連載小説『小説を書いてる友達』 第1話(全9回) 【創作大賞2026】
◯あらすじ
「僕」は入学したての大学生1年生。昔から品のない人たちが嫌いだった「僕」は、なるべく育ちの良い人が在籍していそうな学校を選んで受験したつもりでいた。しかし、最初の講義でいきなりガラの悪い学生に遭遇してしまい、あげくの果てに親友認定され、なんと自宅に転がり込まれてしまう。「本が好き」という共通点のみを頼りに、なし崩し的に始まった共同生活を続け、関係を深めていく2人。そしてある日、ガラの悪い同居人は小説家として大成したいという夢を語る。何度も文学賞に応募し、落選し続ける同居人と、励まし続ける「僕」。この作品は、そんな二人の青春友情物語である。
1.絶望は如何にして幕を開けたか
僕には友達がいる。いや、正確には居候と言うべきだろうか。
なんにせよ、彼がまともな人間でないことだけは確かだ。
彼との出会いは4年前に遡る。
それは大学の記念すべき初講義でのことだった。
講義名は確か、「日本文学概論」とかそんな感じのものだったと思う。
あの日僕は始業10分前に大講義室へ入り、教壇から見て中段右側隅にある地味な席に行儀よく姿勢を正して座り、教授が入ってくるのを今か今かと待っていた。
やがて洒落た眼鏡を掛けてえんじ色の綺麗なスーツでビシッと決めた中年の女性教授が入ってきて、開口一番「新入生の皆さん、これから半年の間、私と張り切って勉強していきましょう!」と爽やかに挨拶をした。それから彼女はオペラ歌手のように太ったその体を最大限に活かした太くハリのある声でオリエンテーションを開始した。僕はそんな彼女の声を聞きながら、さあこれから新しい生活が始まるんだ、刺激に満ちた大学生活が始まるんだぞと自分に言い聞かせて気持ちを奮い立たせようとしていたが、教授の口から垂れ流しになっている講義要項の、その尋常でない退屈さに飽々してしまい、今にも寝落ちしてしまいそうなほどにうつらうつらとしていた。
そんな時だった。不意にバーン!と大きな音が鳴り、天井の高い大講義室全体に響き渡った。
はっと我に返った僕はおもわず前を見た。教壇右側にある扉が開いていた。そして扉の前に、男が一人、ポケットに手を突っ込んでじっと立っていた。
はっきり言って、そいつはあまりにも酷い格好だった。
ボロボロに擦り切れた黒いジーンズを履き、酷く色褪せた青いフード付きジャケットを羽織り、タイトな黒のニット帽を深々と被ったその男は、繁華街にいるガラの悪い不良か小洒落たホームレスにしか見えなかった。元々は白く輝いていたであろうに土埃に塗れて黒ずんでしまったと思われるスニーカーは、そんな彼の全体的な汚らしさを助長していた。
僕は地元にいた頃、こういう汚い格好をした奴らが嫌いだった。
そういう奴らと同じ地域にいるのが嫌で、それなりに偏差値が高く育ちの良い人々が集まりそうなこの大学を選んだ。
なのに、目の前には僕が必死に避けようと努めてきた人物が立っている。
どんな場所であれ、薄汚れた人間というものは一定数紛れ込んでしまうのだという社会の真実を知ってしまったこの時の僕は、がっかりして露骨に肩を落としたのだった。
さて、汚らしい男はその後どうしたか。
彼はまず細長く切れた鋭い目でぐるりと講義室内を見渡した。そして次に、いかめしい顔で教授の顔をじっと見つめた。まるで睨みつけているかのようだった。彼女はそんな男の様相を見て一瞬驚いたような表情を見せたが、すぐにうってかわって鬼のような形相になり、こう言った。
「最初の講義から遅刻するとはどういうつもりなんですか、あなたは。私の講義では遅刻や欠席が数回続いた場合は最低評価になりますから、そんな調子だと貴重な単位を一つ落とすことになりますよ。次からは気をつけてくださいね。さぁほら、早く席に座って!」
男は教授の言葉を聞いてしばらくその場に立っていたが、彼女が聴講生達へ向き直ってオリエンテーションを再開したのと同時に歩き出した。大股で、ハンドポケットで、ずんずんと足音が聞こえてきそうなほど大袈裟なステップで、男は僕の席へと近づいてくる。おい、よせよ。僕はパニックに陥りそうになった。なんでわざわざ僕の方へ近づいてくるんだ。頼むからあっちにいってくれ。なるべく僕の席から離れたところに座ってくれ。できることなら、視界にすら入らないでくれ。そう強く願った。しかしそんな僕の思いも虚しく、男は僕の隣の席にどかっと腰をおろしてしまった。彼の考えていることが何一つ理解できなかった。他にいくらでも空いている席があったというのに、どうしてわざわざ君のことが嫌いな僕の隣にきてしまったんだと憤った。これだから野蛮人ってやつは困るんだ!
