇から漏れた言葉に、俺は強く頷いた。
国立大学、一流企業。
どんなことをしてでも、俺が両親の夢を叶えてやる。
寝る間も惜しみ勉強を繰り返す3年間。塾など行けるはずもない俺は、もくもくと勉強を繰り返し、目標としていた大学にも合格した。
これで残るは就活だけだ。
就活に受験はない。
そう思った俺は、やっと人並みに恋をして、青春を謳歌し始めた。
サークルにも入り、仲間と酒を飲み、初めてのバイトで疲れを知った。
そんな俺は、就活に何が有利なのかをリサーチし、一流企業討伐に向けて準備を進めた。こうして勝ち取った内定は、光り輝くものだった。
「やった! 父ちゃん、母ちゃん! 一流企業の内定だ!」
内定通知をテーブルに置き、ささやかな祝いとなった。これで数か月後には、俺も社会人だ。長い道のりだったが、両親の涙を拭くことが出来る。
俺の人生は順風満帆だと、誇らしくて仕方がなかった。
それなのに、漕ぎだした船が沈没するなんて、誰が考えただろう。
桜のつぼみも膨らみだしたある日、内定取り消しと書かれた通知書が手元に届いた。その理由は、親父が若かりし頃に犯した罪だった。少年院に入っていたことは聞いていた。だが、他にも罪を繰り返していたという。刑務所に入ったことが隠されていた。
そんなこととは知らない俺は、震える指に挟まれた通知書を持ち、父親の前に座った。嘘だと言ってほしかった。こんなことは間違いだと言ってほしかった。そうでなければ、俺の今までの努力が、全て無駄になるから――。
父親は、目を見開き俺を見つめた。その口からこぼれたのは、弱々しい小さな音。
「すまない……」
殴ったところで、若い頃の過ちが消えるわけでもない。
俺はがっくりうなだれると、力の入らない足を引きずり、自室に戻った。ぴたりと襖を閉めると、誰にもぶつけられない怒りが頭の芯を燃やしていった。
今までの努力は何だったのか?
友達と遊ぶこともなく、毎日、毎日、ひたすら鉛筆を走らせてきた。
中学、高校。周りが楽しそうに笑っているときに、俺はなんと言われようと一人でいることを貫いた。それがどんなに寂しくても、辛くても。ひたすら親の為、親の夢を叶えるために頑張った。それなのに、結局俺の足を引っ張るのは、親の過去――。
隣の部屋からは、父親の弱々しい声が漏れ聞こえる。
「すまない……すまない……すまない……」
桜が咲いた。
俺は今、穴の開いたジャケットを着て、雑踏の中を歩いている。
はしゃいだように話あう制服姿の女子高生や、真新しいスーツ姿のサラリーマン。高級店の紙袋を手にした中年女性。母親に手を引かれ、嬉しそうに風船を手にした子供。子供の手から風船が離れると、空へと昇り子供が泣いている。
俺はぼんやりと風船を眺めると、視線を戻した。
誰でもいい。誰でもいい。何でも構わない。俺の悔しさを晴らせるなら――。
俺は念仏のように、何度も唱えると、紙袋に手を入れた。そこにあるのは、金属が揺らめく包丁。
俺はそいつを手にすると、目の前の女めがけて走り出した――。
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