息子とお風呂〜圧倒的に切ない あの日、4歳の息子に教えられたこと
親になってから、何度も「しまった」と思う出来事がある。
その中でも、今でも思い出すたび胸が締めつけられる出来事がある。
息子が4歳の頃だった。
その日も、いつものように二人でお風呂に入っていた。
息子は保育園で数の数え方を覚えてきたらしく、湯船につかりながら得意そうに声を出していた。
「ひとつ、ふたつ、みっつ……」
小さな声で、一つひとつ確かめるように数えていく。
私はその姿がたまらなく愛おしくて、一緒に数えていた。
ところが、「やっつ」になると、どうしてもうまく言えない。
「ようつ」
「はっつ」
何度やっても違う。
私は笑いながら、
「違うよ。『やっつ』だよ」
と教えた。
もう一度。
また違う。
もう一度。
また違う。
最初はかわいいと思っていた。
でも、同じことを何度も繰り返すうちに、私の心には少しずつ苛立ちが積もっていった。
そして、ついに口にしてしまった。
「ちゃんと覚える気がないから何回も間違えるんだ。」
「なんとなくじゃだめだ。」
「やる気はあるのか。」
今思えば、相手はまだ4歳の子どもだった。
そんな子に向かって言う言葉ではなかった。
息子は数えるのをやめた。
黙ってしまった。
浴室には、お湯の流れる音だけが響いていた。
しばらくして、小さな声でぽつりと言った。
「ぼく、先に出る。」
いつもは一緒にお風呂を出て、一緒に体を拭いていた。
息子が先に出たのは、その日が初めてだった。
あの日の後ろ姿は、今でも忘れられない。
⸻
私は「言い過ぎたな」と反省しながら、少し遅れてお風呂を出た。
リビングへ行くと、息子が正座をしていた。
目の前には紙と鉛筆。
何かを一生懸命書いている。
近づいて見て、私は言葉を失った。
「ひとつ」
「ふたつ」
「みっつ」
保育園で覚えた数え方を、一文字ずつ書いていた。
そして、「やっつ」のところだけが何度も何度も繰り返し書かれていた。
覚える気がなかったわけじゃない。
適当に聞いていたわけでもない。
息子は、自分なりに必死だったのだ。
「できるようになりたい。」
その一心で、まだ幼い手で何度も鉛筆を走らせていた。
胸が締めつけられた。
私は何を見ていたのだろう。
できないことばかりに目を向けて、その子がどれだけ一生懸命だったかを見ようとしていなかった。
私は息子に謝った。
「ごめんな。」
「一生懸命覚えようとしていたんだね。」
息子は何も言わなかった。
目には涙がいっぱいたまっていた。
でも、泣くまいとして、必死にこらえていた。
その姿を見て、私は自分の未熟さを痛感した。
⸻
あれから何年も経った。
息子は中学生になり、高校生になった。
受験勉強が始まっても、自分の部屋があるのに、いつもリビングで勉強していた。
そして、決まって小さな声でぶつぶつ言っている。
英語の構文。
数学の公式。
歴史の年号。
声に出し、何度も繰り返し、自分のものにしていく。
私はその姿を見るたびに、お風呂での出来事を思い出した。
あのとき、「やっつ」を何度も書いていた小さな背中と、何ひとつ変わっていなかった。
覚えられないなら、覚えるまでやる。
できないなら、できるまで続ける。
息子はずっと、そのやり方で前に進んできたのだ。
「三つ子の魂百まで」ということわざがある。
幼い頃に身についた性質は、大人になっても変わらないという意味だ。
変わらなかったのは、
「できるようになるまで努力を続ける」という、息子の生きる姿勢だった。
そして、あの日、本当に教えられたのは私の方だった。
子どもは、できないのではない。
できるようになりたくて、誰にも見えないところで、一生懸命もがいている。
親に必要なのは、その努力を信じることなのだと。
私は、あの日の「やっつ」を、一生忘れない。
