【長編小説】オーバーライド 第 8 話
《中野 佐代子》
ひとり暮らしの中野佐代子は、秋空の下をゆっくり散歩していた。
健康の為に始めた散歩だが、あてもなく歩いているのはつまらない。買い物がてらだと自分に言い聞かせても、歩みが重くなるのはどうすることもできなかった。
そんな中、幼子を目にすると思わず足が止まり、その姿を目に焼き付けようとしてしまう。
するとその唇から小さな悲しみが漏れる。
孫に会いたい――。
しかし、娘婿とはあまり折り合いが良くない。
そのため『私がいたんじゃ、娘が肩身の狭い思いをするから』と、自分に言い聞かせながら毎日を送っている。
それは今日も変わらない。そのため、つい俯きがちになってしまう。
「ダメダメ。もっと前向きに生きなくちゃ。
ひとりだって、楽しいことはきっとあるはずよ!」
自分を戒めるように歩を進めていると、いつも立ち寄る公園のベンチに、少女を連れた佐藤の姿が見えた。佐藤もまた独居老人だ。お互い一人暮らしの寂しさを埋めるように、顔を合わせると世間話に花を咲かせているのだが、どうやら今日は違うようだ。
「あら、佐藤さん。お孫さん?」
小さな少女は、暖かそうなコートに赤いスカート。真っ白な靴下が人間とは思えないほど白い足を浮き立たせている。二つに束ねた髪にも赤いリボンが結ばれ、こんな孫がいたことに驚いた。
「いやいや、これは孫じゃありませんよ」
佐藤は笑顔でそう言うと、少女を見た。
「この子は三週間ほど前に届いたAIです」
「まあ! これがAI?!」
初めて見るAIロボットに、佐代子は驚くばかりだ。テレビで見たロボットは大人ほどの背丈だったが、今、目の前にいるのは小さな子どもで、人間にしたら五~六歳程度だろうか。まさか、そんな子どものAIまでいるとは思わなかった。
「まるで人間みたいねぇ。こんな可愛いお洋服まで着せてもらって」
「そうなんですよ。送られてきた時は、半袖の夏服だったんですが、寒そうでねぇ。ロボットにこんな格好をさせるなんて、変でしょうけど」
「そんなこと」
佐藤は恥ずかしそうに頭を掻いているが、その顔は幸せそうに輝いている。
「今までは、送られてきてもどうしたらいいのか分からなくてねぇ。ずっと箱に入れたままだったんですが、お隣の息子さんが使い方を教えてくれて」
「何か特別な設定とか?」
「いや、そんなものは何もありませんでした」
佐藤はそう言うとAIの頭をなでた。その手は、心からいつくしんでいるのが分かる。そんな佐藤は、佐代子に説明するようにつなげた。
「箱から出すと、自動的に動き出す仕掛けだったんですよ。
どうも人間が古いと、何か設定しないといけないとか、組み立てをするんじゃないかと思い込んでしまって、なかなか出すことができなかったんですがねぇ」
「確かにそうですよねぇ。年をとると、昔のことが先に立ってしまうし」
佐代子もまた同じ思いだと笑って見せた。
「取り扱い説明書も入ってはいたんですが、読む根気もないものですから。
でも、こうして動き始めると、これが可愛くて」
「確かに、可愛いですね」
佐代子もまた、目を細めAIを見た。その目には、幼い子どもへの愛情が感じられる。
「お名前は付けたんですか?」
「はい、幸子とつけました」
「まぁ、幸子ちゃん。いいお名前を付けてもらって」
「残念なことに、笑ったり怒ったりはしないんですがね。
それでもそばにこの子がいてくれるだけで、なんだか、まだ生きていてもいいかなって気になりますよ」
「そうですか……」
佐代子はホッと息を吐いた。自分のところにも、こんな可愛い子が来てくれたならと思ったのだろう。
「中野さんのところは?」
「私のところはまだのようです。
こんなに可愛い子が来てくれるなら、早く届いて欲しいけど……。
五十音順だから、まだまだかしらね」
「うちが三週間前だから、中野さんもそろそろじゃないですか?
