世界一幸せな不安と心配のない民族「ピダハン」に僕が魅せられた理由
こないだ散歩していたら、頭に割り箸を刺した女性とすれ違いました。
割り箸を、櫛の代わりとして、髪の毛に刺して止めていたんです。
「…めっちゃ実用的!さすが中国人!」(僕は中国在住です)
と僕はちょっと感動したんですけど、よく思い返したら、妻(中国人)も時おり同じようなことをしていることを思い出しました。
家のなかで、たまにお箸が一本落ちてることがあって…ダイニングと全然関係ないところで、です。
この例だけじゃなくて、中国人って実用性重視にかけては日本人をはるかに上回るので、たまにびっくりします。
小さなカルチャーショックといえば、カルチャーショック。
カルチャーショックといえば、先日読んだ本が、かなり衝撃的だったので、紹介してみようと思います。
ダニエル・エヴェレット著『ピダハン』
ダニエル・エヴェレットというアメリカの人類学者・言語学者が書いた『ピダハン』という本です。
この本、数年前に、池袋の三省堂書店の店頭で見かけたんです。
気になって手にとったんですが、400ページを超える分厚さだし、みすず書房だし(学術系の重めのが多い)、値段が4千円近いし…といろいろ言い訳をつけて買いませんでした。
でも、それから、ことあるごとに気になってました。
今回、他の人類学の本を読んでいて、やっぱりなんとなくこの本を思い出して、ようやっとあきらめて買って読みました。
予想通り、衝撃的でした。
ある程度、衝撃的なことを予想していたけど、やっぱり衝撃的だったってことは、けっこう衝撃的なんだろうと思います(語彙力)
アマゾンの奥地に、「ピダハン」という少数民族がいて、そこを30年以上調査したエヴェレット博士が、一般向けに書いたのがこの本。
特徴的なことは、それこそいろいろあるんですが(詳しくはAIにでも聞いてね)、個人的に一番印象深いのは、ピダハンがものすごく幸せそうに生きていること。
終始、笑いあったりふざけ合ったりして、でも誠実で、穏やかな生活を送っているそうです。
「笑顔でいる時間」を計測したら、たぶん世界一なんじゃないか、少なくとも欧米よりは絶対多い、みたいな書き方を最後のほうでしてました。
じゃあ、なんでそんなに幸せで満ち足りているのか。
直接的な原因としては、ピダハンが未来のことを全く心配していないこと。そして、過去のことも全く気にしていないこと。
言語的にも未来形や過去形がないそうで、それがどういう感じなのか想像もつきませんけど、無いってことは、未来や過去を語る必要性がないってことなんでしょうね。
徹底的に、「今」を生きているわけですね。
それがピダハンという民族のなかでは染み付いた生き方になってる。
だからこそ言語にそれが現れているのだろうし、いつも笑顔でいられるんじゃないかと。
過去の例でいえば、ピダハンには創世神話のような「自分たちがどこから来たのか」というルーツの話がまったくないそうです。これは文化人類学的にかなり珍しいケースだそうです。
あと、自分の祖父母の代くらいまでしか基本的に知らないらしい。
つまり、直接見たこと・会ったことのある人についてしか話題にせず、しかもそれを語り継ぐという文化もないようです。
この過去の話だけでもかなり特徴的ですけど、未来のほうもそう。
「明日のことは明日考える」「明日の食べ物は明日考える」という生き方をしているようで、将来に対する心配はゼロ。
死についても基本的には恐れていない。
そして、ピダハン語には「心配する」に対応する語彙がないそうです。
すごいですよね…
宣教師が宣教されて帰ってきた
このエヴェレット博士の個人的エピソードとして書かれていたことで、興味深かったのは、キリスト教を信じ始めた理由をピダハンに話したときの話。
彼は、キリスト教の宣教師としてピダハンの村を訪れていました。
