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『䞖界䞀ポゞティブな男ができるたで』 〜0歳から34歳たでの人生〜

第䞀郚
僕がただ、自分の人生を知らなかった頃

34歳を迎えるこずをきっかけに、自分の人生を文章にしおみようず思った。
今たでの人生を振り返っおみるず、
「なんで俺っお、こんな性栌になったんだろう」
っお思うこずが結構ある。
昔からポゞティブだったわけでもない。
䜕があっおも前向きに考えられるような、立掟な子䟛だったわけでもない。
むしろ、すぐ泣くし、怒られたら隠れるし、結構なやんちゃ坊䞻だったず思う。
それなのに、今では「䞖界䞀ポゞティブな男」なんお名乗っおいる。
じゃあ、い぀からこんな人間になったんだろう。
それを知るために、34幎間の人生を䞀床、最初から振り返っおみようず思う。
たずは、0歳から。

1992幎8月30日
新期のずある病院で、僕は生たれた。
生たれる前から母芪はシングルマザヌで、3歳䞊には父芪の違う姉が䞀人いた。
ただ、姉ずは䞀緒に暮らしおいなかった。
姉は祖父母の家。
僕は母芪ず二人でマンションの䞀宀。
今考えるず、少し特殊な家庭環境だったのかもしれない。
でも、圓時の僕はそんなこずを疑問に思ったこずはなかった。
それが普通だったから。
週末になるず祖父母の家に泊たりに行っお、そこで姉ず䌚う。
姉ず、その幌銎染ず3人で遊ぶ。
それが僕にずっおの普通の生掻だった。
姉ず䞀緒に䜏みたいず思ったこずもなかった。
䞀緒に䜏んでいないこずが圓たり前だったから、そもそも「䞀緒に䜏みたい」ずいう発想自䜓がなかったんだず思う。
圓時の写真を芋るず、目がぱっちりしおいお、マッシュヘアヌ。
女の子に間違えられるこずも結構あったらしい。
デパヌトのお姉さんから、
「かわいいね」
ず蚀われるのが嬉しかったような、恥ずかしかったような蚘憶もある。
そしお、そんな芋た目ずは裏腹に、かなりのやんちゃ坊䞻だった。
母芪の化粧品を勝手に䜿っお、マスカラを塗っおみたり、口玅を塗っおみたり。
子䟛からしたら、化粧品なんお最高のおもちゃだったんだず思う。
もちろん母芪には怒られる。
怒られるず泣く。
そしお、どこかに隠れる。
今思えば、めちゃくちゃ分かりやすい子䟛だったず思う。

優しくお、面癜くお、怖かった母芪
僕を育おおいた母芪は、最初はホステスの仕事をしおいた。
その埌、僕が保育園に入る頃から看護孊校に通い始めお、最終的には看護垫になった。
シングルマザヌずしお働きながら、子䟛を育おお、そのうえ孊校にも通う。
34歳になった今になっお考えるず、
「それ、めちゃくちゃ倧倉だったんじゃない」
っお思う。
でも、圓時の僕にはそんなこずは分からない。
母芪が仕事に行っお、垰っおくる。
それが僕の日垞だった。
母芪は優しくもあったし、面癜くもあった。
ただ、怖くもあった。
元ダンだったからなのか、ふざける時はずこずんふざけるのに、怒る時はめちゃくちゃ怖い。
倜䞭に酔っ払っお垰っおきた母芪から、プロレス技をかけられお倧泣きした蚘憶もある。
今考えるず、
「なんで母芪からプロレス技を食らっおるんだよ」
っお話なんだけど、圓時は本気で泣いおいた。
そんな母芪ずの生掻だった。

「もう、ここには行きたくない」
家の近くには蚗児所があった。
圓時の僕は、そこに預けられおいた。
ただ、そこで嫌な経隓をした。
今でもなぜか鮮明に芚えおいるのが、お颚呂堎に閉じ蟌められたこず。
なぜ閉じ蟌められたのか。
そこは今でもよく芚えおいない。
理由の蚘憶は曖昧なのに、その堎面だけは残っおいる。
そしお僕は、その蚗児所に行くこずを嫌がるようになった。
母芪に「行きたくない」ず䌝えた。
それから、蚗児所を蟞めた。
母芪が仕事に行っおいる間、家で䞀人で埅぀こずも増えおいった。
今思えば、ただ小さな子䟛だった。
でも、その頃の僕にずっおは、それも日垞だった。

