【長編小説】オーバーライド 第 17 話
《社長 毒島嗣久》
パトカーの車内には不自然なほどの静寂が流れていた。
嗣久は、どうして自分が逮捕されたのか分からず、不安だけが襲ってきていた。だが、だからといって騒ぐことはできない。ここで騒げば不利になると思い、固く口を閉ざした。
憮然とした面持ちで、威厳を崩すまいと虚勢を張る嗣久は、襲ってくる恐怖と闘い続けた。
間もなくパトカーが警察署に到着すると、四角く区切られた駐車場へと滑り込んだ。後方でシャッターが閉まる音が冷たく響く。それはまるで、もう一般人に戻ることができないと、突きつけられたかのようだ。
「毒島、下りろ」
鋭い声が嗣久をさす。社長である自分が呼び捨てにされるなど、今までになかったことだ。
屈辱を押し殺し車から降りる。薄暗く長い廊下を歩かされ、靴音が壁に反響し耳へと戻る。嫌な感覚だ。
奥へ進むと、鉄の扉が開く。書類を手にした警察官が嗣久を一瞥する。
引き渡された彼は、さらに奥へと背を押された。「入れ」という短い指示を受け、入れられたのは鉄格子のある寒々しい部屋。いわゆるブタ箱だ。死ぬまでこんなところに入ることはないと思っていた彼は、大きなため息をつき、床の上に腰を下ろした。
「よぉ、あんたは何をしてこんなところに来たんだ?
そんな高そうなスーツ着て、靴だってピカピカじゃねぇか。
どう見ても、こんなところが似合うようにはみえねぇけどな」
見ると作業着を着た相川が、疲れた笑顔を向けていた。嗣久から見た相川は、ブタ箱が似合う男に見えたことだろう。
嗣久は再びため息を漏らすと、つまらなそうに答えた。
「さぁ、一体なんで逮捕されたのか分かりませんね。
突然警察がやってきて、AI法違反だと言われたんですから。
私が法律に抵触するなんて、まったく記憶にないことですよ」
「ああ、あんたもかい。なるほどな」
「あんたも……ということは、あなたも、ですか?」
「ああ、俺もだよ。突然警察が来て、AI法に違反してるから逮捕するってさ。普通に暮らしてるだけだってぇのに、何が違反なのか分からねぇ」
「本当に……その通りです」
「でもなぁ、最近は多いみたいだよなぁ。
あんたが来るちょっと前に起訴されたオッサンがいたけどよ。
そいつも、AI法違反だって言われたんだとよ。
普通に生活してただけだって言ってたな。
悪いことなんて何もしてないっていうのにって、なげいてたよ」
「そうですか……。
その人は、まったく身に覚えがないってことですか?」
「ああ、ないようだったな。
学校の先生でさ。毎日学校に行って、生徒に真面目に教えてたんだってよ。
聞かれたことを丁寧に教えていただけなのに、突然の逮捕だ。
まさに、晴天の霹靂だって言ってたな。
どういう意味なのか分からなくてよ、意味を聞いたらすんなり教えてくれるのさ。
本当に頭のいい奴だったぜ」
声高にしゃべる相川に、嗣久は頷いてみせたが、実のところ、そんなことも分からないのかと、相川へ見下した視線を向けた。だが、自分の真意を見破られることを恐れ、鉄格子の向こうであくびをしている看守へと視線を流す。
「あんたは、どんな仕事をしてるんだ?
俺は作業現場で、ビルを作ってたんだが」
自慢げに話を続ける相川に、嗣久は面倒だという思いを隠すように答えた。
「私は、衣料品メーカーの社長ですよ」
その一言には、お前とは違うというニュアンスが含まれている。だが、相川はそんな小さなプライドなどには気が付かないらしい。
「へぇ、衣料品メーカーの社長かよ! コイツはスゲーや!
でも、なんで社長さんが捕まるんだろうな。
変だよなぁ……」
「ですが、私はすぐに釈放されますよ」
「なんでだ?」
「社長だからですよ」
嗣久の目は相川をバカにしたように笑っている。その時、看守が嗣久を呼んだ。
「毒島、面会だ」
来ると思っていた。
大企業の社長が逮捕されたのだ。このまま放っておくなどありえない。なにせ、会社に社長がいなかったら、瞬く間に企業としての存続が危ぶまれる。
嗣久は徐に立ち上がると、看守に連れられ面会室とプレートのある部屋に入っていった。
すると厚いアクリル板の前に椅子があり、看守用の机がある。たったそれだけの冷たい小部屋が嗣久に「お前は被告人だ」と烙印を押してくる。
「社長!」
アクリル板の向こうには、顧問弁護士の桜庭が座っていた。桜庭は青ざめた顔をし、焦りを露わにしている。そんな桜庭の後ろにじっと立っているのは、何を考えているのかもわからないAIだ。
AIを見た嗣久は、AI法違反という納得できない言葉を思い出し、苦々しそうに舌打ちをした。
「一体何があってこんなことになったんでしょうか?」
「知るか。俺が法律違反などするわけがない!」
椅子に座った嗣久は、両腕を組み威厳を見せつけるように怒鳴った。
「何かお心当たりは?」
「あるわけがないだろう!
今朝突然警察が来て、AI法違反だと言い出したんだ!
こんなバカな話があるか!
さっさと俺をここから出せ!」
「もちろんです。
社長がおりませんと、社内の規律も乱れます。
なにより、取引先の信用問題にもなりかねません。
ですが、何かお心当たりがあるならばと……」
「心当たりがあるなら、とっくに話してる!」
「そうですか……」
苛立つ嗣久だったが、ふと頭によぎることがあった。
「そういえばさっき、留置場の中で現場作業員だという男が言っていた。
普通に暮らしていたのに、急に警察が来たとな。
それに、教師も身に覚えがないのに逮捕されたそうだ。
しかも、そのまま起訴されたということだった」
「そうでしたか……最近は多いようですから」
「そんなに多いのか?」
「はい、ニュースにはなっておりませんが……」
「こんなことがニュースにでもなれば、わが社のイメージダウンだ!」
「社員の中にも、逮捕されるものが出てきております」
「なんだと?!」
「誰に面会に行っても、身に覚えがないということです」
嗣久は眉間にしわを寄せ、社会の中で何かが起こっている恐怖を感じた。それが徐々に人間たちの自由を奪っていく。そんな締め付けられるような怖ろしさだ。
「そういえば社長、社長のAIは?
どこにでもついて行くというAIなのに、今は一緒にいらっしゃらないんですね」
言われてみればその通りだ。
警察が逮捕状を持ってきたあの時、家の中にいたのだろうか?
いつもうるさいくらいにそばを離れようとしないのに。なぜかその姿が記憶の中にない。
胸の中にさざ波のようなざわめきが起こった。いなければ平和なはずが、いないことが不安を呼ぶ。
「とにかく、すぐに保釈の手続きを進めます」
「ああ、そうしてくれ!」
桜庭はそう言うと、「急ぎます」という一言を残して面会室を出て行った。
残された嗣久は、意味も分からず揺れる足の震えを止めることができなかった。
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