連載小説『小説を書いてる友達』 第6話(全9回) 【創作大賞2026】
⒍消失
2年生になったが、特に生活の面で大きく変わったことはなかった。取得すべき教養科目の単位がまだたくさん残っていたし必修の講義が減ることもなかったので、相変わらず僕は毎日のように学校へ通っていた。ただ、1年の頃よりは早く帰る機会が増えた。少なくとも毎日五限まで学校に残っているということはなくなったので、だいぶ肉体的にも精神的にも楽になった。
佐々木はといえば、家にいることが多くなった。資金調達などの用事を限りなく少なくし、空いた時間をできるだけ読書や執筆に当てこもうとしているようだった。それでも、午前中は大抵どこかへ出掛けていたらしい。僕が風邪をひいて寝込んでしまったとある週のこと、彼は毎日朝早くに起きてどこかに行き、午後になってからポカリやおかゆを持って帰ってきた。おそらく午前中の短い時間だけをつかってお金を稼いでいたのだと思う。何をしていたのかは結局わからなかったが。
7月に入って以降、佐々木の執筆時間は異常に長くなった。3月末に応募した文学賞の1次選考を通過できなかったことが起因していると思われる。彼は午前の数時間を金稼ぎなど何らかの用事に当て、帰宅後の2時間で集中的に本を読み、その後は深夜までぶっ通しで執筆した。晩御飯はいつもキーボードを叩きながら食べていた。酷い時はそのまま深夜3時まで書き続けた。執筆中の佐々木が見せる集中力は言わずもがなで、そのために彼と会話する機会はめっきり減ってしまった。週末になれば一緒に図書館に行ったり飲み歩いたりもしたが、楽しく会話するより無言でいる時間の方が圧倒的に長かった。
この頃から佐々木はほとんど喋らなくなった。話しかけるとたまに相槌を打つ程度で、何事にも無関心になった。いつも俯き、何か考え事をしているように見えた。そしてタバコを吸う本数が尋常じゃなく増えた。当初は1日1箱程度だったのだが、気づけば1日3箱吸うようになっていた。執筆中は吸わなかったから、その前後に集中して吸っていたことになる。彼は、明らかに正常な状態ではなかった。
それでもたまには彼自ら口を開いた。毎回、小説に関することだった。
「なぁ、小説ってのはどうあるべきなんだろな。」
「人に読ませるってのは、力で押し通すだけじゃだめなんかな。」
「至高の文学作品ってのは、いったいどんなもんなんだろな。」
聞かれる度に僕は真剣に答えた。説明が長くなろうとも、気にせず語り続けた。特殊な技法を使うことだけが文学じゃない、と。人が読んで初めて文学作品は存在しうるのだ、と。そしてまた、お前が好きな作品群にも読みやすく深みのある作品はたくさんあっただろう、だから何度もいうが一度はそういう作品を執筆してみたっていいじゃないか、と説いた。高校まで日本現代文学しか読んでこなかった僕だったが、大学に入り佐々木と出会って以降は日本の古典や様々な国の文学作品に目を通すようになったので、素人ながらも多角的な視点でもって自分の意見を主張できるようになっていた。
「ああ、お前は正しいよ。間違いなく、な。」
毎回、彼はこう答えた後で静かに自分の世界に閉じ篭り、何を言っても反応しなくなった。だから僕は黙るしかなかった。話しかけてくれさえすればいくらでも声を掛けたり応援したりできる。しかし結局最後は本人次第なのだ。その事実が、僕には歯痒くて仕方がなかった。
そうこうしているうちに11月になった。この月、どういうわけか佐々木は執筆をまったくしなかった。だから僕は彼にたくさん話しかけた。うざがられるんじゃないかと思うくらいたくさん話題をふった。その甲斐あってか、佐々木は少しずつまたくだらない会話ができるようになった。居間にセットしたこたつに二人して足を突っ込み、僕が買ってきたアイスを一緒に食べたり酒を飲んだりしながら、我々はそれまでの時間を取り戻すかのように会話をした。こうして佐々木は段々と笑顔を取り戻していった。
12月に入っても佐々木は執筆をしなかった。だから僕は毎日なるべく早く家に帰り、佐々木との時間を大切に過ごした。夜になったら二人でご飯を作って食べた。時には鍋をつついた。時には網を買ってきて焼き鳥を焼いた。時には辛口の日本酒を熱燗にして塩辛をつまみに夜遅くまで飲み交わした。そうやって過ごしているうちに、大晦日になった。