それからしばらくの間、僕は教授の顔を眺めつつ時々横目で男の顔を見て様子を窺っていた。意外なことに、最初彼は頬杖をつきながらも真面目にオリエンテーションを聞いていたのである。しかし、ある時点で興味を失ってしまったのか急にかっくんと俯いてしまい、次の瞬間には静かな寝息を立てていた。やっぱりこういうやつは集中力が続かないんだろうなぁと、こんな程度の低いやつに気を取られてちゃいけないなぁと思った僕は観察を打ち切り、熱っぽい調子で語られている教授の話へ再度耳を傾けた。しかし数分経った後で、また男のことが気になりだした。そこでもう一度ちらっと隣を見てみた。男は既に目覚めていた。そしてどこから取り出したのかわからないほど大きな単行本をかぶりつくようにして熱心に読んでいた。こんな程度の低そうなやつでも本なんて読むんだな、まあ腐っても文学部か...。そう考えているうちに、僕は無意識に彼の読んでいる本を覗き込んでしまっていた。すると、それに気づいた男は不意に僕の方を向き、強めの口調でこう言った。
「おい、俺が今何を読んでいるか、わかるか?」
ああ、やってしまった。
僕は激しく後悔した。しかしもう後の祭りだ。この頃の僕は他人からの質問を平然と無視できるほど肝が据わっていなかった。
「いや、わかんないな。」
僕は雑に返答した。相手が自分への興味を失ってくれることを願ってのことだった。
「はん、わかんねぇだろうな。お前みたいな真面目ちゃんには。」
この言葉に僕は若干の苛立ちを覚えた。なんだこいつ、知った気になりやがって。
「僕は表紙すら見てないんだぞ?なのに誰が著者かなんてわかるわけないじゃんか。」
「さぁてね。誰が書いたか教えてやったところでわかるわけねぇよ、どうせ。」
一体全体、なんなんだこいつは。僕よりも頭悪そうな見た目してるくせに、上からものを言うな。
「い、言っとくけど僕だってこれでも割と本は読んでる方なんだぞ。馬鹿にしないでくれよ。」
今になって思う。軽く挑発された時点で無視してしまえばよかったのだ。わざわざ相手のペースに嵌まり込んでいく必要なんてなかった。
「へー、じゃあ教えてやるから知ってるかどうか言ってみろよ。いっとくけど、知ったかぶりしてもすぐにわかるからな。」
上等だ、お前なんかより僕は本を読んでるんだ。
「あー、そういうのいいから。さっさと教えてよ。」
男はニヤリと笑った。元々細かった目が、まるで糸くずのように見えた。
「デレク・ハートフィールド『火星の井戸』だ。どうだ、知ってっか?」
デレク・ハートフィールド?誰だその作家。
「んん、あれか?SFとか、そういうのか?」
「火星って言葉から連想しただけだろそれ。なんだよ、やっぱ知らねえじゃん。」
男は得意になってそう言った。
「うるさいな、SFは専門外なんだよ。」
「はっ、負け惜しみかよ。デレクは割と有名人なんだぜ?知らねーの?」
この時の男は、ひどく癇に触る顔をしていた。見下すような、勝ち誇ったかのような、とにかく人を不愉快にさせる表情だ。
「知らないなら知らないで、これから読めばいいだけの話だろ!」
「そこ、うるさい!!あら、さっきのあなたじゃないの。なんですか、遅れてくるだけでなく、大声で騒ぎ立てるとは!講義の妨害のつもりですか?即刻退出しなさい!」
教授に鬼の剣幕で怒鳴られた男だったが、悪びれることもなくすっと立ち上がって出ていった。「次からは時間通りに来て真面目に話を聞くんですよ!」という教授の言葉が聞こえていたかどうかは疑わしい。なにせ、講義室を出るまでに一度も振り返らなかったのだから。
その日の全講義が終わって家に帰ろうとしていた時、校門近くの喫煙所で例の男を見かけた。向こうも僕の存在に気付いたようで、彼はベンチに座ったままさっと右腕を上げて挨拶をした。
そんな適当な挨拶、無視してしまえばよかった。しかし男のために内心怒り狂っていた僕は、何か一言でも言ってやらなきゃ気が済まない状態だった。だから後先なんてまったく考えることなくつかつかと男の方へ歩いて行ってしまった。
「よう真面目ちゃん、また会ったな。」
