「特別な人」という壁について考えたこと
以前、とある交流会でトップクリエイターの方と話をしたことがある。
その人は、「クライアントの求める120%のクオリティを出す」と話していた。
その言葉に、素直に圧倒された。
当時の私は、まだ漫画はどこか趣味の延長のようなものだった。
そこまでの覚悟はないな、と思った。
そして今、プロになったあとでも、やはり同じことを思う。
私はたぶん、そこまで情熱を燃やせるタイプではない。
あの人は、特別な人なのだと思った。
きっとトップクリエイターは、ああいう人ばかりなのだろうと、
ぼんやり想像した。
そこには、自分とは越えられない壁がある気がした。
前回は「特別な人」という物語について書いた。
今回は、その言葉を前にしたときの自分の感覚の話かもしれない。
特別な人と、そうでない人。
選ばれた側と、そうでない側。
でも、時間が経ってから思う。
それは本当に、「特別な人と凡人の壁」だったのだろうか。
もしかすると、持っている特性の違いなのかもしれない。
情熱の燃やし方の違い。
仕事への向き合い方の違い。
目指す方向の違い。
全力で毎回120%を出す人もいる。
安定して波を作らず出し続ける人もいる。
どちらが正しい、という話ではなく、
ただ戦い方が違うだけなのかもしれない。
120%の力で燃やし続けている人もいれば、
体感としては70%くらいでも、自然に120%の成果を出せてしまう人もいるのかもしれない。
だとしたら、
情熱の量だけで「特別」を測ることはできない。
外から見えるのは結果だけで、
その内側の燃え方は、人それぞれなのだと思う。
情熱や才能、戦略、環境との相性。
いくつもの要素が重なった結果に、
後から「特別」という言葉が貼られているだけなのかもしれない。
ふと、別の出来事も思い出す。
以前、漫画専門学校の見学に行ったとき、
知る人ぞ知るトップイラストレーターの方と話す機会があった。
私は入学を迷っていて、
その人は講師になるかどうかを見極めに来ていた。
「絵は才能ですか」と聞いたら、
その人は「才能ではない」と静かに言った。
自分に何が教えられるのかを確かめるために来たのだ、とも。
その人もまた、課題イラストを丁寧に、
高い完成度で仕上げようとしていた。
少なくとも、あの人は
自分を特別な存在のようには語っていなかった。
私が感じていた“壁”も、
そうやって単純化されたラベルだったのかもしれない。
そう考えられるようになったことは、
自分にとって小さな変化だった。
この気づきを、
「特別な人」という言葉のそばに置いておきたい。
