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【短篇小説】地下室のある家

作者:篠宮あおい


 彼女と結ばれたのは、付き合って初めての”付き合い記念日”だった。
 腕枕のしびれすら気にならない俺は、荒い呼吸に甘美な時を楽しんでいた。だが、余韻を切り裂くように彼女が口を開いた。
「いつ結婚する?」
 思わず俺は腕枕を外し、彼女を見た。
 その顔は、こうなったからには当然だと笑っている。たった一度の関係で、結婚を迫られるなんて、俺の想像の中にはなく、顔が引きつるのを感じた。
「ねぇ、いつ結婚する?」
 二度目の問いに、俺はやっと言葉を絞り出した。
「……まだ、知り合ったばかりじゃないか」
 そう言った俺の声は震えていた。感情は大きく波打ち、とんでもない女に引っかかったという思いが渦を巻いている。
 知り合って一か月しか経っていないのに結婚だなんて、とんでもない話だ。それは彼女にしても同じことだろう。だが、彼女は首を左右に振った。
「一か月も付き合ったんだもの。それにこういう関係になった以上、もう結婚するしかないじゃないの」
 笑顔の彼女は当然だと俺に言った。俺は口に溜まる唾をごくりと飲み込むと、ベッドから抜け出た。このまま彼女の横にいたら、二度と自由になれない。そんな気がしてならなかった。
 そんな俺の気持ちを察したのか、彼女の顔が歪み、さらに俺に追及してくる。俺は逃げられない現実から逃げようと、必死に理由を作り出した。
「分かったよ、そんなに俺と結婚したいと思ってくれてるんだね。嬉しいよ。
だったらこうしよう」
 俺は一年間という猶予を申し出た。その一年の間にたくさんの思い出を作ろうと。
「結婚前が一番楽しいっていうよ。結婚したら、その後は現実的な生活ばかりだ。
だからこそ、この一年で思い出を作りたいんだ」
 彼女は疑わしそうに俺を見た。
 俺は満面に笑みを作り、そこに嘘はないと思わせようとした。そんな俺を信じたのか、彼女はにっこりとほほ笑んだ。
 一年付き合って、本当にいいと思えたら、その時は彼女の思い通りに結婚しよう。ダメだと思ったら、その時は捨てればいい。
 それが俺の結論だった。
 だが、彼女はそんなに優しくはなかった。
 それからというもの、彼女の束縛はどんどん強くなっていった。彼女からの電話に出られなかったというだけで怒鳴り、同僚の女性から連絡が来たと言っては激怒した。実家に用事があるから、デートは出来ないというのに、それすら疑ってかかってくる。挙句は、会社の前で待ち伏せされる日々となった。
 こんなことが続いたある日、俺は怒りをあらわにした。怒鳴りつけ、こんなことが続くなら、結婚なんて到底無理だと、彼女の謝罪を受け入れなかった。
 彼女はうなだれ、歩き去る俺を追うことはなかった。

 別れるとはなんて簡単なことだろうか。ただ、残念なのは、最後にもう一度彼女の身体を堪能したかったということだけだった。
 それから数日後、彼女から連絡が来た。
「ごめんなさい。全部私が悪かったの。だから、別れることに文句は言いません。
でも、あのまま別れるのは嫌なの。だから、最後に私の手料理を食べて欲しい」
 俺の気を引こうとしていることは手に取るようにわかる。だからといって、そんなことであの女とよりを戻そうとは思わない。しかし、手料理ということは、彼女の家に行くということだ。
 うまくすれば、最後にもう一度――。
 俺は、彼女の身体を思い浮かべ、最後に手料理をご馳走になることを約束した。
 当日となり、俺は彼女の自宅へと赴いた。そこは、町はずれにある一軒家だった。
 彼女は満面に笑みを浮かべ、おいしそうな料理をテーブルに並べてくれた。ワインを口にしながら、楽しかった思い出話に花を咲かせた。
 隣の部屋にはベッドがあり、俺の視界にちらちらと入ってくる。程よく酒が回った頃に、彼女を誘えば思いを遂げることが出来る。俺は頭の中で、繰り広げられる夜を想像していた。
 その時、彼女が言った。
「最後にお願いがあるの」
 上目遣いに俺を見る彼女に、俺はニヤリとほくそ笑んだ。
「地下室の電気が切れてしまって……自分で取り換えればいいんだけど。
私の背では届かなくて」
 俺は小さな落胆を覚えたものの、焦ることはないと自分に言い聞かせた。
「そんなことくらい、簡単なことだよ」
 務めて優しい声を出した俺は、地下室へと降りて行った。
 だが、全ては俺が甘かった。
 次の瞬間、俺は頭が割れるほどの激痛を覚え、その場に倒れこんだのだ。そんな俺を見下ろす彼女は、にこやかに笑っていた。
 目がかすんでいく中、地下室の明かりをつけた彼女は、もう一度手に握るそれを振り下ろした。
 その時俺の目に映ったのは、幾体もの亡骸だった。
 彼女は笑いながらつぶやいた――あなたが悪い。





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