アニメ『スラムダンク』の主題歌『煌めく瞬間に捕われて』を歌ってるのは「大黒摩季」だとずっと思ってたのに「MANISH」だった
すみません。ちょっと同世代にしか分からない話をさせてください。
アニメ『スラムダンク』の主題歌『煌めく瞬間(とき)に捕われて』という曲をご存知でしょうか。
今まで、俺はこの曲を歌ってるのは「大黒摩季」だと信じて疑わない人生を25年以上歩んできました。
が、実は歌っているのは大黒摩季でもなんでもなく、
「MANISH(マニッシュ)」
という全くの別人だということを知り、頭がおかしくなりました。25年が完全に「無」と化しました。
いや『煌めく瞬間(とき)に捕われて』を歌っているのはMANISHだということは知っていたんです。
ただ、MANISHは大黒摩季だと思っていました。
MANISHとは大黒摩季の別名義、a.k.aであると、荒井由実が松任谷由実であるように、上地雄輔が遊助であるように、綾小路翔がDJ OZMAであるように、ともさかりえがさかともえりであるように、大黒摩季もまたMANISHであり、MANISH=大黒摩季であると、そう思ってました。
しかし、そうではありませんでした。
どういうことなのか、説明させてください。大黒摩季はMANISHではなかった。ということは、MANISHは大黒摩季ではないということになります。つまり、
大黒摩季≠(ノットイコール)MANISH
ずっと母親だと信じてた人間が実は赤の他人だった時のような衝撃を受けました。
自分のなかにあった「価値観」という瓦礫の山がガラガラと音を立てて崩れ落ちたのです。心のパズルを埋めていた大黒摩季というピースがポッカリと抜け落ちてしまった感覚でした。
大黒摩季
思えば、俺の人生は大黒摩季の連続でした。
つねに「振り返れば摩季がいる」状態。歩む道の先にいつも摩季がいました。日本に春夏秋冬という「四季」があるように、俺には「大黒摩季」という季節がありました。春に桜を見て夏に花火を見て秋に紅葉を見て冬に雪を見るように、大黒摩季を感じていました。
そんな大黒摩季がMANISHじゃなかった。このまぎれもない真実と、自分が「命拾い」したという現実に震えが止まらなくなりました。
今回は「大黒摩季」が「MANISH」だったからまだ良かったものの、状況が違えば「水」だと思って飲んだものが「毒」だった可能性すらあります。
一歩間違えれば、そこに「死」が待っていた。思い込み、傲慢、過信、慢心、そんな己の弱い心が大黒摩季をMANISHに、MANISHを大黒摩季にしたのです。
謝りたい
大黒摩季にも、MANISHにも、手をついて謝りたい。「すいませんでした」と、大黒摩季をMANISHだと、MANISHを大黒摩季だと思って本当にすいませんでしたと、大黒摩季とMANISH、どちらにも謝りたい。そして言いたい「ありがとう」と。過ちに気づかせてくれて、救ってくれてありがとうと。
そして心の底から「知りたい」と思いました。
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