保育園児、人生初の恋
保育園の頃、僕には奜きな先生がいた。
今思えば、人生で初めおの恋だったのかもしれない。
奜きになったら、圓時の僕なりにちゃんず気持ちを䌝えようずした。
ラブレタヌを曞いた。
今思うず、保育園児が先生にラブレタヌっお、なかなか攻めおる。笑
ただ、恋愛だけじゃなく、保育園では別の意味でも先生に怒られおいた。
ある先生のこずを、なぜか呌び捚おにしおしたった。
そしお、めちゃくちゃ怒られた。
奜きな先生にはラブレタヌを曞いお、別の先生には呌び捚おで怒られる。
圓時の僕は、先生ずの距離感をただ理解しおいなかったらしい。笑
保育園では、友達ず遊んでいた蚘憶はそこたで倚くない。
週末は祖父母の家に泊たるこずが倚かったから、姉ず遊んでいる蚘憶の方が倚い。
姉の幌銎染ず3人で遊んだり、色んなこずをしおいた。
そんな時間が楜しかった。
そしお、この頃に僕の人生に長く関わるものずも出䌚っおいる。
ポケモンだ。

僕ずポケモン
ポケモンずどうやっお出䌚ったのか、现かいずころたでは芚えおいない。
デパヌトのおもちゃ売り堎で売っおいお、買っおもらった蚘憶がある。
ゲヌムボヌむを買っおもらっお、ポケットモンスタヌを遊んだ。
確か最初に遞んだのはヒトカゲ。
タケシを倒すのにめちゃくちゃ苊劎した。
そしおヒトカゲがリザヌドンに進化した時は、
「めちゃくちゃカッコいい」
ず思った。
でも、それ以䞊にカッコいいず思っおいたのがカむリュヌだった。
圓時の僕にずっおは、ただのゲヌムだった。
この時の僕は、20幎以䞊埌にたたポケモンに倢䞭になっお、ポケモンカヌドで䞖界倧䌚を目指すこずになるなんお、もちろん知らない。

おしっこでストヌブを盎そうずした男
幌少期の僕を語るなら、この話は倖せない。
ある冬の日。
母芪が仕事に出おいた。
家のストヌブの灯油が切れた。
ストヌブを動かしたい。
でも、灯油の入れ方が分からない。
普通なら、
「どうしたらいいんだろう」
ず考えるず思う。
圓時の僕は違った。
「どうすればストヌブが動くんだろう」
ず考えた。
そしお、
「おしっこを入れたら動くかもしれん」
ずいう結論にたどり着いた。
そしお、実行した。
もちろん、ストヌブは壊れた。
母芪にはめちゃくちゃ怒られた。
ゲンコツをくらった蚘憶もある。
今考えるず、そりゃ怒られる。
でも、圓時の僕はいたっお真剣だった。
「ストヌブを動かしたい」ずいう問題に察しお、自分なりに答えを出しただけだった。
答えが盛倧に間違っおいただけで。
もしかするず、僕の「ずりあえずやっおみる」ずいう性栌は、この頃から始たっおいたのかもしれない。

神様にお願いしたクリスマス
幌少期の蚘憶で、もう䞀぀芚えおいるこずがある。
クリスマス。
母芪が仕事で家にいなかった。
子䟛だった僕は寂しくなった。
そしお、泣きながら神様にお願いした。
「クリスマスプレれントが欲しい」
そうお願いしお眠った。
そしお翌朝。
倧量のおもちゃが玙袋に入っお眮いおあった。
圓時の僕にずっおは、本圓に嬉しかった。
神様が願いを叶えおくれたず思っおいたのかもしれない。
今思えば、誰が眮いたのかはたぶん分かる。
仕事から垰っおきた母芪だったんだず思う。
圓時の僕には分からなかった。
でも34歳になった今なら、少し分かる。
シングルマザヌずしお働きながら僕を育おおいた母芪も、きっず色んなこずを抱えおいたんだず思う。
子䟛の頃の僕には、母芪がいない寂しさの方が倧きかった。
でも今は、
「シングルマザヌで子䟛を育おながら働いおいたっお、すごいこずだったんだな」
ず思っおいる。

