映画マイケルのボヘミアン・ラプソディと比較した何番煎じかわからない感想

ミッドランドシネマが、ライブ音源で映画を流す企画をやるというので、
マイケルとついでにボヘミアン・ラプソディを見てきた。
ボヘミアン・ラプソディは相変わらず傑作ですが、マイケルはそこそこ面白かったです。ThrillerとBadがデカい音で流れるだけで嬉しい。
俺が一番好きなSmooth criminalは流れなかったけど。


この映画たちが史実通りに作られていないというのは脇に置くとして、
連続して見たらフレディとマイケルの対比が綺麗に見えたので良かった。

要するに、フレディは人間だけど、マイケルは神なんですね。
ボヘミアン・ラプソディでの、フレディは自分を理解してくれる人(家族)が世界にいないと思って苦しみ続けるんですが、
マイケルは、↑のような問題意識は持たない(家族は家族である)。
マイケルの頭の中にあるのは自分の脳内世界を自分らしく表現して世界を平和にすることだけだ。

フレディの人生は、自分がどうすれば自分の現世を幸せにできるかもがき苦しんで、最終的にショーマンである自分の人生を引き受ける(というか、ショーマンとしてしか生きられないことを受け入れる)って感じだけど、
マイケルの場合は、もはや自分の現世みたいなものにあんまり興味がない。
確かに最初は「なんで僕が見ている世界は他人からズレているんだろう」みたいな問いから始まってたっぽいけど、才能がデカすぎるのでこのズレを速攻で受け入れてしまい(※)、「僕の見ている世界を現世に取り出すことで世界を平和にするぞ!」みたいな目的にかなり早くから変化する。
フレディが実存に対して悩む人間であり続けたのに対し、マイケルは早くから救世主になってしまったんだなあ。

(※)例えば、マイケルはマイケルのお母さんとチャップリンのモダン・タイムスを見ていて、お母さんはチャップリンが工場でおかしく働くギャグパートを見るだけで満足して寝に行くのに対し、マイケルは最後の逃避行が美しいからと最後まで見続けるシーンがある。
フレディなら絶望しそうな一幕だが、マイケルは、そういうものだよねと母親を家族として愛し続けるんだ。ツイスターで遊ばない兄弟に対してもね。


このシーンね。


この、人生に対する態度は、映画冒頭の背中に分かりやすく現れていると思う。
フレディは人間としての汚さを受け入れつつ、ショーマンとして振る舞うことを選ぶから、ライブに上がる前のフレディの背中は汚い。

画像だと分かりづらいが大画面でみると汚いのだ

対してマイケルは神なので、背中はレザージャケットで隠されており、肌色は一切無い。

だから、俺はやっぱりマイケルよりフレディのほうが好きだなと思った。

ーーー

フレディの曲作りにおいての異常さは、例えるとDMCの根岸くんみたいな感じで、日常における些細な出来事すら名曲にしてしまう感受性にある(だからチャリ漕いでるだけで名曲になる)。

感受性の天才根岸


とはいえ、フレディは自分の人生を歌っているんだけど、
マイケルは、狼男の映画とかをチラッと見るだけで、それをドカーン!と表現できてしまう。マイケルは自分の人生以外からも感性を取り出せてしまう。それが、マイケルが現世とピーターパンと動物を区別しない理由なんだろう。魂のステージが違う。飛行場での五条悟みたいだね。
マイケルの魂って多分イデア界にあったんだろう。

だから、Queenの曲の歌詞は(バイセコバイセコみたいな曲もあるけど)深く思い悩むような歌詞になるし、
マイケルの曲の歌詞は基本的に薄っぺらい(※)。
イデアを表現するならゴテゴテと歌詞を装飾する必要がないんだろうね。

(※)後年の(父親から独立した)マイケルの、
何故世界はこんなに腐っているのか歌った歌(Man in the mirrorとかBlack or Whiteとか)は映画で語られた後の時間軸です。俺はこの辺の、80年代後半~90年代のマイケルの曲が好きなのに。うえーん。





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