短編小説『かたもひ』 feat.『万葉集』
本小説を執筆するにあたり、『万葉集』より4首引用しました。
以下に引用した首の巻数と歌番号、作者を記しておきますので、興味のある方は是非調べてみてください。
1首目→巻11、2596、詠み人知らず
2首目→巻11、2582、詠み人知らず
3首目→巻11、2613、詠み人知らず
4首目→巻4、603、笠女郎
※岩波文庫『万葉集』より
メールアプリを開く度に、私の胸はきゅっと絞めつけられる。呼吸が浅くなり、脈拍が乱れ、視界が揺れる。重たい痛みが胸の内に広がり、息苦しさを覚える。何千何百回と感じてきたこの痛み。受信ボックスを見ることで消えるわけではないこの違和感。普通に生きていくのであれば必要のない苦しみ。過去何度もこの愚かな行為を戒めてきたが、どうあがいても繰り返す。何も変わらないのだと口で唱えながら密かに期待し、やはりやってくる当然の結末。それでも真実を受け入れられない自分。みじめに迷惑メールボックスをあさり始める敗北者。いい加減やめてしまえばいいのに、こんな無駄なことなんてやっている場合じゃないだろうに、誰かがそう語りかけ、私も自らに言い聞かせる。わかっている、頼むからやめてほしい。心から願っている。それでも頭は言うことを聞かない。今日もまた、朝から何度もアプリを開き、無意味にスワイプして更新し続ける。くるくると回る青い円に、変わりばえしない白い画面、時々送られてくるプロモーション、繰り返し、繰り返し、繰り返し…。こうして私は、毎日少しずつすり減っていく。
慰もる 心はなしに かくのみし 恋ひや渡らむ 月に日に異に
私は小説を書くようになった。読むことで満足し得なくなり、書くことで心がすっとすることに気づいたあの日から。世界が目の前に構築されていく悦びに取り憑かれ、ひたすら文字を紡ぐことが日課になった。どうしてそこで終わりにすることができなかったのだろう。なぜ人に見せたいと思ってしまったのだろう。誰かに読んで欲しいという思いは、いつのまにか人に認められたいという欲求に変わり、愚かにも私は文学賞に応募するために筆を執るようになった。叩けども応えの無い扉。一日を恐ろしく長くする呪い。自分で自分にかけた呪文、責めるべき他人などどこにもいない。わかっている。わかっているからこそ、私はどうしようもなくやるせない思いに囚われ、途方に暮れてしまう。
あづきなく 何の狂言 今さらに 童言する 老人にして
執筆が苦痛となり、読むことが再度慰めとなった。童心、私はいい歳して、未だに何かが欲しいと思っている。仕事もある、家もある、最愛の妻もいる、見守っていくべき子もいる、だというのに、今更何を望む?誰に何を望む?既に私を認めてくれている人がいるというのに、なぜ私は求めようとする?考えてもわからない。どうしてこんな無意味なことをするのだろうか。
コンテストは究極の片思いだ。認めてほしい、好かれたい、皆そう思って作品を投稿する。選定者達はそんな思いのこもった文を決められた基準から品評し、優劣をつけ、特に優れているものを公表する。その返り言に愛はない。ただ、「あなたは優れてますよ」とお墨付きを与えるだけだ。万一お眼鏡にかなったとしても、こちらの恋が愛によって報われることはない。そんな負け惜しみを頭に思い浮かべ、心を落ち着かせようとする。それでも哀れな私は、妻という最愛の人がいながら、得体のしれない「モノ」にうつつを抜かしている。救いようのない男。
夕占にも 占にも告れる 今夜だに 来まさぬ君を 何時とか待たむ
神社のおみくじ、今日の運勢、信憑性の疑わしいものに書かれた文章にすら、私は慰めを見出そうとする。待ち人来る、遅くなるが叶う、今日は誰よりも運の良い日だ、こんな言葉に小躍りしたのち、コンテストにおいて運が実力を補填することはないことに気づき、落胆する。それでも次の日には、また運勢を見て期待してしまう。我々は古代人と比べて格段に豊かになった。「モノ」や「カミ」に頼らなくても生きていけるようになった、そう思い込んでいた。それなのに、なんだろう、今でも何かに縋ろうとしているこの醜い人間は。あまりにも脆弱で、情けない。なす術の無い環境に生まれ、祈り忍び耐えたいにしえの人々、生きるために死に物狂いで恋を求めた人々、魑魅魍魎におすがりすることなど当然、そんな世界で皆生を全うした。それに比べてなんだ、お前は。こんなことにすら耐えられなくて何ができる?どうして道を開ける?どうして、得体の知れないモノから「ナニカ」を掴み取れるというのだ?
思ひにし 死にするものに あらませば 千度そわれは 死にかへらまし
読書から活力を得て、私は再び筆をとった。相変わらずメールアプリを開く癖は治らない。それはそれでいい。このまま続けてしまえばいいのだ、この片思いを全うするのと同じように。なあお前、何度も恋し、何度も玉砕しろ。愛されることが生存することと同義だった時代の事を思え。恵まれた自らの環境と比べろ。どうしてもやめられないのであれば、逆に向かっていけ。そんな強い気持ちがなければ、お前はただただ惨めな敗北者として生きていくだけだ。そんなのは嫌だろう?
私は今日も物語を書く。すり減っていくなどと弱音を吐かないように。片思いだからと負け惜しみを言わないように。何も変わることはない、わかっていても続けようと思う。それが、自らにかけたこの呪いと共に生きていく唯一の方法なのだから。