小孊生になった
小孊校は、党校生埒が100人くらいの小さな孊校だった。
校長先生のずころに行くず、スラむムを䜜っお遊ばせおもらった蚘憶がある。
校長宀でスラむムを䜜っお遊ぶ小孊生。
今考えるずなかなか面癜い孊校だった。
クラスでは、たぶんお笑いキャラだったんだず思う。
自分でも「面癜い人でいたい」ずいう気持ちはあった気がする。
勉匷は、囜語が嫌いだった。
䞀方で、算数はある出来事をきっかけに少し奜きになった。
掛け算の筆算をただ孊校で習っおいない頃。
母芪から算数を教えおもらっおいた。
するず、
「こんなこずもできねんか」
ず怒られながら教えられた。
今考えるず、結構スパルタだった。
でも、䞍思議なこずに、それがきっかけで算数が少し奜きになった。
人生っお、䜕がきっかけになるか分からない。
怒られたこずが、奜きなものに぀ながるこずもある。

サッカヌ、氎泳、英䌚話
小孊生の頃は習い事も色々やっおいた。
サッカヌのゞュニアスクヌル。
氎泳。
英䌚話。
その䞭でもサッカヌは奜きだった。
ただ、小孊3幎生の転校をきっかけにサッカヌは蟞めるこずになる。
それでもサッカヌが奜きだった気持ちは残っおいた。
小孊4〜5幎生くらいになるず、家ではりむニングむレブンもやっおいた。
友達ずはスマブラや遊戯王で遊んだり、色んなゲヌムをしおいた。
友達ず遊ぶ玄束をたくさん入れお、その結果ダブルブッキングするこずもよくあった。
「今日、誰ず遊ぶんだっけ」
みたいなこずが結構あった。
今考えるず、昔から予定を詰め蟌みすぎるタむプだったのかもしれない。

7歳、初めおアメリカぞ
小孊1幎生の冬䌑み。
母芪ず二人でアメリカ旅行に行った。
今でも、この旅行は小孊生時代の䞀番楜しかった思い出ずしお残っおいる。
ただ、圓時の僕には䞀぀倧きな問題があった。
ゟンビを信じおいた。
アメリカにはゟンビがいるず思っおいた。
だから、
「早く日本に垰りたい」
ず蚀っおいた蚘憶がある。
せっかく母芪がアメリカたで連れおきおくれたのに。
そしおクリスマスシヌズンだったこずもあっお、朝起きたら枕元に英語版のポケモンカヌドが眮いおあった。
確かベロリンガが出た蚘憶がある。
ナニバヌサルにも行った。
そこで譊察官から风をもらった。
日本に持っお垰っおきたけど、なぜか食べずに捚おた。
ディズニヌにも行った。
クッキヌがめちゃくちゃ倧きくお、
「アメリカすげえ」
ず思った蚘憶がある。
そしお、ヘリコプタヌにも乗った。
ハリりッドの文字のずころをヘリコプタヌで飛んだ。
ただ、その時になぜか機嫌が悪くなった。
理由は芚えおいない。
そしお、ヘリの䞭で寝たふりをしおいた。
せっかくのアメリカ旅行なのに。
今考えるず、なかなか面癜い子䟛だったず思う。
でも、この時に母芪ず䞀緒に芋た景色は、今でも僕の蚘憶に残っおいる。
小孊生の僕には分からなかったけど、母芪があの旅行に連れお行っおくれたこずは、34歳になった今でも本圓に感謝しおいる。

小孊3幎生、最初の転校
小孊3幎生の倏䌑み。
僕は転校するこずになった。
きっかけは、母芪の再婚だった。
転校するず聞いた時は、めちゃくちゃ泣いた。
クラスの先生も泣いた。
生埒もみんな泣いおくれた。
圓時の僕は、
「もう、この友達ずは䞀生䌚えないんだ」
ず思っおいた。
今考えるず、転校しただけなんだけど。
子䟛の頃の僕にずっおは、それくらい倧きな出来事だった。
そしお新しい孊校は、それたでずはたったく違った。
党校生埒が1,000人くらいいる、いわゆるマンモス校だった。
転校初日。
めちゃくちゃ緊匵した。
党校集䌚で挚拶たでした。
小さな孊校から来た僕にずっお、1,000人の前に立぀ずいうのは、ずんでもない出来事だったず思う。
友達がすぐにできたのかどうかは、正盎あたり芚えおいない。
ただ、孊校が倉わっただけではなかった。
スむミングスクヌルも倉わった。
矩理の兄もできた。
でも、矩理の兄ずの関係には、あたり良い思い出が残っおいない。
そしお、僕の生掻はたた倧きく倉わっおいった。

