第16回 50代ゲーマーvs泣きゲー。おじ化で泣きのツボはどのように変化したのか?
50代ゲーマーは、
「泣きゲー黎明期、そして全盛期に生きた世代」と言える。
1996年にLeafから発売された「雫」のヒットを皮切りに、
えいえんはあるよでおなじみの「One ~輝く季節へ」、
元祖ドジっ子アンドロイド、マルチを擁する「TO HEART」と、
恋愛シミュレーションゲームとしてシステム面に重きを置くのではなく、
感動的な「泣かせるストーリー」に特化したノベル的ジャンルである。
いずれもPC版から始まったゲームだけに一般層への広がりには時間を要したが、胸を打つ物語の展開は口コミで確実に広がり、「泣きゲー」として市民権を得ることになる。
さて、その頃私はというと。
「雫」発売時、まだ未成年である。
高価なPCは10代の私に手の届く品ではないし、先に挙げた作品をプレイしたのは、発売から数年が経ってからというコトになる。
■始まりは「Kanon」
そんな訳で、私が最初にプレイした泣きゲーは、
1999年にKeyより発売された「Kanon」である。
「あさ~あさだよ~あさごはんたべて~がっこういくよ~」
ヒロインの1人、水瀬名雪(CV:国府田マリ子)のセリフは、
今でも頭(耳かも)に残っている。あと、うぐぅ。
(※音声が追加されたのは、家庭用に移植されてから)
実を言うと、はじめは特徴的な絵柄があまり得意ではなかった。
目が顔面の半分を占めるという、パッチリにもほどがあるお顔立ち。
全体的にキャラクターが幼く見えて、どうも入り込めない気がしていた。
「絵はひと癖あるけどすぐ慣れるし、ストーリーが良いからぜひ」
という友人の勧めもあり、半信半疑でプレイしてみると、確かに感動的な物語、そして折戸伸二さんの曲が美しい。世界観によく合っていて、最初はBGMを聴くためにプレイしていたようなところもあった。
結果的に、Kanonは物語の素晴らしさに加え、曲の美しさが特に目立った。アキバで同人のアレンジCDを買いまくり、曲を聴きまくった。泣きゲーとして泣くには泣いたが、どの部分がというよりも、総合してKanonの世界観が美しかった、のほうが正解かもしれない。そんな泣きゲーデビューだった。
■涙腺崩壊ゲー「AIR」。
そして「CLANNAD」へ
「Kanon」の大ヒットで一躍有名になったKeyは、続けざまに泣きゲー第2弾、「AIR」をリリース。
このゲームで、私は自分自身が求めていた「泣きゲー」をついにプレイできたという満足感を得た。もう何度もというか、泣くほど擦られたタイトルなので今さら中身について語る必要はないと思うが、とにかく終盤はラオウの如く「涙などとうに枯れ果てたわ」と言いたくなるほど泣いた。
そして、説明不要の金字塔、泣きゲー第3弾の「CLANNAD」。
「CLANNADは人生」という言葉を生み出すほど、当時のゲーマーに刺さったし、当たり前のように私にもぶっ刺さった。「AIR」で枯れ果てた涙をようやく溜め終わったばかりだというのに、このゲームのせいで私の涙は再び枯渇した。
■泣きのポイントは、どこにあったのか
当時、ハタチそこそこの私がどこで泣いていたのかというと、大体が
「主人公とヒロインの気持ちがようやく通じ合ったのに、これからというところで悲劇が起きて、ヒロインがいなくなってしまう(これがKeyの鉄板パターン)」という切なさ。
「な、なんでだよーー!!!」と、何回叫んだことだろうか(笑)。
というコトで、若造の私は、Keyが仕掛けた「ここで泣いてくれ!」という
切なさMAXポイントで、まんまと号泣していたのである。
これはこれで正解であると思う。
悲しいというよりも、「切なくて泣く」というのは、日常生活においてあまりないシーンだし、非日常的な感情の揺れが涙を呼ぶのは決しておかしくない。おそらく、多くの人が同じパターンで涙したことだろうと思う。
■50代、泣きどころの変化に気付く
最近、そのKeyが2018年にリリースした「Summer Pokets」をプレイした。
実に8年越しの夏休みである。
EDまでプレイして、何度も涙が出た訳なのだが、どうも若い頃と泣きのポイントが違う。たしかに「切なさMAXポイント」は相変わらず随所に用意されていて、思わず鼻の奥にツーンと来てしまう。しかし、50代ゲーマーはそれ以上に意外な場面で泣いてしまうことに気付いた。それは、
「幸せなシーン」だ。
なんで?どうして?と、自分でも思う。
若い頃は悲劇的な展開で泣いていたのに、全く逆の状況だ。
でも、よくよく考えてみると、気持ちの構造がハッキリとわかった。
若い頃は、経験がないのである。まだ見たことのない景色や、味わったことのない気持ちを物語として心に入れた結果、処理できない感情が溢れ出してしまう。それが涙となって現れていたのだと思う。
しかし、歳を取った今、泣きゲーで見せられる景色の多くは、これまで自分が人生で通った道に置き換えられる。つまり、自分の想い出にもこんなシーンがあったと、振り返ることができるのだ。
そして、「幸せなシーン」は、自分がこれまでの人生で選ばなかった分岐の結果とも取れる。現在の自分にも幸せはあるが、作中に見る景色はやわらかなノスタルジーを伴って心の深い部分に入り込んでくる。
優しくて、懐かしい。忘れていた気持ち。だから泣けてしまう。
ネタバレになるので多くは語れないが、作中で
「おとーさん、たのしかったよ」と言われる場面がある。
私に子供はいないが、たとえゲームであっても、私を父親の感情を味わわせてくれてありがとうと素直に思えた。(現実に不満があるわけではなく)
そんで、めっちゃ泣いた。
これはおそらく、20代の頃には湧かなかった感情ではないかと思う。
50代の泣きゲーは、若い頃と泣き所が変化している。これは間違いない。
もし同年代の泣きゲーマーがいたら、ぜひ試してみていただきたいと思う。
そして、当時の2倍泣いて涙が枯渇しないように、ヒアレイン装備で挑んでいただけると幸いである。
☆今回の研究結果
・書いていて私は鍵っ子(Keyファン)だと判明。
・泣きゲーの正体は「ノスタルジー」である。
・悲しくて泣くのではない、眩しくて泣くのだ。