ピダハン語で聖書をつくって、「ピダハンを罪から救い、幸せに導く」ことがこのエヴェレット博士の使命であり、仕事でした。
そのため、彼はピダハンの前で、自分がキリスト教を信じるようになったきっかけである、継母の自殺について話して、それをキリスト教が救ってくれたんだ、ということを伝えたそうです。
ふつうの反応なら、そこでキリスト教のすごさなり、よさを感じて感銘を受けるような内容で、エヴェレット博士もそれを予想していました。
ところが、ピダハンはその話を聞いて、なんと爆笑したそうです。
「自分を殺したのか?ハハハ。愚かだな。ピダハンは自分で自分を殺したりしない」
絶望や恐怖といった感覚が、そもそも存在しない感じなんでしょう。自殺という概念さえないのかもしれません。
結果的に、エヴェレット博士はそんなピダハンの生き方に心から魅せられてしまいました。
ピダハンを宣教するために訪れたのに、逆にエヴェレット博士が無神論者になってしまったそうです。
宣教しにいったのに、逆に宣教されて帰ってきたと。
最後のほうでこんなことを書いています。
西洋人であるわれわれが抱えているようなさまざまな不安こそ、じつは文化を原始的にしているとは言えないだろうか。そういう不安のない文化こそ、洗練の極みにあるとは言えないだろうか。こちらの見方が正しいとすれば、ピダハンこそ洗練された人々だ。こじつけがましく聞こえるだろうか。どうか考えてみてほしいーー畏れ、気をもみながら宇宙を見上げ、自分たちは宇宙のすべてを理解できると信じることと、人生をあるがままに楽しみ、神や真実を探求する虚しさを理解していることと、どちらが理知をきわめているかを。
全体として学術よりの内容ではありますが、読んでいて難しい箇所はあまりありません。
後半はちょっと言語学的な込み入った話が多いですが、どちらかといえばルポのような感じで、読みやすいです。
実は、ピダハンの独特の特徴は、上記にとどまらず、
数字や色をあらわす言葉がなかったり
西洋人には見えない精霊が見えたり
定期的に自分の名前を変えたり(しかも精霊の名前をつけるのが一般的)
夜まとまって寝ない習慣があったり
あいさつをする習慣も言葉もなかったり……
と、現代人からは想像できない文化と習慣をもつピダハン。
いつかはアマゾンの奥地にいって、実際にそこで暮らしてみたいなぁなんて妄想しちゃいました。
きっとエヴェレット博士と同じように人生観が変わるんじゃないかと。
縄文人との類似性
ここからは僕の想像ですけど、僕が好きな縄文人も似たようなところがあったんじゃないかなと思います。
「今」ここに生きる姿勢は似ているし、きっと同じように、毎日ニコニコ笑顔で暮らしていたはず。
縄文人は食物を貯蔵していた形跡はあるので、未来を完全に考えてなかったかというと、そこは若干違うかもしれませんが、自然と共存しながら、精霊が見えたりしていた可能性は十分あるんじゃないかと。
縄文人の貯蔵は、未来への蓄えというよりも、豊かさを循環していただけのような気もします。多く採れちゃったから、来客が来たらふるまうか、みたいな。
縄文人を含め、西洋人的には「未開」といえるような社会に、これからの僕らが目指すべき社会や人間の生き方がつまっているような気がしています。
そこに共通するのは、ピダハンのような「今」を生きる知性だと思ってますが、どうでしょうか。
そして僕はどこかでそういう生き方に憧れていて、そのことを、主宰するコミュニティJomonityを通じて広げていきたいと思っているんだと思います。
「未来形の会話はタブーです!」
なんてルールがそのうちできたりして。
それは冗談としても、幸せという意味では先端をいくピダハンや縄文人から、現代人が学べることは多いと思っています。
※カバー画像はAIに適当につくってもらったもので、実際のピダハンをあらわすものではありません。あしからず。