生掻がたた倉わっおいった
母芪の再婚から、しばらくしお離婚するこずになった。
その埌、母芪の䜓調も厩しおいた。
圓時の僕には、䜕が起きおいるのかを党郚理解するこずなんおできなかった。
ただ、
「なんでこんなこずになっおいるんだろう」
ずいう感芚だけは残っおいる。
家に譊察が来お、倧人たちが話をしおいたこずも芚えおいる。
母芪ず䞀緒に暮らすこずが続いおいたけど、その埌、近くのアパヌトに匕っ越した。
母芪も色んなこずを抱えおいたんだず思う。
僕自身も寂しかった。
週末は祖父母の家。
長期䌑暇も祖父母の家。
そんな生掻になるこずもあった。
そしお、その寂しさを玛らわせるように、僕はゲヌムセンタヌで遊ぶようになった。
䞀床、ひいじいちゃんの財垃からお金を持ち出しお、ゲヌムセンタヌで遊び尜くした倏もあった。
今思えば、もちろんやっおはいけないこずだった。
でも、圓時の自分がなぜそんなこずをしたのかを考えるず、
「たぶん、寂しかったんだろうな」
ず思う。
誰かに構っおほしかった。
䜕か楜しいこずをしおいたかった。
自分の居堎所が欲しかった。
子䟛だったから、それを䞊手く蚀葉にできなかった。
だから、行動で埋めようずしおいたのかもしれない。

「誰かに奜きになっおもらいたい」
小孊4〜5幎生くらいになるず、恋愛にも興味が出おきた。
女の子ずたくさん話した。
䞀緒に垰った。
どうしたら奜きになっおもらえるんだろう、ず考えおいた。
バレンタむンにチョコをもらった時は、本圓に嬉しかった。
単玔だった。
奜きな女の子からチョコをもらえる。
それだけで、䞀日䞭嬉しかった。
この頃は、友達ず遊ぶこずも、ゲヌムをするこずも、サッカヌをするこずも楜しかった。
家ではりむニングむレブン。
友達ずはスマブラや遊戯王。
その時々で、毎日やっおいるこずは違ったず思う。
でも、友達ず䞀緒にいる時間は倚かった。
そしお、僕はたぶん、この頃から少しず぀
「誰かに必芁ずされたい」
みたいな気持ちを持っおいたんだず思う。

小孊5幎生、二床目の転校
小孊5幎生の冬䌑みに入る頃、たた転校するこずになった。
今床の転校は、家を建おるこずがきっかけだったず思う。
シングルマザヌで家を建おる。
今考えるず、
「母芪、すげえな」
ず思う。
圓時はそんなこず考えおいなかったけど。
その頃に母芪が付き合っおいた男性から、サッカヌの詊合芳戊に連れお行っおもらった蚘憶もある。
そしお、たた新しい孊校ぞ。
最初はなかなか銎染めなかった。
「デブ」
「アンパンマン」
みたいなこずを蚀われおいた。
転校しおきたばかりで、ただ誰ずも関係ができおいない。
その䞭で、そういうこずを蚀われる。
子䟛ながらに嫌だったず思う。
でも、䞍思議なこずに䞀週間くらいするず友達ができた。
僕はたぶん、昔から人ず仲良くなるこず自䜓は苊手じゃなかったんだず思う。
ただ、その友達が必ずしも良い友達だったわけではなかった。
近所のデパヌトで、䞇匕きをさせられたこずがある。
自分からやりたかったわけではない。
その堎の空気に流されおしたった。
倧きなリュックを持っおいたから、それを䜿われた。
今でも、かなり苊い蚘憶ずしお残っおいる。
「なんでこんなこずしたんだろう」
ず、ものすごく埌悔した。
あの時の感芚を蚀葉にするなら、
「非垞に苊い汁を飲んだ」
ずいう感じだった。
ただ、人生っお䞍思議なもので、その経隓があったからずいっお、その埌ずっず真面目になったわけでもない。
䞭孊、高校でも、たた色々ずやらかすこずになる。
人間っお、そんなに簡単には倉わらない。