政府はかなり急いでいるようですし」
「そうですねぇ。こんな可愛い子がいたら、毎日のお散歩も楽しくなるでしょうねぇ」
「はい、そりゃぁもう。AIというから、私はずっと機械がむき出しの、昔のロボットを想像してたんですけど。まさかねぇ」
「そうですよねぇ、私もそう思っていました」
佐代子は幸子をじっと見つめ、心底早く自分にも来ないかと願った。こんなに可愛い子どもがそばにいてくれたなら、孫と暮らしているのと何も変わらないのだから。
「それにしても……どうして子どもなんでしょう。
大人だとばかり思っていたのに」
「働き盛りの人には大人で、私らのような高齢者には、子どもということのようですよ。
お向かいに住んでる園田さんも、知り合いの遠山さんも、ご高齢なんですが、どちらも小さな子どものAIだということですから」
「あら、そうなんですか。じゃあ、みなさんお幸せになられて?」
「そのようです。みんな生き甲斐が出来たと喜んでいますよ」
まさかこんなことで、自分の苗字を恨めしく思う日が来るとは思ってもいなかった。
もっと違った苗字ならば、早くに幸せが届いたということなのだから。
二人は幸子を前にして、日の光を浴びながら、とりとめもない話を交わし、別れたのだった。だが、佐藤と別れると自分だけがひとりだと、つくづく思い知らされる。
「孫にも会えない……AIも来ない。本当に寂しいわねぇ」
そんなことをつぶやく佐代子は、いつもの道をゆっくりと歩き、少しばかりの空腹を感じた頃やっと家にたどり着いた。すると、玄関先に大きな箱が置かれている。
「あら? 何も届く予定なんてなかったけど」
そう口にした佐代子が、箱に貼られた伝票を見てみると、そこには《AI》という文字がみてとれる。
「え……!
AI。やっと……やっと届いたのね?!」
重い箱を何とか玄関へ引きずり込むと、家人のいない室内が佐代子を出迎えた。だが、それはいつも感じる寂しいものではない。今この箱を開いたときには、きっと待ちに待った佐代子の希望がそこにあるのだから。
佐代子は焦る足を廊下に滑らせながら、鋏を手にすると玄関へと戻った。開梱すると、中で眠るように目を閉じているのは幼い男の子だった。
「あら、男の子」
端正な顔立ちの少年は、早く箱から出してくれと願っているように見える。だが、本当に箱から出したら動くのだろうか?
不安を抱えながら起こそうとするが、佐代子の力でそれを箱から起こすことができない。両手を引っ張ればなんとかなるかとも思ったが、そんなことをして、腕が抜けては大変だ。結局箱を横にし、転がるように出すしかなかった。
四苦八苦して、ようやっと箱から出すことが出来ると、少年の瞼がゆっくりと開き、瞳孔の奥で一瞬光が走った。それはまるで、たった今目覚めたかのように佐代子の心を満たした。
「あ、あの……ごめんなさいね、こんな出し方しちゃって、痛く、なかった?」
「ハジメ マシテ」
「は、始めまして」
たどたどしい言葉と機械音のような声。佐藤のAIとはまた違った可愛さがある。そんなAIに、ロボットだとわかっていても、孫と比べてしまう。
滅多に来ない孫は、来たかと思うとゲームばかりだ。佐代子が話しかけても、うるさそうに眉をしかめる。
それに比べて、今目の前にいるロボットは「ハジメマシテ」と挨拶してくれる。この小さな天使を無下に扱うことなどできるはずもない。
佐代子はにっこりほほ笑むと、さっきまで考えていた名前を口にした。
「始めまして、あなたの名前は翔。翔君よ」
すると翔は、うつろな目を佐代子に向け、冷たい機械音で答えた。
「ボクノ ナマエハ ショウ。ヒトガタAI8022-NZ ショウ」
機械だと分からせるようなその言いように、佐代子はふと悲しみを覚えた。だが、頭の中の靄を振り払うように、彼女は手を差し伸べた。
「お昼にしましょうね」
翔はわずかに頷くと、かすかな機械音が部屋の空気を震わせた。
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