うちにテレビはなかったので、僕らは年越しそばを食べたあと、お互いに本を読んだりスマホを見たりして自由に過ごしていた。僕はその時とある小説投稿サイトを見ていたのだが、あまりにもおかしな記事を見つけてしまったので思わず笑ってしまった。それに気づいた佐々木は、ニヤニヤしながら口を開いた。
「おい、何見てやがんだよ。そんなおもしれーことあったのか?」
「いや、これ、ふふふ、見てよ。めっちゃバカだよ。」
「あー?見せてみろや。ん、あんだって?『金玉にはスイッチがついている※』だと?ぶっ、『金玉の裏側、蟻の門渡りと呼ばれるあの秘境周辺の内部に、そのスイッチは存在する※』、ぐ、ぐふ…。」
「『なんのスイッチかって?残尿出し切りスイッチだ※』」
「ぶっははははははははは!こいつ、こいつ馬鹿だろ。年の暮れにこんなもん書いてるとかどう考えても正気じゃねぇ!頭おかしいわ、良い意味でよ。いやーしっかしおめぇもよくこんなもん見つけて、しかも笑ってやがったな。大学入った頃とはえれぇ違いだぜ、まったく。」
「いやー、頭おかしいやつと2年も過ごしてると趣向も変わっちゃうもんなんだねぇ。」
「あー?誰のことだよ。」
「お前しかいねぇだろって。この居候め。」
「今更何言ってやがるんだてめぇ!あんまりうぜぇ事言うと金玉のスイッチ押しちまうからな!」
「ちょ、ちょっとまじでやめて…。」
僕は笑いすぎてお腹が痛くなってしまった。こんなに笑ったのは生まれて初めてのことだった。我々は二人して同じネタを引っ張りあって笑い続け、そのうちに年が明けた。除夜の鐘の音がどこかから響いてきた。それを聞いているうちに、僕の心の中は静かで寂しげな気持ちに支配されてしまった。そして、僕はポツリとこんなことを言った。
「ねぇ、小説を書くの、どうしても文学賞に応募するんじゃなきゃだめなの?」
佐々木は僕の顔をじっと見つめた後、立ち上がってベランダに行き、タバコに火をつけた。僕も後ろからついていってベランダに出た。冷たく鋭い空気が火照った顔を一瞬で冷ましてしまった。
「どうした?なんで急にそんなこと言い出したんだ、お前。」
佐々木はゆっくりと煙を吐き出してからそう言った。
「いや、なんていうか…。」
僕は一瞬口篭った。しかし言ってしまいたいという気持ちが下腹から込み上げてきて、胸につかえていた堰を乗り越え、喉を震わせ、ただの呼吸を強い意志を持った音に変えた。それは、こんな言葉になった。
「作品を公開できるのは何も雑誌だけじゃないじゃんか。ネットを見れば、審査もいらず高いお金を払う必要もなく自分の作品を投稿できるプラットフォームがいくらでもある。さっき見せた記事を公開していたサイトだってそうだ。そりゃ投稿しただけで誰かに見てもらえるわけじゃないけど、ネットに投稿するのは全世界に向けて発信するのと同義でしょ?作品を投稿し続ければいつか必ず誰かが見てくれる。だから、そんなに新人賞にこだらなくてもいいんじゃないかと僕は思うんだ。文学賞は作品を公開するために選考を通過していかなければいけない。もしダメなら、その作品はそれ以上誰の目にも触れることなく、なんの反響も得ることなく闇に葬られてしまう。僕は佐々木の作品が好きってわけじゃないけど、そんなの悲しいし、虚しいじゃんか。あれだけ熱意をこめて書いたんだから、必ず読んで感想を言ってくれる人はいるはずなのにさ。それに…。」
「それに、なんだ?」
佐々木は真剣な眼差しでそう言った。
「それに、もう僕は…。」
胸がまたつかえてしまう。それでも、言い切らなければ…。
「僕は、もうお前が辛そうにしているのを見たくないんだ…。」
僕は、自分の目から一筋の涙が流れていくのを感じ取った。
もうこれ以上、言葉を紡ぐことはできそうになかった。
「ああ、そんなになるまで巻き込んじまって、ごめんな。」
佐々木は僕の左肩にポンと手を置きながらそう言った。顔は、どうしても見れなかった。