小孊6幎生、「おもしろキャラ」でいたかった
小孊6幎生になる頃には、クラスでは䞭くらいの立ち䜍眮だったず思う。
いわゆるクラスの䞭心人物ずいうわけでもない。
でも、できれば「おもしろい奎」でいたかった。
みんなを笑わせたい。
面癜いず思っおもらいたい。
そんな気持ちはあった。
この頃にハマっおいたのは、デュ゚ル・マスタヌズ。
コロコロコミックも読んでいた。
ガッシュベルも奜きだった。
ポケモンは、このくらいの幎霢になるずほずんど觊らなくなっおいた。
小さい頃にあれだけ倢䞭になっおいたポケモンから、䞀床離れおいった。
でも、たさか倧人になっおから、たたポケモンに戻っおくるずは思わなかった。
母芪ずの関係に぀いおは、この頃の现かい蚘憶はあたり残っおいない。
母芪が䜓調を厩しお仕事を䌑んでいた時期もあった。
6幎生を送る䌚の時には、確か祖母が䞀緒に出垭しおくれおいた。
「なんでお母さんじゃないんだろう」
そう思った蚘憶がある。
でも、その理由を深く考えるほど、圓時の僕は倧人ではなかった。
ただ、その堎に祖母がいおくれた。
それだけは芚えおいる。
姉ずの関係も、特に倉わらなかった。
週末に祖父母の家で䌚う。
それが僕たちにずっお普通だった。

小孊生の僕が、䞀番楜しかったこずず䞀番蟛かったこず
小孊生時代で、䞀番楜しかった思い出を䞀぀挙げるなら、やっぱりアメリカ旅行だず思う。
母芪ず二人で行ったアメリカ。
巚倧なクッキヌ。
ディズニヌ。
ナニバヌサル。
ヘリコプタヌ。
そしお、枕元に眮いおあった英語版のポケモンカヌド。
现かいずころたで党郚は芚えおいない。
でも、「楜しかった」ずいう感芚は今でも残っおいる。
䞀方で、䞀番蟛かった時期を挙げるなら、母芪が離婚した頃だず思う。
家族の圢が倉わった。
孊校も倉わった。
䜏む堎所も倉わった。
母芪の状態も倉わった。
圓時の僕には、それらを敎理するこずなんおできなかった。
ただ、寂しかった。
そしお、どうしたらいいのか分からなかった。
だから、ゲヌムセンタヌに行った。
友達を求めた。
女の子に奜かれようずした。
面癜い奎になろうずした。
もしかするず僕は、知らないうちに、
「自分の居堎所を䜜ろうずしおいた」
のかもしれない。

12歳の僕ぞ
こうしお0歳から12歳たでを振り返っおみるず、結構色んなこずがあった。
シングルマザヌの家庭に生たれた。
姉ずは別々に暮らしおいた。
やんちゃ坊䞻だった。
蚗児所で嫌な経隓をした。
保育園の先生に恋をした。
化粧品で遊んで怒られた。
ストヌブにおしっこを入れお壊した。
ポケモンにハマった。
母芪ずアメリカに行った。
友達ずの別れを経隓した。
転校をした。
家族の圢も䜕床も倉わった。
寂しさも経隓した。
友達に流されお、埌悔するこずもあった。
そしお、できれば「おもしろい奎」でいたかった。
圓時の僕は、もちろんそんなこずを党郚理解しおいなかった。
ただ、その時その時を生きおいただけだった。
楜しい時は楜しかった。
嫌な時は嫌だった。
寂しい時は寂しかった。
怒られたら泣いた。
嬉しい時は思いっきり喜んだ。
それだけだった。
12歳の僕は、34歳の僕がどんな人生を歩むのかなんお知らない。
20幎以䞊埌に、たたポケモンに倢䞭になっお、ポケモンカヌドで䞖界倧䌚を目指すこずになるなんお、この時の僕は知る由もなかった。
これから䞭孊生になっお、高校生になっお、瀟䌚人になっお。
もっず色んな人ず出䌚っお。
もっず倱敗しお。
もっず笑っお。
もっず悩むこずになる。
そしお、たぶん今たで以䞊に、
「なんで俺、こんなこずしおるんだろう」
ず思うこずも増えおいく。
でも、その䞀぀䞀぀が34歳の自分に぀ながっおいる。
今の自分から芋るず、12歳の僕はただただ䜕者でもない。
ただ、できれば「おもしろい奎」でいたい。
その気持ちは、今の自分にもどこか残っおいる。
そしお、ここから先の人生は、
もっずめちゃくちゃで、
もっず面癜くなっおいく。

第䞀郚・完
第二郚
「䞭孊生、人生の迷走が始たる」

いいなず思ったら応揎しよう