男は変わった煙草の吸い方をしていた。左手の小指と薬指に煙草を挟み、残りの指で鼻を覆うようにして煙を吸う、独特のスタイルだ。元々煙草の臭いが嫌いだった上に、そんなカッコつけた吸い方を男がしていたもんだから、僕は余計に不愉快な気持ちになった。
「お前なぁ、あれはないだろ。」
僕は爆発しそうになっていた気持ちをなんとか押しとどめ、怒りのエネルギーを噛み殺すようにしてそう言った。
「あ?何のことだよ。」
しらばっくれやがって。不良のくせに。
「デレク・ハートフィールドだよ!そんな作家、ほんとは存在しないんじゃんか!」
男はそれを聞いた瞬間、アホの子みたいにぽかんと口を開け、こう言った。
「はっ?」
「はっ?じゃないよまったく!どんだけ図書館で探したと思ってんだよ!こっちは講義合間の休憩時間と昼休みを使ってずーっと探してたんだぞ?お昼ごはんも食べないで!なのに検索端末に打ち込んでも出てこないし、文学の棚をじーっと眺めてても全然見つかんない。それでもうどうしようもなくなって、司書さんに聞いてみたんだよ。ついさっき。そしたら『あの、それって多分架空の作家じゃないですかね?』なんて言い出した。さすがに頭にきて『いや、そんなはずない、しっかり調べてください』って言い返してやったんだ。それを聞いた司書さん、今度は真顔でスマホの画面見せてきてさ、そこに『デレク・ハートフィールドは村上春樹の小説に登場する架空の作家です』って書いてあるじゃんか。もう恥ずかしくて恥ずかしくて仕方なかったよ!司書さん、『今でもこんなこと聞いてくる人っているんですねぇ』とか半笑いで言ってるし!もう恥ずかしすぎてあの図書館行けないよ!せっかく楽しみにしてた学内図書館だってのに、これから毎日使おうとすら思ってたのに、どうしてくれるんだ!責任とれ…」
ここまで捲し立てたところで、僕はもう男が話をほとんど話を聞いていないことに気付いた。こいつ、馬鹿みたいに腹抱えて笑ってやがる。人の気も知らないで…。
「何笑ってんだよ!ふざけんな!」
「いや、お前、だって、グフッ、ガ、ガハハハハハ!!!!」
なんて品のない笑い方なんだろう。余計頭にくる。
「そんなに人の不幸が面白いのかよ!どんな神経してんだお前!」
「いや、ぐふっ、その、ふふふ、ぐっ、お、お前、良い奴だなって思ってさ。」
はっ?良いやつ?
「な。なんだよ。お前馬鹿にしてんのか?」
想像もしていなかった言葉が返ってきたので、僕は動揺してしまった。
「いやだってよ、そんなん検索すればソッコーでわかったじゃんか、その司書みたいによ。講義中が嫌なら休み時間にでもやりゃあよかったわけだし。実際あの後何人かに同じような感じでふっかけたけど、大抵無視するかすぐにググるかのどっちかだったぜ?お前みたいにクソ真面目に図書館まで言って調べたやつは、ふ、ふふ、初めて見たわ。」
僕は顔面がかあっと熱くなるのを感じた。
「なんだよ、だから僕のこと馬鹿だって言いたいんだろ、結局!」
「いや、ちげぇよ勘違いすんな。嬉しくて笑っちまっただけだよ。お前だってあるだろ?楽しすぎたり嬉しくなりすぎたりすると自然と笑けてきちまうこと。お前、良いやつだし本気で本好きなんだってわかって嬉しくてさ。そうじゃなかったらすぐに図書館で探してやろうって発想になんねえもんな。いや、どのみちそんな発想にならねぇか。イカれてるぜお前、良い意味で!」
違う、違う。顔が熱くなってるのは怒りのせいだ。本当にそれだけだ。
「は、はは、ふふふ、おもしれーなお前。まさか俺みたいにぶっ飛んでるやつがこんな真面目ちゃん学校にいるとは思わんかった。いや、いや、まじで笑えるな。お前、真面目に勉強しすぎてぶっ飛んじまったんか?最高だわ。」
なんでこんな、こんなやつに。二度と関わりたくないってのに。
「おい、お前飯食ってなかったんだっけ?じゃあ奢ってやるからさ、飲み行こうぜ。え?未成年だろって?はは、やっぱ真面目だなお前。まあ好きにしろよ、もう大学生ってやつなんだからよ。そんじゃ行こうぜ。」
頭おかしいやつから頭おかしい認定された僕はこの後、嫌いだったはずの男にホイホイと着いていってしまったのだった。
To be continued...
第二話↓