「まぁ、正直俺も新人賞に応募し続けるのは辛いと思ってる。そんな気持ちでいっからこうやってお前にも影響与えちまってるしな。それに、別に媒体にこだわる必要なんてないってのは俺も考えてたんだ、だけどな…。」
佐々木はそこで一旦区切り、タバコを吸った。そして紫色のうねる煙が口から全て吐き出されたタイミングで、話を再開した。
「だけどな、やっぱり小説を公開するのは新人賞を突破してからにしてぇ。投稿サイトに出しちまうと、もう特に審査の目とか気にすることなく公開できるって知っちまって、何の重みも感じなくなっちまう気がするんだ。そうしたら確実に作品の質は下がってく。まぁよ、一度も認められてねぇのに作品の質もクソもねぇんだけどな。でも、やっぱちゃんと線引きはしておきてぇんだ。」
僕は、何も言えなかった。ただただうつむいて話を聞いていた。
「けどよ、俺も正直これ以上お前に迷惑かけたくねぇ。それに、しっかり覚悟を決めて、これまでお前が俺に言ってくれたことを取り入れながら作品を書いてみてぇと思ってたんだ。だから、俺は…。」
思い切って顔を上げ、佐々木の目をまっすぐに見つめた。その目は、出会った当初のように輝いていた。
「今年俺は、7月の新人賞に絞って作品を書く。そして絶対に賞を勝ち取ってやる。これまで何度もアドバイスをしてくれた、お前の意見をちゃんと参考にして、な。これが最後だ。読み手がいて初めて文学作品は存在しうる、か。改めて考えるとクッソいい言葉だよな、これ。うっしゃ、そしたら気合入れ直してやってくからな!」
その日から佐々木は執筆を再開した。相変わらず凄まじい集中力を発揮していたが、その表情に以前のような固さは見られず、むしろ血行がよく赤々としていて活力に満ちていた。また、再開してからは執筆をしながらも時折僕に話しかけて助言を乞うようになった。これは本当に驚くべき変化だった。以前の頑固な彼であればまったく考えられなかったことだ。僕は彼が完全に心を開いてくれたことに対する喜びを感じたが、同時に次の文学賞への想いの強さと覚悟の程を思い知り、不安を覚えもした。しかし、目の前に築かれていく作品を見ているうちに不安は段々と薄れていった。とても魅力的な作品になりそうだったのだ、彼の新作は。食人と生存本能という恐ろしい主題を掲げてはいたが、その描写には淡々として深みがあり、構成も簡潔ながら捻りの効いたもので、読み手をぐいぐいと物語の渦へ引き込んでいき、当人が気づかないうちにその精神をもみくちゃにして作品の虜にしてしまうような不思議な作りになっていた。シンプルでハードルの低い入り口を作り、中へ引き込む。そして甘い果実と程よい刺激を与えながら奥へ奥へと誘い込み、頃合いを見計らって捕縛する。あとはもう、時間をかけて真理の扉を見せつけてやるだけ。煉獄のようにじわじわと心の奥底まで浸透していく極彩色の世界を目の当たりにした者は、一生この作品を讃え続けるに違いない。佐々木のそばで作品を見守り続けた僕は、彼の成功を確信した。数年間休むことなく毎日何時間も書き続け、謙虚に人の意見を聞き、考えを深め文章力を高めていき、ようやく佐々木は、作家として花開いたのだ!
7月中旬に作品は完成した。徹底的な見直しを実施した後で、佐々木は締切間際のとある日にインターネットから作品を出版社に送り、応募を完了した。その後我々はすぐに神田の中華料理屋へ行った。ラムの串焼きとしゃぶしゃぶをテーブル一杯になるまで注文して大いに食べ、何杯もビールを飲んだ。何度も顔を見合わせ、何度でも笑った。まわりのお客さんに見られてしまうくらい大きな声で笑い続けた。しかし周囲の視線なんて全然気にならなかった。楽しくて、嬉しくて、仕方がなかった。佐々木とこの素晴らしい時間を最大限楽しむこと以外まったく考えられなかった。店員に注意されても、平謝りしてまた大いに話し、大いに笑った。本当に幸せなひとときだった。結局その日は朝まで飲み続けた。僕は生まれて初めて自主休講し、ぐっすりと夜まで眠った。
1ヶ月が経った。
2ヶ月が経った。
3ヶ月が経った。
11月になった。僕は就職活動を始めた。
12月になった。
佐々木は、僕の家から消えた。
※この度、こちらの作品から文章を引用させて頂きました。
心より感謝申し上げます。
第7話↓
